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朝ドラ『おちょやん』の大阪言葉の深さ それを演じきる杉咲花の圧倒的能力

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:Splash/アフロ)

NHK朝ドラ『おちょやん』は大阪を舞台にした物語である。

モデルは浪花千栄子。

「浪花」を芸名に冠して、いわば大阪を背負っていた女優の物語である。

『おちょやん』から見る大阪の内と外

物語は彼女の生まれ故郷の河内から始まり、やがて道頓堀の芝居茶屋の話になった。

12月の道頓堀での最後の話では、お茶屋の「ご寮さん」シヅ(篠原涼子)が、啖呵を切って借金取りを追い返した。

「これ以上、よそ者が大きな顔をしてたら、どないなことになるか、わからしまへんで……二度と、この町に足を踏み入れんこっちゃ」

ヒロイン千代の父の借金を肩代わりし、まだつきまとうようなら許さない、との宣言である。見ていて胸がすくおもいである。

この物語では、ヒロイン千代もその父も「河内」の育ちで、どうやら借金取りも河内からやって来たらしい。

大阪の道頓堀は「摂津」の国にあり、河内とはもとは別の国である。

「ご寮さん」が、彼らを「よそ者」と言い放ち、「この町に足を踏み入れんこっちゃ」と言うのは、そこの部分をおさえてのセリフである。

このやくざな借金取りたちは「いつまで待たしくさんね」「出すのやったらもっとはよ出しさらせあほんだら」と、河内言葉で話していた。

道頓堀の人たちは、こんな言葉遣いはしない。

そこはきれいに使い分けられている。

摂津・河内・和泉の三国から成り立っている大阪

大阪府はさほど大きくない行政区域であるが、もともと三つの国からできている。

「摂津」と「河内」と「和泉」の三つで、これは律令制が定められたときから分けられている。つまり千三百年前から違うエリアだったというわけだ。

それぞれ言葉が違う。

もともと細長い大阪府だが、まず縦に半分に割る。

その右半分、大和(奈良県)と接している部分が河内になる。

左半分の細長い部分を、こんどは真ん中当たりで横に切る。

上半分が摂津。下半分が和泉になる。

だいたいそういう三等分の見当である。(北を上として考えてください)。

ただ「摂津」はそこだけではなく、まだ左(つまり西)エリアに広がっている。神戸市が摂津国の西端になる。もともと「大阪と神戸」は同じ国だったのだ(もちろんあいだの西宮、尼崎、芦屋、宝塚なども摂津国に入る)

摂津国の右半分(東半分)を大阪府に入れ、左を兵庫県に編入した。たしかにこのエリアがないと、兵庫県は中心がかなり弱くなってしまう。

大阪府の中心である「大阪市」はほぼだいたい「摂津」に入る。

「はい」は訛りなので「へえ」という正しい言葉に直される

河内の言葉と、和泉の言葉(泉州弁)と、大阪(摂津)の言葉はそれぞれ違う。

『おちょやん』でもわかりやすく描かれていたように、河内言葉はやや荒っぽく、方言色が濃くなっている。

摂津の言葉が大阪言葉の中心にある。

『おちょやん』では9歳で河内の田舎から大阪の中心の道頓堀へ出て来た千代が、何度も言葉を直されている。

印象的なのは「はい」と返事をしたら直されるというところである。

「はい」と返事すると、「“はい”やのうて“へえ”」と直されるのだ。

直されて「はい…あ、へえ」と答えてしまうところがかわいい。

ぼんやり見てると見過ごすが、これは「はい」では訛っているので直しなさい、という意味になる。ここでの正しい返事は「へえ」であって、「はい」というような地方の言葉を使うのではありません、と「大阪の道頓堀」では教えているわけである。

