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「心地いいテンポ」と「とてつもないやさしさ」の物語である『鬼滅の刃』の本質

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

最新話までのネタバレを踏まえて『鬼滅の刃』への評価

週刊少年ジャンプに連載されている『鬼滅の刃』では、鬼との戦いがほぼ終わった。

以下、ジャンプ最新号(23号)掲載204話まで、きっちりネタバレしているので気をつけて読んでください。ひとつの文学作品としてその全体像を評価してみたいからです。

5月11日(月)発売のジャンプ23号に載った204話は「鬼のいない世界」というタイトルになっていて、おそらく戦いが終わったのだとおもわれる。最終話になるのかとおもったがまだ204話は最終話ではない。

圧倒的な疾走感に満ちた『鬼滅の刃』

2020年の不安定な日本社会で大きく支持された『鬼滅の刃』をふりかえってみるといろんな魅力に満ちている。

ひとつはテンポがいいというところにあるだろう。

話が早い。圧倒的な疾走感に満ちている。

5月13日に発売された単行本が20巻で最終決戦の中盤である。ただこの戦いは長く、あと3巻、23巻まで続くはずである。(23巻の発売は今年12月予定)

23巻で完結するのなら、けっこうコンパクトにまとまった漫画となる。

一日ずっと時間があれば一気に読めるだろう。そんなに急がなくても、二、三日あれば読み切れる分量である。

漫画の長編化は、少年ジャンプが異様に売れ出したころから顕著になっていった。

読者の熱気に押され連載は長く続けられ、連載を追ってるぶんには単行本で50巻を超えようが気にならないが、あとから入り込む者にとってはそこまで長いと腰がひけてしまう。

世界的な人気の『ワンピース』はすでに単行本が100巻に到達せんばかりになって(いま96巻既刊)それが新読者を取り込む壁になっている。とても一気には読めない。

いま二十歳前後の若い世代にとっては生まれる前から存在してる異世界であり、アニメなら少しは見たことあるけど漫画そのものはほぼ読んだことがない、という若者が大勢いる。

そういう点でも『鬼滅の刃』のテンポの良さは素晴らしい。

一気に大きく売れたのは、20巻ほどだったら一挙に買って一気に読めるから、という手軽さもあったからだろう(それがためか、まだ品不足気味であるようだが)。

コンパクトさとテンポのよさが人気の要因の一つだと考えられる。

主人公の竈門炭治郎の「成長の物語」でもある。

早いテンポだと、その成長ぶりをよく実感できる。

明治生まれの主人公の「大正時代」の物語

炭を焼いて暮らしていたふつうの少年が、家族を鬼に殺され妹を鬼にされたことによって、鬼狩りの部隊「鬼殺隊」へと入る。鍛錬と実戦によって、抜きん出た戦士になっていき、多くの人を救う。

自分一人で努力すれば世界を救えるかもしれないという物語は、いつの時代も少年少女の心を捉えて放さない。そして少年少女はあまり想像できないだろうが、そういう物語は大人の心も強く揺さぶるのである。

物語の始まりは大正時代に入ってすぐあたりだ。

炭治郎は明治30年すぎの生まれだろう。昭和天皇の少し年上あたりなので、長生きすれば、昭和の終わりころまでは(つまりほぼ同年の陛下の御代の終わりぐらいまでは)存命だったかもしれない世代である。

物語のなかの時間経過は、あまり明確にされていない。

6巻44話の時点で1話のことを振り返って「あれは2年前」と言われてるくらいである。(言っているのは1話で炭治郎を見出した冨岡義勇)。

炭治郎と鬼との戦いは10回描かれている。

そのうち最初の戦いは、修行場を目指している途上で偶然出会った鬼との戦いで、「鬼狩り(鬼殺隊員)」になる前のことである。

二つめは、「鬼殺隊員になるための最終選考」での戦いで、鬼殺隊が囲っている鬼と戦った。テストである。ただ、テストとはいえ参加者の十数人は鬼に食われて殺されている。

この二つをのぞくと、主人公の炭治郎が「鬼殺隊員=鬼狩り」として戦ったのは8回ということになる。

並べてみる。(カッコ内は収録の単行本巻数)

1・三つの首がある土中の鬼との戦い(2巻)

2・手鞠の鬼・矢印の鬼との戦い(2−3巻)

3・鼓で部屋を入れ替える鬼との戦い(3巻)

4・那田蜘蛛山の戦い:ランク11位の蜘蛛鬼との戦い(4−6巻)

