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取材拒否「ラーメン二郎」の内側を見せた驚愕の番組『ラーメン二郎という奇跡』 そこで明かされたこと

堀井憲一郎コラムニスト
(筆者撮影)

取材拒否の店『ラーメン二郎』がドキュメンタリーになった奇跡

3月30日の深夜、『ラーメン二郎という奇跡〜総帥・山田拓美の“遺言”〜』というドキュメンタリーが放送された。

ラーメン二郎はふだん取材を受けない。

ラーメン二郎の創業者で「総帥」と呼ばれている山田拓美がカメラに向かって語るのはとても珍しい。

2019年2月に「慶應義塾特選塾員」に選ばれたこと、および翌年におこなわれた「喜寿の祝いパーティ」向けに撮影されていたものから、このドキュメンタリーが制作されたようだ。

今回だけの特例である。

今後も取材は受けないと「ラーメン二郎グループ」として(つまり全国42店舗がまとまって)番組最後に断りを入れていた。

宣言とも言える。

ラーメン二郎は、今後も取材を受けないのだ。

ナレーションなしの深夜のメシテロ

ドキュメンタリー『ラーメン二郎という奇跡』は60分、ナレーションがなかった。

これ、ノーナレだっけ、とおもいながら見ていた。(ふだんのNONFIXではナレーションが入っていることが多かったはず)

ナレーションなしの効果がもっとも強く烈しくあらわれていたのは、総帥が一杯のラーメンを作るところ。

麺を茹で、スープを作り、麺を入れ、野菜をのせ、ブタをのせ、はい、とカウンターに置くまでを何の説明もなく映されていた。

この瞬間、テレビ前のすべての二郎好きが「うおーー!」「食いてーっ!」と叫んだことだろう。

わたしもおもわず「メ、メシテロだっ!!」と叫んでしまった。

この時節、深夜1時すぎにラーメン二郎を食べる手立ては、ほぼ、ない。

「いま、食いてぇーーっ!」という叫びが渦巻く

ただ私は、このドキュメンタリーが放送されればラーメン二郎三田本店はかなり混むだろうと見越して、じつは放送10時間ほど前、3月30日の昼さがりに三田本店に行って、しっかり一杯食べてきていた。(53人待ちでしたが)

まだ、腹のどこかに麺とアブラが残っていそうな気配を保っていたので、メシテロだとおもったが直撃はまぬがれた、という感じであった。

画面から匂いが強烈に漂ってきた。

いやはや、めっちゃうまそうだった。

関東中の空に「いま、食いてぇーーっ!」という声が渦巻いていたようにおもう。

和食の小僧から始まった

ドキュメンタリーとしても、とてもおもしろい番組でもあった。

一代でラーメンの一分野を築き上げた人物から話を聞くのだから、おもしろくないわけがない。

高校卒業後、和食の職人として「小僧から」働き出したらしい。

都立大学駅ちかくに最初の店を出したけれどまったく人気がなかったと語る。

つい聞き入ってしまう。

けっこう、やんちゃな人だなあとおもって眺めていた。

「サイレン鳴らさないで来てください」

小僧時代に厨房で急かされたので、頭にきて仲居頭の頭から天ぷらの粉をかけてクビになった話とか、慶応大学の近くに移転してから慶応生と仲良くなり体育会系の学生たちと飲み歩き、ときに「サイレン鳴らさないで来てください」と救急車が呼ばれた話とか、武勇伝も語られていた。

昔はそういうことも笑って話されていた、そういう時代の空気を私はよく知っているので、いろいろ想像できる。

佃生まれの江戸ッ子

総帥は佃の生まれだというのも知った。中央区にある佃島である。

佃島のことを「勝どき橋の手前のところ」と語っていたのが新鮮で、勝どき橋の手前って言えば築地じゃないかとおもっちゃうのはこっち側の人の感覚であって、佃生まれは佃島を「勝どき橋の手前」と言うのか、と感心してしまった。

「親っさん」の喋りが歯切れがいいのは、つまり江戸ッ子だからなのだ。

気っ風も喋りも、いかにも江戸ッ子である。

口が悪くても、それは「五月の鯉の吹き流し、口先ばかりで腹わたはなし」で風通しのいい性格なのだ。

落語を聞いているみたいだ。

ラーメン二郎の弟子には階層がある

そもそも弟子を取るというシステムも落語とよく似ている。

破門されると身分を失うというのも江戸から続くシステムである。

しかも弟子にも身分というか、階層があるらしい。

一番下が「麺を作っているのを黙って見てるだけ係」、その上が「麺を作る係」、三番目が「厨房に入って助手のアシストをする係」、そのあとやっと「助手」になって、「昼のすいてる時間に一時間ラーメンを作る」というところまでいく。

二年くらいかかるよ、とぼそっという。

見習い、前座、二ツ目と上がっていく落語界と同じだ。

どうしても時間がかかるのだ。促成というわけにいかない。

しかも「教えないけどね」と言っていた。全部見せてるから、それを自分でどうやって習得できるかがすべてらしい。

あらゆる芸に通じる機微である。

たぶん、ラーメン二郎の世界は、そういうところがおもしろいのだ。

修業時代にバックレていたひばりヶ丘駅前店主

インタビューでもっとも多く話していたのがひばりヶ丘駅前店の店主。

二郎好きのなかでは「二郎の海老蔵」とこっそり呼ばれているかっこいい店主なのだけれど、彼が修行中にバックレようとしたことがあるらしい。総帥から電話がかかってきて、怒られて、止められた、という。