このへんの感覚がたぶんかなりわかりにくくなっているとおもう。

「大阪の商人が使うちゃんとした言葉」が共通語として存在していた

「大阪の商人が使うちゃんとした言葉」という言葉があった。

摂津の言葉とも少し違う。

いうなれば「大阪商人独自の共通語」というようなものである。

先人がいろいろと努力や工夫を重ねて、きれいでわかりやすい言葉を作った。

京都言葉に似ている部分があるが、それはおそらく上品な印象を与えるため、意識的に貴族的な言葉を取り入れたからだとおもわれる。

共通語といってもみんなで使うわけではなく「大阪の真ん中あたりの商家で働いている人限定」のものである。

「大阪の真ん中あたり」は船場であり、商業の中心はそこにあったので「船場ことば」とも呼ばれる。

そういう言葉を作らないといけないくらいに、大阪の商業地区には地方からいろんな人がやってきていたのだ。

『おちょやん』の千代がまさにそうだ。

大正五年、河内の田舎から道頓堀に出て来たとき、街を見た彼女の第一声は「おとぎの国やんけー」であった。

同じ大阪府の中でも、少し離れると都鄙の差は激しかった。

大阪が日本一の都市だったころに言葉が作られる

徳川時代には、大阪は日本一の都市であった。

(ちなみに当時は大坂と「坂」の字で書かれることが多く、『おちょやん』の舞台は大正時代だが、場所説明の地図では「大坂」の文字が当てられている。たぶんこれはいくつかのことを示唆しているとおもわれる)。

徳川時代、日本中の米が大阪に集められていた。当時の米は金銭の代替品でもあったから、つまり日本中の富がまず大阪に集中したのである。

日本一活気にあふれた街だったと言っていい。

そのころの江戸は、人が集まっている街であった。大阪よりも人口は多かったが18世紀ころは(元禄から寛政ころ)はまだまだ新興開発都市という気配が強く、大阪のほうが活気に満ちていたように感じられる。

日本一の街には、まわりからいろんな人がやってくる。

河内、和泉はもちろん大和や紀伊、播磨、近江、丹後、因幡などからどんどん人がやってくる(奈良、和歌山、兵庫、滋賀、京都、鳥取など)。

また、四国の人が、ひと旗あげようとおもえば、たいがい大阪へ出てくるものであった。

「上京」に対して「上阪」という言葉がふつうに使われていた

「上阪」という言葉がある。

東京へ行くことを「上京」というように、大阪へ行くことを「上阪」という。

東京エリアではあまり聞かないし、関西でも最近使っているのかどうかわからないけれど、でも、昭和のころはまだ使われていた言葉である。大阪が元気で、西日本人が大阪を目指していた時代にふつうに使われていた。

大阪が元気だった時代というのは、18世紀から始まり19世紀がピークだったとおもう。

20世紀に入って東京への一極集中が高まり、「西日本の中心地」としての大阪の地位が下がっていった。

大阪としては、18世紀は日本で第一位の完全なトップ都市であり、19世紀には江戸(東京)と同等のトップ2、そののち東京とは少し差がついたにしても東のトップに対しての西のトップ都市という自負があった。20世紀になっても(ドラマ『おちょやん』のころでも)まだその位置にあった。ところが20世紀の後半になって(戦後ですね)、急に東京だけが飛び抜けてしまって、大阪はいつのまにか「“トップ2の西のほう“から“地方都市のなかで一番大きな都市”に降格」というような状況になってしまったのだが、大阪はぜったいにそれは認めない。われわれは日本トップ2の一角を担っている、との主張を緩めようとしないみたいで、なかなか大変そうである。(大阪府を「都」にしたいというのは、その流れのなかにあるように見える)。

それはいい。

商人のための共通語が大阪の標準語になっていく

大阪の商人言葉が形成されたのはおそらく18世紀ころで、近代以前だから、つまり「日本は一つにまとまらんといかんぜよ」という概念の薄かったころである。各エリアは各エリアで完結して生きていた。それぞれの国でそれぞれの言葉で話し、それでまったく問題がない。“方言”という概念さえもない。

