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『R−1グランプリ』採点にはもう松本人志「後」の影響が出ているのか 審査員の採点が似通ってきた

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:つのだよしお/アフロ)

R−1は街裏ぴんくの優勝

『R−1グランプリ』2024年の優勝は街裏ぴんくであった。

決勝初出場であった。いわば下剋上ともいえる。

街角ぴんくは、喋りが流暢には聞こえない。声も大きすぎてちょっと割れていた。

それでもグランプリである。

いままでと、いろんなところが違っていた。

芸歴制限がはずされる

2024年のR−1の大会は芸歴制限がはずされた。

ここのところしばらく「芸歴10年以内」という制限があったのだが、今年からなくなった。

どのキャリアの芸人も参加できる。

といっても、これはもともと2021年から2023年までの3年間だけ設けられた制限である。2024年になってもとに戻った。

若手だけに制限したところで、べつだんM−1的な権威が確立されるわけではないと気がついたのだろう。

毎年変わるR−1のレギュレーション

R−1は制度そのものが毎年ふらふらと揺らいでいる。

2024年決勝のトップバッター真輝志が「こんなに仕上がったR−1にでられて嬉しいです」と言いだして。たぶん本音だろう。

毎年、大事なことが必ず変わっていく。

レギュレーションを固めないまま、これからも続いていくのかもしれない。

審査員の意見がわりと一致した2024年

採点もむずかしい。

漫才やコントのコンテストのように票が割れていない。

そういう意味でむずかしい。

2024年はファーストステージを勝ち抜いた3人は、ルシファー吉岡、街裏ぴんく、吉住、の3人であった。

3人の得点はそれぞれ、475、471、470でそこそこ僅差。

4番が真輝志で458点と離れるのでここでわかりやすい切れ目がある。

2024年は納得のファイナル選出であった。

4位の真輝志はトップバッターだったので点数が伸びなかったところがあり、小籔千豊以外が様子見の採点で、何点かは損しているとおもわれる。ただ10点足しても4位だから、4位は順当である。

陣内と野田と小籔は同意見

審査員は、9人から3人を選んだ。

ルシファー吉岡

街裏ぴんく

吉住

陣内智則と野田クリスタルの採点は上から綺麗にこの3人である。

小籔千豊は真輝志が同点3位に入っているが、ファイナル進出を上3人に入れている。

バカリズムとハリウッドザコシショウの違い

ちょっと違っていたのがバカリズムとハリウッドザコシショウである。

バカリズムは、吉住96点、ルシファー吉岡94点と2つを上に入れて、3番手に入れたのはサツマカワRPG93点である。サツマカワを街裏ぴんくより上に評価していた。

バカリズムの趣味として、そのあたりはよくわかる。

ハリウッドザコシショウは、ルシファー吉岡95点と街裏ぴんく96点の2人を選んで、残りは92点以下だった。吉住は選んでいない。

でもそれぐらいだ。

反対意見は薄い。

審査員5人はだいたい同意見だった、と言っていい。

審査員の意見が合致するのは良いのか悪いのか

審査員全員の意見がだいたい同調するのは、良いか悪いか、微妙なところである。

誰が見ても、おもしろい芸人がわかりやすかったときは、ふつうそうなる。

でも、テレビで見てるぶんには、ほかにも惜しかった芸人がいたのになあ、とおもえるのに、審査員の意見が集中するのは、現場で見ているクロウトの判断だからだろう。

具体的に言うなら、「場」の作り方と客の巻き込み方を、とても高く評価しているからだ。

現場のクロウトとして正しい判断である。

でもテレビショウでもあるコンテストでは、ややわかりにくい評価ともいえる。

松本人志の採点方式の浸透

松本人志が、コントと漫才のコンテストで、なるべく全員に違う点をつけようとしはじめたのは数年前のことである。

似たような方式で採点する審査員も見かけるようになった。

全出場者に違う点数をつけるのは、たしかに丁寧な作業である。

ただ、出場者ごとに採点しながらこれをやると、途中で、ああ、ここに点数の隙間があったら入れられるのに、ということが起こってしまう。

途中から「なるべくきちんと順位をつける」という目的を越えて「絶対に同じ点数をつけないゲーム」になることもある。

本末転倒だ。よほどお笑いのセンスと勘がよくなければ、うまくできない。

全員に違う点数をつけたのはバカリズム

2024年のR−1で全員違う点をつけたのは、バカリズムだけであった。

バカリズムにはそれなりの美意識があるらしい。

陣内智則も9人に7種の点数をつけていた。

残り3人は、あまり気にしていない。4段階から5段階で採点している。

ざっくりとした採点方式である。

この「なるべく違う点をつける(松本人志方式)」と、「ざっくりつける方式(いい、ふつう、いまいち、くらいで判断していく)」はどっちもどっちだとおもう。

両方がうまく混じった採点がいいとおもわれる。

2023年は松本人志方式が強いかとおもわれたが

去年2023年の採点方式を見ているとき、R−1にも松本人志方式が増え出すような予感があった。そういうスタイリッシュな採点を行う審査員が増えそうな気配があった。

ところが一年経って、状況は変わっている。

2023年世界では、松本人志方式なら間違いはないだろう、という空気があった。

2024年3月になると、そうでもないかも、という空気が少し流れている。

すこし「ざっくりでもいい」という空気が強まったように感じた。

だからといって、今年のR−1採点に大きく影響があった、という話ではない。

でも、少しずつ、静かに何かが変わりだしているという気配もある。

街裏ぴんくの魅力

巨大な存在が動くと、少しずつ変わっていく。

街裏ぴんくの優勝は、そのひとつなのだろう。

もちろん私は街裏ぴんくの喋りは大好きだ。

2023年の「NEOしゃべり博」でみた街裏ぴんくにぐいぐいと引き寄せられた。

息をするようにウソをつく喋りこそが、物を語る原点だろうと、大きく惹きつけられた。

彼の優勝はとても嬉しい。

大嘘つきが増える世の中になるなら

ただ、本来は「NEOしゃべり博」のときのように、目の前にいる山本舞香だけに喋りかけているようなトーンが、この大嘘つきには合っている。

だからR−1で、日本全国に届けとばかりに大声で大ボラ吹いているのは、かなりハラハラした。

声が割れてるからダメかもとおもって、でもファイナル進出できて嬉しくて、でも優勝は出来すぎだよなあ、とおもったのが正直なところである。

こういう人がどんどん増えて、みんなホラばっかり吹くようになったら、たぶん、この国の物語世界は豊かになるんじゃないかと楽しみである。

ま、同時に何かが壊れるともおもうけどね。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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