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有村架純の瀬名はどのように殺されるのか 『どうする家康』が描く「大河史上かつてないこと」

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

瀬名はやがて殺される

『どうする家康』ではやがて有村架純は殺される。

ネタバレだといえばネタバレであり、とても悲しいことではあるが、でも歴史事実である。そこは変えられない。

『どうする家康』のなかでもっとも悲劇的シーンになるだろうと、いまからもう胸ふたがれるおもいだ。まだずいぶん先だけどね。

でも気になってしかたがない。

信長が家康に「瀬名はおれのせいで死ぬ」と語る

正月ころ(1月4日)NHKの対談番組(番宣)で、岡田准一が松本潤に、つまり「信長様」が「家康殿」に「僕の影響で殺すはず、だよね」と発言していた。

つまり瀬名は信長の命令(ないしは意向)で殺されるのであり、それは大河ドラマを何回か見た人ならご存知だろうけれど、というトーンで話していた。

戦国時代ものを見る人たちの共通認識だということだろう。

ネタバレではあるが「本能寺で信長、殺されちゃうんだって」とか、「家康は秀吉との約束守らないで秀頼を殺しちゃうらしいよ」と同じようなものだ。

避けようがない。

大河ドラマで過去、何度も瀬名どのが殺されるのを見ている。

ドラマによって「何故殺されたのか」の解釈は違っている。

歴史上、瀬名は悪女とされる

おそらくその悲劇的な死が原因であろう、徳川家康の最初の正妻である瀬名(築山殿)は、史上、あまり評判がよくない。

家康の年上の妻だとされる彼女は、家康と仲が悪く、我が子である信康を守ろうとして、敵方(武田勝頼方)に内通した女性ということになっている。

それが昭和の時代小説の定番であった。

武田が攻めてきたら、三河の国へ引き入れ家康たちを退治してもらい、息子の信康だけを守ってもらう、と考えていた。とされる。

ふつうに考えると、ほとんど現実味のない計略であるのだが、でもそれを信じて突き進んだ女性として描かれるのがふつうであった。

わかりやすい悪である。

後世に付け足された部分も多いのだろう。

瀬名の悪評は徳川の方針か

彼女の悪評は、おそらく徳川政権の方針ではないだろうか。

瀬名が悪い女だったと書かれ出すのは徳川時代からだ。ご公儀の根本に関わる噂がそういう方向で出てくるのは、政府の方針だったからと考えたほうがいい。

詳細については、また本人たちの心情については、ほんとうのところはわからない。

ただ歴史事実として見るなら、弱い立場の徳川家が生き延びるための犠牲であったのはたしかである。

まだ松平元康と名乗り、とても立場の弱かった家康が、そのころ頼っていた今川家から娶った女性が瀬名である。

そののち家康は、頼りにする先を今川から織田に乗り換える。

その政治状況において、家康は瀬名と距離をおかざるをえなくなり、やがて、彼女の存在そのものも排除する必要が出てくる。

家康を一切悪く言わないようにという制限下では、「彼女は悪女であった」と喧伝するのが一番いいだろう。

だから瀬名は、嫉妬深い女性であり、わがままであり、別の男と密通して、自分と自分の子の未来を守るためだけに徳川家を裏切った女性とされた。

とても憎みやすい。

1983年の『徳川家康』の瀬名

1983年の大河ドラマ『徳川家康』ではそのままの瀬名が描かれていた

明治生まれの作家山岡荘八の原作によるものである。明治期以降、そういう見方がふつうだったということだろう。

1983年の瀬名役は池上季実子であった。当時24歳。

今回、ひさしぶりにこの大河を見返して、若い池上季実子を見た瞬間に、あ、そういえば彼女の祖父はフグの毒にあたって死んだんだった、と突然おもいだしてしまった。意味はない。祖父は八世・坂東三津五郎。

当時の池上季実子の存在感は20代とはおもえない迫力がある。

池上季実子の演じたわがままな瀬名

池上季実子の瀬名は、最初こそ家康と仲睦まじかったが、別居してのち疎遠になっていく。プライドは高いが、かまってもらえず、わがままを言い続ける。どんどん傍若無人になっていった。

このドラマでは、彼女は徳川家の家臣・大賀弥四郎(寺泉哲章)と密通していた。

大賀は武田勝頼に内通していたので、彼に引きずられる形で、瀬名は徳川家を裏切ることになる。

息子の信康も悪逆非道の愚かな若殿として描かれている。

すぐに逆上していた。

切腹させられてもしかたないとおもえる存在であった。

いやじゃ、と死ぬのに抵抗する

池上季実子の瀬名は、移送中に斬られる。

家康の家臣に、ここで御自害なされてくだいませ、と言われるのだが、いやじゃと断る。

家康の前で死んでやると抵抗するので、刺され、それでもまだ抗うので、もう一度刺されて死んだ。

悽愴な死にざまであった。

これが昭和のころ、家康の最初の妻・瀬名に対して、多くの人が持っていたイメージである。

菜々緒が演じた2017年の瀬名

その後の大河では、1992年の『信長』や1996年の『秀吉』、2002年の『利家とまつ』などにも瀬名(築山殿)は出てくるが、そんなに扱いが大きくない。

重要キャラとして出ていたのは最近になっての2017年『おんな城主 直虎』である。

菜々緒が演じていた。

このドラマで瀬名は、主人公のおとわ(のちに直虎/柴咲コウ)の幼いころからの知り合いである。ともに今川家で暮らす幼馴染みであった。

築山殿が幼きころから描かれているドラマは珍しい。

のち、別々に暮らすようになっても、生涯の友として、ときおり文を交わしていた。

瀬名母子を殺させたのは織田信長(市川海老蔵)