だから、大阪の商人は自分たちの言葉を作っていった。

いろんな地方の人が入り交じって言葉が混じって形成されたとみることもできるし、そういう言葉を用意していろんな地方から働きにくる人の便宜を図ったと考えることもできる。

地方から来て大阪で働く人は、まず言葉を覚えさせられた。

大阪中心エリアの商売人たち限定ながら「共通語」が形成され、それがのち大阪の標準言葉となるのである。そしてこの言葉は、明治以降の日本標準語の形成にも影響を与えている。

『おちょやん』で使われていた心地よい言葉

船場ことばとも呼ばれる言葉は、どんな言葉かといえば、『おちょやん』でヒロインの千代が使っている言葉である。

いまは京都編であるが、その前、大阪の道頓堀編では、篠原涼子のご寮さんを始め、みんなが使っている言葉がそれだった。

河内の育ちでかなり荒々しい言葉を使っていた千代は、道頓堀で仕込まれ、きれいな大阪言葉を使う人になっていった。

聞いていてとても心地いい。

とくに芝居茶屋のご寮さん(篠原涼子)、お家さん(宮田圭子)の言葉がきれいだった。

それは道頓堀をドウと伸ばさずドトンボリと呼んだり、「具合悪い」のことを「グツが悪い」という少し訛りじみたところまで含めて、心地よい言葉であった。

毎日聞いていて、ちょっと幸せな気分になった。この言葉だけを毎日聞いていたいな、とぼんやりおもうくらいであった。

朝ドラとしてはちょっと珍しい心地よさであった。

「旦さん」の妻が「ごりょんさん」 母が「おえさん」

大阪の商家では、主人は「旦那さま」から転じて「だんさん」、だんさんの妻は「ご寮人(ごりょうにん)さん」をつづめて「ごりょんさん」、旦那の母は「お家さん」から「おえさん」と呼ぶ(「おぃえさん」とと小さい「ぃ」を入れる人もある)。

大阪の落語ではふつうに使われている言葉である。

浪花千栄子からもう少し下の世代までは、「どこへ行っても恥ずかしうない言葉」としてこの言い回しを叩き込まれたようだ。

いま大阪では、この言葉を話せる人もかなり少なくなっているとおもう。

朝ドラ『おちょやん』の舞台は、河内から始まり、道頓堀へ移った。(さらにいまは京都へ移っているが)。たぶん大阪内のこの別の2エリアを描いたことがより「きれいな大阪ことば」をきっちり聞かせるもとになっているとおもう。

杉咲花の大阪言葉に対する尋常ならざる能力

それにしてもあらためてすごいとおもうのは、ヒロインを演じる杉咲花である。

関西の出身ではないのに、彼女の使う大阪ことばは、うまいとかへたとかを超えて、心地いいのだ。ちょっとすごい。

もともとの船場ことばは、聞く人を心地よくするために使われていたから、彼女はその精神を先にさっとつかんだのだろう。凄まじい能力のようにおもえる。

杉咲花は、「河内育ちながら大阪の道頓堀で奉公して8年、しっかり船場ことばが身についたおなご衆(お茶子)」役として第三週から登場した。

いつもきれいな大阪言葉を使いながら、ときに激して、ふっと河内言葉がでる瞬間がある。

一人怒るとき、誰に向かってでもなく怒鳴りだすと、河内言葉なのだ。

これもまたすごいとおもった。

「河内出身だから、ふっとしたときに河内言葉が出る。でも次の瞬間、人に声をかけられたらすっと船場ことばに戻っている」というのは、そういう育ちの人はふつうにできるだろうけれど、それを難なくやり通す東京出身の女優というのはいろんな意味で凄いとおもう。言葉を覚えるというレベルではなく、もっと深いところでヒロイン竹井千代に入り込んでいるからだろう。

畏るべき力をもつ女優さんだ。

なにげないぶん、気がつくとひたすら畏敬の念を抱くばかりである。

まだまだ物語はこれからである。

京都編も、楽しみである。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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