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逝去した紙切り「林家正楽」 死を予感したタイミングでなぜ私は正楽の記事を書いたのか

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:イメージマート)

林家正楽さん1月21日逝去

紙切りの林家正楽が亡くなった。

ニュースによると令和6年1月21日に逝去。

落語雑誌の編集部に聞いたら、前日までは元気で、夜寝て、家族が翌朝起こしにいったら亡くなっていた、とのことである。

寄席の落語は連続して2本まで

紙切りは、寄席に行くと見られる芸である。

落語を聞かせる寄席では、落語を2本見せると、次は必ず落語以外の演芸を見せる。

紙切りを始めとして、漫才、漫談、奇術、太神楽、三味線漫談、ウクレレ漫談、バイオリン漫談、ものまね、など、目先の変わる芸を見せる。

たぶん、二百年の歴史を持つ寄席は「落語を3本以上一気に見せると、客は寝る」というような法則を熟知しているからだろう。

落語2本あると、必ず次は「楽しい演芸」となる。

ただ見ているだけで楽しかった人

紙切りは、お客さんにお題を言ってもらって、それをささっと切る芸である。

持ち時間は10分ほどで、それで4つくらいを切る。なかなか素早い技である。

客もわりと慣れた客が多く、切りやすいお題を出す人をよく見かける。

林家正楽は、その紙切りもすごかったが、飄々とした人柄がとてもあたたかかった。

どこかすっとぼけた味わいがあって、正楽さんその人をただ見てるだけで楽しかった。

2008年以降に私が見た紙切りの回数

私が落語を見て記録を取りだして20年になる。紙切りはその開始と終了時刻だけをつけていたが途中から、何のお題が出たのか、それを何秒で切ったのかも記録することにした。

見直すと2008年からのデータがある。

でも落語とちがってあまり活用することないデータだったので、いまエクセルに残している記録がかなり飛び飛びで、523回ぶんのデータしかない。たぶん、この倍以上、三倍くらいは見ていたはずだ。

初めてのお題でも3分台で切る

紙切りで声の掛かるお題は、さまざまである。

ささっと切るお題と、ちょっと手間のかかっているお題がある。

どういうのに時間がかかったのか、というのを見極めようとしてデータを取っていたのだが、あまり意味がなかった。

切りにくいものに時間がかかるわけではないのだ。

見ていた感じでは、初めて切るものでも、だいたい3分台で仕上げていたとおもう。初めてのお題だと時間がかかる、というものではないのだ。

本人の判断で、ゆっくり切ろうと決めると、少し長くなっていたようだ。

客層とか客数とかを見て変えていたのだろう。

今日はこの2つめのお題で終わったほうがいいなと判断して、そのときに長くなっていたようにおもう。

4分を超えたのは5回だけ

523回の記録のうち、長かったものは以下のもの。

2013年7月「朝顔」4分50秒

2020年1月「出初式」4分31秒

2008年11月「風神雷神」4分27秒

2013年2月「白梅紅梅」4分15秒

2012年12月「曳山(山車)」4分01秒

4分を超えたのはこの5つだけだった。

それ以外は4分以内。つまり「2、3分で切ります」におさまっていたのだ。

至芸だとおもう。

落語情報誌「東京かわら版」での原稿

落語の専門情報誌「東京かわら版」で私は長く原稿を書いているのだが、今年令和6年の2月号は、締め切りが1月の上旬だった。

年明け最初に何を書こうかと考えて、ふと、正楽さんの紙切りデータについて書こうとおもいたった。

ちょうど1月11日、末広亭で正楽さんの高座を見たからである。

正楽さんを見かけるなんて、ほんとにいつものことだけど、何か強く心に残っていて、正楽さんのネタにした。

「お正月に正楽さんが切ったもの」というネタにした。

正月に正楽さんがもっとも切っていたお題

正月興行1月1日から20日までのあいだで、かつて私が見た正楽さんの紙切りのお題を数えてみた。

その20日に限っても81回のデータがあった。

分類して並べると「その年の干支」がもっとも多かった。

2番が「獅子舞」で、3番が「宝船」であった。

やはり正月は正月らしいお題が並ぶのだなあと、当たり前の感想を抱きながら、原稿を書いた。

1月12日のことである。

17年ぶんのデータを整理して書いた

2008年にデータを取り出して、いつ使うだろうかとおもいつつ、ただデータ収集だけを続けていた。

それがふと、2024年の1月になって17年ぶん(一部飛び飛び)のデータを整理して原稿にしたのである。

それが1月12日。

正楽さんは(見に行ってないけど)寄席でこの日も体をすこーし動かしながら、紙を切っていたはずである。

すっと身体が冷えていく心持ちがした

この2月号の発売は1月28日である。(いま売っています)

定期購読者には少し前、1月25日に届けられる。

25日に届いた雑誌で自分の原稿を確認して、翌日、26日に訃報を知った。

落語好きの知り合い(漫画家の丸岡九蔵)がラインで知らせてきた。

すっと身体が冷えていく心持ちがした。

28日以降に買った人には、正楽さんがなくなって、すぐ正楽さんのことを書いてるのだなあ、とおもわれているはずだ。

生きている芸人さんを見に行かないといけない

いつか紙切りデータを使おうと考えていて、ふっと使ったら、訃報が舞い込んだ。

もちろんただの偶然である。

何か感じないわけではないが、考えてもしかたがない。

正楽さんは亡くなったのだ。

芸人さんが死ぬと、おもうことはいつもひとつだ。

彼の芸は忘れない。

そしてまた、生きている芸人さんを見に行かないといけない。

そればかりである。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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