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期待との乖離に苦しんだ郡司莉子の再出発「五輪レースを経験できたら」

平野貴也スポーツライター
次世代のエース候補として期待がかかる郡司莉子【筆者撮影】

 期待の波は、付き合い方が肝心だ。夢に向かって大きく前進するイメージを持って臨んだ社会人生活の始めに、そんなことを思い知らされた選手がいる。バドミントン日本B代表に選出されている、女子シングルスの郡司莉子(再春館製薬所、19歳)だ。

 八代白百合学園高校2年生だった2019年に世界ジュニア選手権を優勝。同じタイトルを取り、世界の女王となった奥原希望(太陽ホールディングス)、山口茜(再春館製薬所)に続く活躍を期待されている。同年12月には、全日本総合選手権の1回戦で大学女王を破り、2回戦では、憧れの選手として名前を挙げている日本A代表の山口から1ゲームを奪う健闘。翌20年の日本B代表に入り、シニアの世界でもすぐに頭角を現すのではないかという期待を生んだ。五輪という夢を目指す郡司にとって、周囲の期待は、大きな可能性を信じさせてくれる力になった。

期待との乖離に苦しんだ、初戦敗退

 しかし、高校3年生になった20年は、コロナ禍によりインターハイや世界ジュニアなど、目標にしていた多くの大会が中止になった。日本B代表としてシニアの国際大会を経験できれば、成長を見込めた部分もあるだろうが、実戦を通じた強化ができない間に、期待と希望だけが先を走った。

 社会人1年目となった21年、郡司はつまずいた。6月の日本ランキングサーキット1回戦、同学年の中静朱里(NTT東日本)に逆転負け。まさかの初戦敗退を喫した。1年後、同じ大会で初戦を勝った後、郡司は、次のように話した。

「昨年は、自分の力不足で全然良い結果を残せず、そこから練習もうまくいきませんでした。正直、バドミントンをするのが嫌だなという時期が続いたけど、それから1年間頑張って来ました。昨年は、自分が上を見過ぎた。上に行きたい、上に行きたいと思い過ぎて、今の自分の立ち位置が分かっていなかったというのもあるし、社会人1年目で、そこのプレッシャーに勝てる気持ちがなかったのが、ダメなところだったと思います」

気持ちを切り替えられず、泣きながら練習

 高校生から社会人へ、そして代表選手へと立場が変われば、活躍が期待される舞台は大きくなる。社会人1年目から日本A代表入りを狙う。それが、郡司が目指し、周囲が期待した飛躍のイメージだった。しかし、コロナ禍で実戦感覚を失い、決して楽に勝てるほどの力量差のない相手から狙われる立場になり、期待の星として強豪実業団の看板を背負う中で「勝たなければいけない」と思えば、以前のような思い切りの良さで相手にプレッシャーをかけていく戦いはできない。

 自分を乗せてくれる波となっていた周囲からの期待は、いつしか先を走ってプレッシャーという壁に変わっていた。敗戦後の郡司は、気持ちを切り替えることができずに苦しんだ。長い目で見れば一つの敗戦に過ぎないが、自身の可能性が急激に小さくなるように感じた。大会直後に秋田県で行われた日本代表強化合宿では、練習中から涙が止まらなかったという。

「気持ちも頭も整理できなくて、2カ月くらい引きずっていました。練習の時もずっと泣いているし、ナショナル合宿に行っても毎日泣いていました。みんながいる前でも。ダッシュも走りながら泣いていました。もう嫌だ、やりたくない、そんな感じでした」

初めての本格的フィジカルトレーニングで心身を強化

日本オリンピック委員会のTEAM JAPANネクストシンボルアスリートに認定されていることからも、郡司が大きな期待を受けていることがうかがえる【筆者撮影】
日本オリンピック委員会のTEAM JAPANネクストシンボルアスリートに認定されていることからも、郡司が大きな期待を受けていることがうかがえる【筆者撮影】

 再出発の踏ん切りがついたのは、昨夏の東京五輪の前後だった。チームメイトは夏休暇に入ったが、郡司はチームに残り、池田雄一監督と、引退したばかりの仲井由希乃さんとの3人で約1週間の強化練習に取り組んだ。坂道ダッシュに、羽根置きフットワーク。羽根打ちは、ひたすらノック。初めて取り組んだ本格的なフィジカル強化に身体は悲鳴を上げたが、汗とともに流れていったものもあった。

「もう悩んでいるのがバカらしいなと思うようになってきたのが、大きかったです。今は、がむしゃらにやるしかないんだなって吹っ切れました」

 その後も所属チームで2部練習を続け、身体は、明らかに引き締まった。高校時代は、強打で点を取るスタイルで勝ち進んだが、社会人が相手になると、攻めも守りも、粘り強さが必要だ。プレースタイルも変化が求められる。

「ラリーは苦手でしたけど、早く決まってよと思わず、取られて当たり前だから次のチャンスが来たら仕留めに行こう、と思えるようになったのは、身体の部分でちょっと自信がついたからかもしれません。レシーブでも、今まで取れなかった球に反応できるようになって、今までよりラリーを1球、2球は粘れるようになったかなと思います」

22年5月は団体戦でメンバー入り、奥原らA代表に刺激

 コロナ禍がなければ、国際大会を経験しながら、より早くスタイルチェンジも進んだだろう。伸び盛りの時期に試合感覚を失った世代は、苦しみ、もがきながら、前に進んでいる。21年末の全日本総合選手権は、ベスト8。22年は3月にようやく国際大会に派遣され、4月にはメキシコインターナショナルで優勝。5月は、各国がフルメンバーで臨む団体戦、女子ユーバー杯のメンバーに選ばれ、2試合に出場した。試合よりも刺激的だったのは、A代表との練習だった。

「練習の質や意識が、B代表とは違うと感じました。つなぎ球一つにしても、試合を想定して、しっかりと足を入れて打つとか。当たり前のことだけど、どこまで意識してできているか。新たな気づきがたくさんありました。奥原さんも一緒に練習してくれたし、やっている人から言われると身に染みるし、自分を見直す機会になりました」

23年5月開始のパリ五輪レースに間に合うか

 刺激を得て臨んだ今夏の日本ランキングサーキットもベスト8。優勝した大堀彩(トナミ運輸)にストレートで敗れた。B代表の一番手として頭角を現す、という周囲の期待に応える結果には、まだ至っていない。

 しかし、前年の敗戦から前を見続けることが大事だと知った。話を聞いたのは初戦の後だったが、郡司は「今季後半に国際大会を勝っていく必要があるんですけど、パリ五輪に出られなくても出場権獲得レースを経験できたら(目標とする28年の)ロス五輪に生かせる。今の位置だと、ちょっと厳しい目標ではあるんですけど、可能性が少しでもあるならと思って、一つひとつのチャンスを物にして、アピールしていきたいと思っています」と先の目標を見つけていた。

 コロナ禍で未来のイメージが不安定になる中、勝ち急ごうとして足下をすくわれた経験から、自分を見つめ直した。社会人の世界で勝てる選手への成長を目指している最中だ。

 来年5月に始まる五輪レースに参加するためには、今季、日本B代表として派遣される国際大会でポイントを稼ぐこと。そして年末の全日本総合選手権で上位に入って来季のA代表に入ること。2つの条件をクリアしなければ見えてこない。高いハードルだが、顔を上げて楽しさを見つけて前進し続けるパワーを失わなければ、夢に近付いていけるはずだ。

スポーツライター

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。サッカーを中心にバドミントン、バスケットボールなどスポーツ全般を取材。育成年代やマイナー大会の取材も多い。

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