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安心して見ていられた「梅宮辰夫」という人柄 ドラマの役で振り返る

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:ペイレスイメージズ/アフロイメージマート)

ドラマ『やすらぎの刻〜道〜』で梅宮辰夫が演じている役は怖かった。

主人公(石坂浩二)の父の役で、まあ、亡霊である。もう他界した父が、ときどき主人公の枕元というか寝所に現れ、語りかけてくる。シェイクスピア劇における亡霊のように見えるときがあった。暗いなかで、誰だろうとおもってよく見たら梅宮辰夫だったので、なぜかものすごく驚いてしまった。最初はしばらく気がつかなかったのだ。でもその存在感のある喋りから、誰かのはずだとおもって見ているうちに、相貌のなかに梅宮辰夫が現れて、すごくびっくりした、という感じだった。ずいぶん見た目が変わってきたなとおもった。

 

往年のスターを集めたという設定で、実際に懐かしいスターが集まって出演している『やすらぎの刻〜道〜』は、いろんな人の遺作になってしまうのは、しかたないことなのかもしれない。

『あゝ忠臣蔵』で見せた正統派の堀部安兵衛の魅力

梅宮辰夫は、東映映画のスターだった。

そのスターだった時代の派手な話から梅宮辰夫は語られることが多い。日本映画の全盛期で、映画界周縁にはいまからでは考えられないような賑やかなことが多かったからだろう。

ただ、梅宮辰夫の二十歳下の私の世代では、もうその時代の栄華をあまり知らない。

自分たちで映画を見に行くようになったころ、中学生になった1970年代には、金を出して映画を見るなら洋画だという雰囲気が強かった。日本映画を映画館で見るのは、何だかテレビドラマに金を払っているような感じがして、あまり見なかったのである。そのあたりからしばらく日本映画の興行収入はかなり苦しかったはずだ。

梅宮辰夫の映画もあまり見ていない。『仁義なき戦い』シリーズを見るにしても封切りで見るものではなく、何作かまとまって上映される二番館で見るもので、きちんと系統だてて見なかったから、あまりよくわからなかった。

ヤクザや、プレイボーイ役というのが東映映画時代の梅宮辰夫の味わいだったらしいが、そういうのにあまり触れていない。

個人的な風景になるが、私が梅宮辰夫を知ったのはテレビドラマの『あゝ忠臣蔵』である。1969年のテレビドラマだ。いま調べると全39話、4月から12月まで放映されていた忠臣蔵だった。かなり正統的な忠臣蔵だったとおもう。

梅宮辰夫は若手の武闘派“堀部安兵衛”役だった。

大石内蔵助は山村聡、大石主税は三田明、吉良上野介が山形勲、浅野内匠頭が松方弘樹だった。ほぼ生まれて初めて見る「忠臣蔵」だった。このドラマで赤穂浪士の物語を知って、そのあと本などを買って読んだ。ドラマの最初のころは見てなかったから、松方弘樹の内匠頭はあまり覚えがない。

忠臣蔵は、だいたい大石内蔵助の物語だけど、次に重要な役どころは堀部安兵衛だろう。吉良上野介や浅野内匠頭も大事な役どころだが、安兵衛は見せどころが多く、人気である。高田馬場にはあきらかに堀部安兵衛に由来するとおもわれる「やすべえ」という名前の店が21世紀になってもいくつかある。

当時31歳の梅宮辰夫演じる堀部安兵衛はすてきだった。何というか、まっすぐな堀部安兵衛だった。勝手に想像するに、本物の堀部安兵衛らしいとおもっている。つまり、熱血漢で、まっすぐ筋を通そうとする男、それでいて抜群に腕が立つ、そういうキャラクターである。ちょうど31歳で演じていた梅宮と、実際の堀部安兵衛の年令が近いということもあるだろう(討ち入りの元禄十五年時点で満32歳)。真面目でまっすぐなキャラクターが似合うというすりこみが私にはあった。

圧倒的な存在感を示したドラマ『前略おふくろ様』の板前役

次に印象深いのは1975年のドラマ『前略おふくろ様』である。

倉本聰脚本のドラマだった。主演は萩原健一。

梅宮辰夫の役どころは料亭の板頭(花板)というところである。

もとヤクザだったがきれいに足を洗って、板前をしっかり務めている。市場に買い出しに行くシーンなどもあって、のちの梅宮辰夫のいろんなイメージの元になっているようにおもう。寡黙で、頼りになる男だった。口数は少ないが、間違ったことには間違っているときっちりと言う。でも分をわきまえていて、余計なところでは口出しをしない。主人公の青年が憧れる先輩であり、見てる若者も、こんな兄貴分がいればいいな、とおもう存在だった。あれを演じていたとき、まだ三十代だったというのがちょっと信じられない。とても貫禄があった。そもそも昭和のあのころの三十代は、いまとちがって、たしかにもっと大人だったようにおもう。こっちが幼かったから、ただそうおもいこんでるだけなのかもしれないけれど。

1975年に第一シリーズが放送され、第二シリーズが翌年に放送された。

ずっと頼りになる板頭だった。

ほんとうに魚を捌いていたようで、あのときのイメージから料理のうまい梅宮辰夫というのがしっかりつながっている。

それから32年後の『拝啓、父上様』でも同じような役を演じていた。

2007年である。

倉本聰の脚本で、神楽坂の料亭の板頭だった。こんどの主人公は二宮和也。寡黙で、それでいて貫禄があって、存在感が半端ではない男を演じて、見事だった。

ただ『前略、おふくろ様』のときの三十代の貫禄と違って、ほぼ六十近い板頭だったので、主人公からはかなり遠い大人の立場になってしまっていた。もう「めちゃめちゃ頼りになる兄貴分」ではなかった。ずっとドラマを見ていたほうとしては、2007年ドラマの立場は見ていてちょっと寂しかった。

 

人によっていろんなイメージがあるのだろうけれど、ある世代、だいたい彼より二十歳下の世代からは、梅宮辰夫は「明るくまっすぐな人」という印象をずっと抱いていた。プレイボーイやヤクザというより、「しっかり前に進む人」である。べつだん後輩にいちいち説教はたれないが、必要なときに必要なことだけ言う人という役柄からその人柄を勝手に想像してたまでである。

 

その後、いろんなバラエティ番組で見かけたり、ワイドショーで娘さんがらみのコメントをしているのを見かけたが、それはこのラインからはずれてなかったとおもう。安心していつも見られた。

とても芯のしっかりした人だったとおもう。

つい最近まで現役でドラマに出ていて、それを見られたのは、何だか幸せな気分である。1969年の堀部安兵衛が私にとってのヒーローだった。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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