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どこまでも理不尽なドラマ『君が心をくれたから』が見せる「奪われる永野芽郁」の意味

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:2022 TIFF/アフロ)

まっとうな物語ではない『君が心をくれたから』

『君が心をくれたから』はあまりまっとうな物語ではない。

フジテレビ月曜9時、永野芽郁が主演のドラマである。

相手役は山田裕貴。

高校時代に出会った2人は、お互いに惹かれ合っているのに、それをうまく伝えられない。

そういう古風な男女から物語は始まったが、でもストレートには展開しなかった。

人生はおもいのままにならないことを示す残酷さ

(以下、ドラマ内容に触れています)

男(山田裕貴)は自動車も跳ねられて死にかける。

そこへ異界の超常存在が現れ(斎藤工と松本若菜の男女コンビで現れる)、女(永野芽郁)に彼の命を助けたいか、と聞く。

助けてくださいと彼女が頼むと(世界の中心で叫んでいるようであった)、あなたの五感を差し出せば、助ける、と通知する。

女は承諾する。

この先三か月で、味覚、嗅覚、触覚、聴覚、視覚を順々に奪われることになった。

たったの三か月である。三か月かけて、五感を削いでいく。

残酷極まりない。

三か月、というのはドラマ1クールぶんという意味だろうか、とぼんやり考えるばかりであった。

与えると同時になぜ奪うのか

ここがこのドラマの芯である。

命をひとつ助けるために、それを願った者のほとんどを奪い去る。

理不尽で、あまりにも勝手である。

なぜ、そんな展開になるのか。

そもそも、誰がそんな力を授けられているのか。

与えると同時になぜ奪うのか。

つぎつぎと疑問が浮かぶ。

でもその力について、説明はない。おそらくずっとないのだろう。

まるで10世紀の仏教説話

だから、しかたなく選んで、受け入れるしかない。

まるで10世紀の仏教説話を聞かされているようだ。

因果応報。世の中はバランスで成り立っている。

このドラマの前提はそうなっている。

21世紀に人間はあまり納得できるものではない。

前提は変えられない

五感を削がれるヒロインを見て、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』をおもいだしてしまう。

「わけのわからない圧倒的な力」によって、人の人生は簡単に変えられてしまうという話でもある。

前提は変えられない。

そこはただ、哀しい。

恋愛は一要素にすぎない

このドラマにおける恋愛は、その哀しみに彩りを与えているだけの、一要素にすぎない。

生きていくことはただつらい、と繰り返し示していて、古い古い神話のようでもある。

なかなか、やりきれなくなる。

でも見るのはやめられない。

いろいろ腹を立てながら、続きを見てしまう。

魅力的な永野芽郁

永野芽郁が哀しい役を演じて、それでいて愛らしく、魅力的である。

つらくても見ているのは、彼女の笑顔に引き込まれているからでもある。

この状況でも明るく元気な彼女が、痛々しくて、まぶしくて、目が離せない。

何かの力に引っ張られて、続きを見ている。

後半に入ってトーンが変わる

2人がちゃんと付き合うようになってから、5話の後半から、見ていて私は、ぼろぼろ泣くようになってしまった。

なんかトーンが変わったのだ。

五感を削がれ次々と削がれ、もう、後戻りできなくなって、見ているほうも茫然と哀しいだけである。

そうなると、ちょっとしたことで泣けてくる。

さほど哀しい気分になっているわけでもないし、感動しているわけでもない。

でもぼろぼろ泣くようになった。

胸の奥が慄えてしまって、ぼろぼろ泣く。なんで泣いているのか、自分でもよくわかっていない。

寓話の登場物の呼び名のよう

メインの2人の名前は、女が雨で、男が太陽である。

雨と太陽。

人の名前というより、寓話に登場する抽象存在の呼び名のようだ。

このドラマは、寓話なのかもしれない。

ひょっとしたら神話なのかもしれない。

ただ心を慄わせるだけのドラマ

超常的存在は、つまり斎藤工と松本若菜が、どういう存在なのか、かなり鍵になしろうなのだがその正体はまだ全部はわからない。

残酷な神の手先なのか、積極的に男と女に関わろうとしている存在なのか、まだ明らかにされていない。

ただ、8話の最後、太陽の母の写真が示されたとき、驚いた。

いろいろ無理がある、ともおもった。

でもその前に、ぼろぼろに泣き出していた。

ひょっとしたら、そういう反応をめざしたドラマなのかもしれないと、あらためておもった。

意味もメッセージも越えて、ストーリーも越え、ただ、心を慄わそうとしているドラマ。

そういう実験なのかもしれない。

無理に無理を重ねる展開

神の意志に人間が左右されていくドラマは、物語のひとつの祖型なのだろう。

無理に無理を重ねた展開で物語は進み、納得できなくても進み、でも、目が離せない。

ただただ、ラストへひた走っているようにもおもう。

心をくれた「君」とは誰なのか

いろいろ疑問におもうことが多いのだが、でも、つまらない、とはおもわない。

多くの人に受け入れられているわけでもなさそうだが、途中から、私は強く気になるようになっている。

「君が心をくれたから」は最後、どう逆転されるのか、とても気になる。逆転されずに悲劇で終わってもすごいのだが、少しは希望に向かって進むはずだろうと、それはドラマのトーンからそうおもっている。

心をくれた「君」とは誰なのか。

そこに最後の秘密があるようにおもう。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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