『おんな城主 直虎』では瀬名は終盤にまで出演していた。

全50話のうち、46話「悪女について」まで出演していたので、けっこう重要な役であった。

このドラマでの瀬名は、密通などしておらず、もちろん武田と内通もしていない。

すべては織田信長(市川海老蔵;当時)の企みであった。

瀬名の子・信康は織田信長の娘(徳姫)と結婚する。

その婿を、信長は自分の意のままに動かそうとして、うまくいかない。そこに腹を立てて、信長は信康を殺すように命じる。

それを知った瀬名は、信康を救おうとして、武田と内通していたのは自分であると嘘をつき、石川数正と出奔する。

直虎(柴咲コウ)の血の噴き出るような瀬名へのセリフ

逃走中に直虎と出会い、そこで直虎の悲痛な叫びを耳にする。

この大河で、心に残るシーンであった。

死を覚悟した言葉を述べる瀬名に対して、直虎(柴咲コウ)は血の噴き出るような声を上げる。

「死んでいくやつはみな同じようなことを言う! 残された者のことを考えたことがあるかっっ! 助けられなかった者の無念を考えたことはあるかっっ!」

その叫びは、聞く者の胸を貫く。

それでも瀬名は「おいとまいたします姉様」と去っていった。

すぐに追っ手に捕まり、浜松にお連れしますと言われるが、その途中、湖の畔に案内される。

斬られると悟った瞬間、瀬名は凜として「まいりましょう」と言って進んでいった。

悲しくも強い女性を演じて、菜々緒の瀬名は深く魅力的であった。

瀬名と家康(元康)の恋から始まった『どうする家康』

『どうする家康』では『おんな城主 直虎』以上に、瀬名とその嫡男信康の悲劇は大きくあつかわれるのだろう。

家康は、その後、長らく正妻を持たない。側室は何人も持ったが、正妻は自分から持とうとはしなかった。

それはひょっとして瀬名への愛のためではないか、と想像するだけで、胸が痛む。

そもそもこのドラマは第一話で、家康(元康)と瀬名の恋を軽やかに描いて始まった。

有村架純は、今川家縁者の若い姫を演じ、なぜだか松平家の若君が気に入って、彼女のほうから接近していった。

有村架純らしい役どころである。

有村架純の「わたし、かわいいでしょ」という圧倒的な気配

有村架純は、もともと「わたし、かわいいでしょ」という気配で登場してくる役が似合っていた。

『SPEC』(2010年)や『失恋ショコラティエ』(2014年)などのメインでないころでも横からすっと入ってきて魅力的だったが、朝ドラ主演を経て、映画もドラマも主役格でしか出演しないポジションになって、でもそこは変わらない。

年齢が上がったぶん、余裕のあるお姉さん、という役どころになって、それでいて「わたし、かわいいでしょ」という気配はまったく消えない。

そこがいい。

おそらく好き嫌いが分かれるところだろうが、私は圧倒的に好きである。

若いころよりいまのほうが、その魅力がわかりやすくなっているようにおもう。

このドラマでも「引っ張っていくしっかりした姉さん女房」を演じ、しかも二人は好き合ってとても仲がいい。

そういう大河ドラマを見て、かなり感心している。

軽やかな家康の妻には、こういうノリのいいしっかり者が似合う。

やがて天正七年にやってくる悲劇

少年少女のころからむつみ合っていた二人は、やがて悲劇に見舞われる。

このドラマではおそらくかつてない「瀬名の最期」が描かれるであろう。

そうでないと困る。

家康のそばに強く寄り添う瀬名が、ついに殺される日が来るのだ。

見たいわけではないが、でもいつかはやってくる。

おそらく大河史上かつてないほどの哀しみが描かれるのではないか。

ここまで仲の良い家康と瀬名は描かれたことがないのだ。哀しみの幅はとてつもないものになるだろう。

そして『どうする家康』のピークはそこになってしまう。

そうおもえてならない。

いっそ瀬名が悪女であれば、と、そのときおもうのかもしれない。

でもそんな変転はないだろう。

二人の愛を強く描きつづけ、やがて悲劇を迎える。

それが『どうする家康』というドラマなのだ。

覚悟はしておいたほうがいい。

ドラマはまだ永禄年間である。

これから姉川の戦いがあり、比叡山焼き打ちがあり、三方ヶ原の戦いがあり、長篠の戦いがあり、天正の七年になってから、それから覚悟を決めなければいけないのだ。

腹を括って見守っていくしかない。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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