5・無限列車の戦い:ランク7位および3位の鬼との戦い(7−8巻)

6・吉原遊郭の戦い:ランク6位の兄妹鬼との戦い(9−11巻)

7・刀鍛冶の里の戦い:ランク4位と5位の鬼との戦い(12−15巻)

8・無限城の戦い(最終戦:ランク新6位・新4位・3位・2位・1位の鬼および総支配鬼との戦い)(16〜23巻:既刊は20巻まで。21巻以降は本年7月・10月・12月発売予定)

鬼にはわかりやすいランク付けがされており、主人公たちはほぼ下から順に倒していくことになる。

そういうところもわかりやすい。

(鬼のランクは作品内では「上弦の壱・弐・参・肆・伍・陸」、「下弦の壱・弐・参・肆・伍・陸」と表されているのだが、ここでは通してランク1位から12位と記していく)

「8つの戦い」を通じて成長していく物語の深み

8つの戦いに出現する敵はどんどん強くなり、それを通して主人公が成長していく。

1巻での主人公は修行の身である。

修行をおえて2巻と3巻で3つの戦いで鬼を倒していく。

最初の3つの戦いは、テンポが早い。

1戦めが4話分(10−13話)、2戦めも4話分(15−18話)、3戦めが6話分(20−25話)だった。

彼独自の才能と努力によってクリアしていった。

最初はそんな強大な鬼ではなかった。

「まじめに毎日修行すれば人は必ず強くなれる」というテーマがきちんと守られている。

ただ4戦めで挫折する。

4戦め・那田蜘蛛山の戦いでは、手下の鬼を倒したあと、メインの鬼(ランク11位・累)の首を斬るがそれでは倒せなかった。身体が動かせず殺されかけたところで「鬼殺隊のトップ9」の2人に助けられる(トップは“柱”と呼ばれている)。

炭治郎の力だけでは、強大な敵は倒せなかった。生き延びることはできたが間一髪だった。大きな挫折である。

これが17話ぶん(28−44話)で描かれている。

5戦め・無限列車の戦いでは、最初の敵(ランク7位の魘夢)は倒すが、直後に現れた強敵(ランク3位の猗窩座)にはまったくかなわず、しかも「鬼殺隊のトップ9」の1人・煉獄杏寿郎が殺され、鬼は逃げてしまう。炭治郎は大きく敗北感に苛まれることになる(12話ぶん/54−65話)。

炭治郎としては4戦・5戦は敗北と言える。

主人公の力の限界を明確に描くことによって、この物語はぐっと深みを持つことになった。ジャンプ連載でこの作品に惹かれたのは、ここからだった。

6戦めは吉原遊郭での戦い。

ここでも一緒に戦った「鬼殺隊のトップ8」の1人・宇随天元は強敵(ランク6位の妓夫太郎・堕姫)に片目を潰され片腕を切り落とされ、引退を余儀なくされる。(27話ぶん/71話から97話)

かろうじて勝ったが、代償は大きかった。

哀しみに覆われるが、主人公たちは前に進むしかない。

このあたりから、敵を倒しても、必ず同時に何かを失っていくことになる。読んでいる者も自然、そういう覚悟を持つようになる。読者に覚悟を決めさせる作品の力がすごい。圧倒的に巻き込まれていく。その中心はおそらく炭治郎の魅力によるものだとおもう。

7戦め、刀鍛冶の里の戦いは、鬼殺隊側の基地が襲撃された戦いである。

ここから戦いの位相とレベルが変わってきた。

刀鍛治は犠牲になるが、ランク4位と5位という強敵を前に、鬼殺隊のメインメンバーに大きな被害は生まれない(22話ぶん/106話から127話)。

何かが変わってきた。

何がどう違うのかは読んでいる途中ではわからなかったが、違う位相に達していたのには気がついた。言葉で説明しないところがうまい。

被害が少なかったぶん、主人公側の勝利だったといえる。

この勝利のあと、しばらく鬼と遭遇しなくなり、主人公ら隊員はひたすら訓練・修行に励むことになる。

そして、この7戦めとそのあとの修行の時間は、最後のタメだったことがわかる。

16巻後半で鬼殺隊の指令本部は爆破され、急転直下、そのまま最終戦へと突入する。

たたき込むような展開だった。読んでいるだけで息が弾んでくる。

8戦めが最終戦である。

12の鬼を倒していくその魅力的なテンポ

強い鬼は「十二鬼月」と呼ばれ、つまり12鬼存在していた。

6巻でその11位鬼を殺した。

残り11鬼となったとき、鬼の支配者・鬼舞辻無惨は下位ランクの鬼を集め、それぞれの覚悟を質した。それに応えられなかったランク8,9,10,12位の鬼はその場で抹殺された。

