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徳光和夫はなぜ「令和ロマン」の漫才がわからないと言ったのか 漫才の親和性の限界について

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

徳光和夫は『街角でぶつかったパン少女』がわからなかったか

徳光和夫が「令和ロマンの漫才がわからない」と言ったらしい。

M−1での令和ロマンのパフォーマンスを見て、笑えなかったとのことだ。

令和ロマンの漫才内容は1本目は「少女漫画の『街角でぶつかったパン少女』はどこへ行こうとしていたのか」というもの、2本目は「クッキー工場の社長がいきなりクルマを作ろうと言い出すドラマの再現」だった。

わかりにくいにはおそらく1本め、少女漫画の設定のほうだとおもう。

「角でばーんと男の子とぶつかって痛ったーみたいな」

1本目の漫才に入ってボケの高比良くるまはこういう説明をしていた。

なるべくセリフどおりに起こしてみる。(カッコ内はツッコミの松井けむりのセリフ)

「少女漫画とかを読んでいたら(あ、少女漫画…)、主人公の女の子が、遅刻遅刻って言って走って(ああ)、学校にパンくわえながらなんか(ベタなね)、そしたら、角でばーんと男の子とぶつかって(あるよ)、痛ったーみたいな。そしたら、その男の子があとあと転校生でした、みたいな(あるある)、そんなんあるじゃないですか」

たぶん徳光和夫は、この設定が飲み込めなかったのではないか。

●ベタなシーンとして有名

少女が曲がり角で男の子とぶつかって、恋のきっかけになる、というのは「みなさんに馴染みのシーン」として話されている。

確かに知っている。

どの作品かと聞かれても作品はおもいうかばないが(でもなぜか絵柄は浮かぶ)、「ベタなシーン」としてよく話題にされてきた。

痛ったーと転んだ女子は、でも自力で立ち上がって走り出し、遅刻はしない。もしくは遅れたけど先生も遅れていて遅刻にはならない。入ってきた先生は、教壇に立ってから、今日は転校生があるんだ、入りなさい、と廊下から呼び込む。それはさっきの男の子だった。

ここくらいまではみんな、想像できるだろう。

物語(の祖型)を共有しているからだ。

徳光和夫は「お約束を知らない人」だったのではないか

だから「ぶつかったのは行く方向が違っていたからだ」という考察にうなづき、「同じ学校に向かっているのに、どうしてぶつかったのだ」という疑問に笑ってしまう。

令和ロマンの漫才は、そこへの親和性がもとで成り立っていた。

でも高比良の説明はきわめて簡略なものなので、知っている人にしか通じない。

知らない人は、何のことかわからない。

徳光さんはたぶん、そのお約束を知らない人だったのではないか。少なくともこのパン少女の心情に寄り添った経験がなかったのだとおもわれる。

令和ロマンは2本目に強いネタを残したというのは本当か

ひょっとして、松本人志も、この少女漫画設定に馴染んでなかったのではないか、とこれはM−1リアルタイムで見ているときにおもったことである。

松ちゃんは、令和ロマンのネタは2本目がおもしろいと驚き、たしかにそれはそうなのだが、おもしろいほうをあとに残す勇気がすごいと褒めていたのは、ちょっと違和感があった。

令和ロマンがそんな判断をしているようにはおもえなかったからだ。

明らかに優劣がついているとおもうネタが2本あって、勝ち抜きレースで受けないほうからやるパフォーマーはいない。令和ロマンにとっては、たぶん同等レベルのネタだったとおもう。

少女漫画ネタのほうが目の前の客に受けそうという判断ではなかったか。

松本人志が採点に悩んだわけ

松ちゃんにそう見えたのは何故なんだろうと想像したとき、彼は少女漫画設定にさほど共感しなかったのかも、とおもったのだ。

もちろんこの少女漫画あるあるを松本人志が知らなかったということはないだろう。

でも、さほどの親しみを持てなかったということはありそうだ。

そこを掘っても広がらないんじゃないか、と一瞬おもってしまって、でも意外と受けていて、さてさてこれはどう評価しようかと松本人志は悩んだようにおもえる。

漫画は子供のものだからと信じている世代

文化の断層というのはわかりにくく、「どこかで連続性が切れているかもしれない」可能性を想像しないと、いまの普通はずっと昔から普通だったようにおもってしまう。

漫画文化はいまの日本に広く浸透しているが、大人もみんな漫画を読むようになったのはそんな遥か大昔のことではない。

「漫画は子供のものだから、大人になってからは読んだことがない」という世代が、かなり上の世代だけだけど、いまもまだ確実にいる。

少女漫画の持っていた「狭さ」

少女漫画という言葉は知っていても、読んだことがない人も多かった。(だいたい男子だが)

かつて少女漫画はきわめて閉じられた世界でだけ読まれるものであった。

1960年代は少女だけのものであって、少年は一切近づけなかった。

それが開かれたのは、萩尾望都と大島弓子を男子が読まれ始めたころ、だいたい1975年くらいからだとおもわれる。ふつうの人にまで広がるのは1980年代である。

「男子が少女向け漫画を読み出すこと」が「おたく発祥(1983年)」要素のひとつだった。

だから1980年代にすでに大人だった人たちは、おたく系統の人は別として、少女漫画世界とあまり馴染んだことがなかったとおもわれる。

肌合いが合わなければ笑えない

1本目の令和ロマンの漫才に疎外感を感じたら、2本目の「クッキー工場の挑戦」ネタも受け入れられなかった状況は想像できる。

2本目はただ、ひたすら悪ふざけしつづけるネタで、松井けむりは解説(ツッコミ)に徹している。きれいな型の漫才だった。

でも、肌合いが合わなければ、笑えないだろう。しかたがない。

徳光和夫の詠嘆は、「みんなが共有しているもの」の外側にいると気づくと、なかなか寂しい、という話だったとおもう。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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