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『どうする家康』 なぜ瀬名は「策謀家」として殺されねばならないのか その真の意味

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

瀬名の物語でもあった『どうする家康』

『どうする家康』は瀬名(有村架純)の物語でもあった。

第1話は弘治2年(1556年)から始まっていた。

家康(松本潤)は数えて15歳、今川家の人質として暮らしており、物語の始まりは、「瀬名と家康の出会い」からであった。

竹林の秘密の遊び場所でお互い名乗り合って仲良くなり、瀬名はうさぎの人形を強引にもらいうけた。

このときから二人惹かれ合い、そのまま一緒になり、仲のいい夫婦として暮らしている。

見ていてとても微笑ましい。

家康は出会ったときから最後まで瀬名を信用している

家康と瀬名の仲の良さは、物語が進んでも変わらない。

家康の物語として、きわめて珍しい構成である。

一緒になって二十年経って、天正年間になっても同じであった。

瀬名は不審な行動を繰り返し、ひょっとして敵方武田勢と通じ合っているのではないか、という噂が流れても、家康の心は変わっていない。

瀬名のことをずっと信じていた。

この家康には、好感が持てる。

ぶっ飛んだ瀬名ワールドの展開

でも瀬名の悲劇は避けるわけにはいかない。

ひょっとしたら瀬名は「無実の罪」でも背負ってしまい、お家のために死ぬのか、とぼんやり悲しく想像していたら、まったく違った。

23話で瀬名は覚醒した。

策謀家としての動きを始め、24話で「築山殿へ集え」と檄を飛ばして人を集めた。

とんでもない策略を練っていたとされた。

ただ、驚いた。

ぶっ飛んだ瀬名ワールドが展開して、圧倒された。

まるで、蘇秦か張儀か鬼谷子か

瀬名は「戦さなき東国」の創成に走り出していた。

あの、「草花の好きな嫋やかな妻」であった瀬名が、東国の要人を呼び寄せ、密談を重ねる。

まるで、蘇秦か張儀か、鬼谷子か、と言いたくなるような動きである。

瀬名の存在が一千倍くらい大きくなっている。

瀬名を「善なる存在」として描くことは決まっている

なぜ、そんな無茶な展開になったのだろう。

古来伝わる「悪女」瀬名の伝説では、その晩年、徳川の敵方である武田勝頼に通じ、おのれとその子の信康の身の安全と引き換えに、武田軍に寝返る予定だったとされる。

それが真実だったかどうかは、わかっていない。

謎の部分も多い。

事実以外は想像してもかまわない。

『どうする家康』では、彼女を最後まで善なる存在として描くと、決められていたのだとおもう。

今川義元が善で、織田信長と羽柴秀吉は悪、徳川家臣団は全員が善。

そう決まっている。

瀬名はどこまでも善。

それが『どうする家康』なのだ。

『どうする家康』で守られる「瀬名三ヶ条」

私はどうも「瀬名に関する三ヶ条」というような秘かな決まりがあったように感じる。あくまで、私が勝手に推測しているばかりだ。

それはたとえばこんなものだ。

・家康と瀬名の仲は最後までとても良かった。

・瀬名は最後まで家康のために働いた。

・瀬名は断じて悪女ではない。

あくまでもどこまでも、私がかってに推測している三ヶ条に過ぎない。たぶんこんな言語化された三ヶ条は存在しないとおもう。いや、申し訳ない。

でも、私は、これが守られているようにおもう。

瀬名は天正7年に斬られる

ただ、家康の最初の正妻・瀬名は、家康の家臣によって斬られる。

天正7年に斬られる。

いったい何をして斬られることになるのかとおもっていたら、想像をはるかに越えた事態が待っていた。

23話からあとの瀬名は、「成功すれば日本史上に名を残すような大政治家のような動き」をする。

武田をはじめとした東国武士団連合を結成し、信長に対抗するために、瀬名がひとりで動いた。

すごいといえばすごい。

正直な感想を言えば、滅茶苦茶である。

荒唐無稽、と書くのさえ憚られるほどの奇想天外さである。

「戦さのない世」を目指した大政治家

しかも、彼女の狙いは「戦さのない世を作ること」であった。

16世紀の世界でである。

敵方と通じて、まず戦さをやめる。

武田軍とだけやめても、まわりにいろいろいるから、北条、上杉、伊達らにも声を掛けて、「戦さなき世」を作ろうとしている。

三河、遠江、駿河、甲斐、信濃、相模、越後、奥州、これらを武力ではなく「慈愛の心」で結びつけて、反信長連合国にしようとしたのだ。

うーん。

どうしましょう。

どうしようもないのだけれど、テレビの前で唸ってしまった。

いやはや、理念は高邁だけど、いやいや、どうしましょう。

異世界モノの実写版を見ているのか

実際にそれによって武田軍の智将も、家康もその家臣団も、瀬名の策略にいったん乗っかったのだ。

「戦さのない世」を作るために、双方の軍人たちも協力しはじめた。

うーん。

どうしましょう。

異世界モノの実写版を見ているのか、と一瞬、こわくなってくる。

落ち着いた大人はいないのか、と、瀬名全面支持派のおいらでもおもってしまった。

武田勝頼が悪者となる

やっと武田勝頼が、そろそろいいか、とこの東国「慈愛での」連合構想について、信長に知らせることになった。

ふつうの感覚の大人がいたんだ、とすこし落ち着いた。

武田勝頼の行動は悪というより、現実主義とみるべきだろう。

理想主義の限界を指摘しただけ、とも言える。

そうやってリアルな現実が動きだした。

「瀬名の悪名を取り払え」という使命の達成

今年の大河ドラマのひとつの使命に「瀬名の悪名を取り払え」というものがあったのだとおもう。

だから瀬名は自己保身のために武田に通じたのではない、ということを示さねばならない。

ちょっとした行き違いだった、というあたりが無理が少ないところだろう。

でも、それでは弱い。

そのレベルでは、瀬名の名を守ったことにならない。

『どうする家康」の制作陣はそう考えたのだろう。

だから、東国の人たちみな助けようと「慈愛の連合」をぶちあげ、一身を捧げた。

そういうかなり無茶な策謀家として設定したのだ。

家康への愛を貫き、二人が仲の良いままで、決して徳川を裏切っていない、でも武田と連絡を取っていた、それは何を考えてのことだったのか、そういうパズルをもっとも壮大な構図で解いたら、こうなってしまったのだとおもわれる。

唸って感心するしかない。

このドラマを見たら、誰も瀬名を「悪女」とはおもわない。

それでよし、とするしかないのである。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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