この話がよかった。

謝って現場に戻ると、そこではまったく怒らなかった、それがかえってこたえた、という言葉が沁みてくる。

織田信長と武将の会談のよう

新しく支店を出すときの方式も、興味深かった。

あらたに出そうとおもっている希望の場所を聞き、そこから一番近い支店の店長に「ここに出したいと言ってるがいいか」と聞くらしい。「ああ、がんばれよ」と言ってくれなければ却下となる。

評議委員会で決めると言っていたが、私には戦国武将が板敷きの間に集まって会談している風景しかおもいうかばない。

総帥は織田信長。

こやつがあらたに越谷に城を築きたいと申しておるが、どうじゃ、と上座から信長が聞く。コブシを板の間に付き、柴田勝家や滝川一益、明智光秀らが答える。

そういう板敷きの間の会談しかおもいうかばない。

三田本店総帥のパァパァ喋りの魅力

ラーメン二郎の魅力は、やはりこの総帥「山田拓美」の人間の魅力と表裏一体になっていることがわかる。

三田本店に行くと、特に午後ゆっくりめにいくと、総帥は何となく店内に立っていたり、雑用を手伝っていたりしながら、パァパァ喋っている。

それが楽しみなのだ。

「京葉線って風が吹くとすぐ止まるよなあ」と、これは台風の日に行ったとき、そのセリフをずっと繰り返していたことがあった。目が合ったお客さんに「なあ、京葉線は止まるよなあ」と声かけて、驚いた客が「あ、あの、ぼく大阪から来たんでちょっとわかりません」と答えたりして、ずっとなんか楽しいのだ。

「真似すんなって気持ちはある、ふざけんな」

インスパイア二郎、「二郎系」と呼ばれる分野、まあはっきり言えば「勝手に真似してる二郎系」「ニセモノ二郎」について、総帥はおもしろくないとおもっているというのは、弟子のツイートやらでうっすら聞いていたりしたが、本人がはっきりそう発言したのを見られて、これは気持ちよかった。

「二郎系」という分野ができあがり、名前を使われていることについて聞かれ、

「うれしかねえよっ」とはっきり答えた。

「真似すんなって気持ちはある、ふざけんなって気持ちがあるに決まってるよ」

「むかつくよ、やって欲しかねえよ」

そう言い切るところが痛快である。

落語の啖呵を聞いてるみたいだ。

おもにラーメン二郎だけに通っている人間として、ニセモノ二郎を作ってる人、それを「二郎系」と呼んで売っている店は何だかなあとおもっていたし、それを食べに行く人がいろいろ言っていることにも忸怩たるおもいがあったので、こういう啖呵を聞くとすっとする。

痛快である。

総帥の人柄が楽しい

見終わって「総帥」山田拓美の人柄が楽しかった。

ラーメン二郎のラーメンの細かい部分には触れられてなかった。

「なぜ、あんな食べきれないほどの大盛が基本なのか」という点はそのままである。

スープ、麺、ブタ(ぶっといチャーシュー)について語り、その中でもやはり「麺」についてが一番自慢げだったとおもうのだが、その三つのバランスについても語っていない。

ほんとはそのあたりにラーメン二郎の本質があると、私は個人的に勝手におもっているのだが、それは語られない。

それでいいのだろう。

たとえば、本店にはレンゲを置かない理由も(だいたい推察はできるのだけれど)、総帥が説明するとおもしろそうだったのだが、でも、それは語るべきほどのものではない、ということのようだ。

二郎の「小」はラーメン2杯半ぶん

さて、このドキュメンタリーを見て、初めて行ってみたいとおもった人もいるとおもうので、近年しきりに通っている者として(年間120〜190回くらいなので、中の上くらい、そんなたいしたものではないですが)アドバイス。

その1、「ラーメン小」という「小」の文字に騙されないで。

「小」という呼称は、いわば二郎厨房内の隠語で、「大盛ではないほう」という意味でしかない。

「ふつうの女性でも楽しく食べきれるラーメンの量」を基準とするのなら、「小」はだいたいそれの2杯から2杯半ぶん(三田本店を基準に話してます。神保町とかだともっと多い)。

小は、ラーメン2杯半だとおもってくだされ。

「大」にいたっては「女性でも楽しく食べられるラーメンの4杯ぶん」の覚悟でのぞんでもらいたい(ちょっと脅しが入ってるけど、覚悟としてそれぐらいを想像しておいてください)。

「せっかく二郎本店まで来たんだから、少ない量のを食べるのも残念だから、小じゃなくて大にしましょうよ」と選択して激しく頓死する、と事例を数々聞き及んでいるので、御注意あれ。

呪文は唱えなくていい

その2、ラーメンが出される前に周りの人は「カラメニンニクヤサイ」「ニンニク少しにアブラマシヤサイマシマシ」など意味不明のことを言いますが、気にしないようにしましょう。

あれは「ラーメン二郎 悪魔の教団」に魂を奪われてしまった人が、悪魔との契約のために唱えている呪文だとおもってください。(ほんとにそうだから)

ふつうの人間として生きていくなら、真似しないでいいです。

店が聞いているのは「ニンニクを入れますか」だけです。日本語通じない人には「ガーリック、オッケー?」と聞いてます。

真っ当な人間なら、「お願いします」「いえ、いりません」のどちらかの答えで十分です。

悪魔の呪文を真似ると初回で頓死する可能性が高まりますので、良い子は真似しないでいいですからね。(おれは真似して頓死したい悪い子だというのなら無理には止めませんけど)

以上、御注意ください。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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