上位ランク鬼は6巻で7鬼だけになっていた。

そして8巻で7位鬼、11巻で6位鬼、14巻で5位鬼,15巻で4位鬼を倒し、16巻から最終決戦への突入である。すごいテンポだとおもう。

最終戦は上位の3鬼(及び新ランク2鬼)と、ラスボスの鬼舞辻無惨との戦いであった。

鬼殺隊もフルメンバーで戦う。

これまでバラバラに登場していた鬼殺隊メンバーが全員登場して、オールキャストで、最高ランクの鬼を倒していく。ちょっと名を並べてみたい。

ランク新6位の鬼は過去の因縁から吾妻善逸が倒す。

ランク新4位の鬼は伊黒小芭内と甘露寺蜜璃と愈史郎。

ランク3位は竈門炭治郎と冨岡義勇。

ランク2位は胡蝶しのぶ・栗花落カナヲ・嘴平伊之助。

ランク1位は不死川実弥・不死川玄弥の兄弟・悲鳴嶼行冥・時透無一郎。

ランクが下のほうから倒していく。このへんの秩序が保たれているのが、この作品の魅力である。

一挙に戦っているのだから、順が前後しそうなものだが、それでもきちんと秩序どおり、ランク順に滅ぼされていく。

そういうところが読んでいて気持ちがいい。

「とてつもないやさしさ」の物語である『鬼滅の刃』

ただ、この上位の鬼との戦いで、鬼殺隊のほうも次々とメンバーが欠けていく。犠牲が出る。鬼に呑み込まれてその姿さえ残っていない者もいる。

最後は鬼の支配者・鬼舞辻無惨との戦いである。

「鬼殺隊トップ」は5人まで減った。

それと竈門炭治郎および同期3人(奇跡の世代と呼んでいい若い隊員たち)。

総力戦で挑むが、ラスボスは強大だった。

191話で鬼殺隊はいったんすべて倒されてしまう。

しかし、竈門炭治郎がひとり復活し、ボス鬼と1対1で対決する。炭治郎は数百年前に鬼舞辻を追い詰めた武士の型を不思議な力で習得し、同じように追い詰める。

大きな見どころである。

鬼舞辻無惨は千年を越えて生きてきた単体の化け物であり、竈門炭治郎は十数年生きただけの少年である。しかし炭治郎には数百年を越えて人が人へと伝えてきた知恵と想いがのしかかり、彼はそれを受け止めていたのだ。

人の強い想いが集結すれば、鬼の存在を、悪そのものを、越えられるのだ。

そこへ、両目を切られた伊黒小芭内、片腕を落とされた冨岡義勇、片足を失った悲鳴島行冥がかけつけ、他の隊員も集結し、遂に鬼舞辻無惨をおさえつけ、消滅させる。

一介の炭焼きの少年が、ダークサイドの王・鬼の鬼舞辻無惨と一対一で対峙して足止めし、それが呼び水となって、倒した。

最終戦は2018年の暮れの発売号(2019年3号)掲載の139話から始まり、ジャンプ誌上で一年と少し戦い続け、2020年春になって終息した。199話。62話めである。

最後まで見事な早さで走りきった漫画であった(まだ最終話よりも前ですが)。

いろんな偶然や不思議な力を借りたが、しかし主人公の竈門炭治郎は、自らの努力によって高みへとのぼりつめ、みんなを助けたのである。

おそらくそれを可能にしたのは彼の「やさしさ」である。

倒された鬼さえも消滅する間際には許してしまうその広大なやさしさが、あらゆる人たちの強い想いを集結させ、彼を強くした。

「テンポのいい成長の物語」でありながら人の心をつかんで離さないのは、その奥底に「竈門炭治郎の限りないやさしさ」が据えられているからだろう。

生きとし生けるものに対するやさしさを持っている。竈門炭治郎は強い。

人の暮らしは慈しまなくてはならない。

そういう大事なことも教えてくれる話なのだ。

それはいま2020年だからこそ、強く胸に響いてくる教えとなっている。

『鬼滅の刃』はまた「とてつもないやさしさ」の物語でもあるのだ。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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