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「デュアルキャリア」は、日本アイスホッケー界を救えるか

平野貴也スポーツライター
デュアルキャリア採用で発足した新チーム「横浜グリッツ」の挑戦に要注目【著者撮影】

 全盛期のトップ選手や有望な若手選手が競技を辞めてしまう。そのサイクルに歯止めをかけなければならない。日本のアイスホッケー界が抱える大きな問題に、新たな取り組みで挑むチームが現れた。日本、ロシア、中国、韓国のチームが参加するアジアリーグに今季からの加盟を認められた、新生チームである横浜グリッツ(※正式表記は、アルファベットを用いた「横浜GRITS」)だ(コロナ禍で今季のレギュラーリーグは中止。日本の5チームは、国内対抗戦となるジャパンカップを10月10日から行う)。

 昨年5月に発足したばかりのチームは、プロ選手でありながら、一般会社員などビジネスキャリアも並行する「デュアルキャリア」の採用が最大の特徴だ。横浜グリッツの臼井亮人代表は「アイスホッケーだけでなく、ほかのマイナースポーツの参考にもなる形にしていきたい」と普及に意欲を示す。この取り組みの大きなテーマは、現役選手に重くのしかかっている、セカンドキャリアに対する不安の解消だ。

30歳を過ぎて初めて就職する難しさ

 16歳から米国、カナダ、ラトビア、フィンランド、ウクライナと強国を渡り歩いてきたGK黒岩義博(26歳)の話によれば、アジアリーグのサラリー環境は、世界的には決して悪くないという。しかし、世界最高峰のNHL(北米プロアイスホッケーリーグ)のような高額サラリーを得られる夢のステージとは言い難い。日本においては、チームが持つ寮やクラブハウス、トレーニングルームを使う生活で年間200~300万程度のサラリーという状況は、現役のうちは競技に専念できるが、その後のキャリアには不安が残るのが現状だ。

 GK小野航平(32歳)は、不安の当事者と言える。今季、横浜グリッツに加入し、クラブを通じて初めて会社員となった。「僕自身は、本当にホッケーしかやって来なかったので、今、壁に直面しています。社会人経験がなく(30歳を過ぎて)営業職に就いて、ビジネスの常識が分かっていないことが不安で、毎日ヒヤヒヤしています」と四苦八苦している。小野は、引退後のキャリアの準備不足に陥った自身の経験を反面教師にして、デュアルキャリアという取り組みを、若い世代に向けた一つの解決方法として提案したいと考えている。

有力選手が早期引退、人材難が日本強化の大問題

横浜グリッツの主将を務める菊池秀治。30歳で一度現役を引退し、セカンドキャリアを歩んだが、現役復帰でデュアルキャリアの可能性を体現する【著者撮影】
横浜グリッツの主将を務める菊池秀治。30歳で一度現役を引退し、セカンドキャリアを歩んだが、現役復帰でデュアルキャリアの可能性を体現する【著者撮影】

 日本アイスホッケー界では、セカンドキャリアの不安が、競技生活に大きな影響を及ぼし始めている。横浜グリッツの主将であるDF菊池秀治(34歳)は、日本のアイスホッケー界で早期引退が増えている現状について、次のように話した。

「日本代表を含めて、選手が旬な状態で辞めていく例が増えています。将来の日本を背負って立つであろう有望な学生も、アジアリーグというプロのステージを選ばずに就職をするようになってきています。いくら良い強化策や戦術を用意しても、大切な人材を失っていては、日本のホッケー界が強くなるはずがありません」(菊池)

 ほかにもスケートリンクの閉鎖問題などから、国内におけるアイスホッケーのプレー環境は厳しくなっている。競技を優先せずに部活動がない進学先を選べば、通えるクラブがなくなるということも珍しくない。プロになってもセカンドキャリアの不安を抱え、それが分かっているならばと若手が社会人になると競技を続けない……。菊池は「アイスホッケーは、辞めるきっかけが多すぎる」と問題を指摘する。

プロリーグ=夢のない世界?

 若い世代に向け、セカンドキャリアの不安解消を提示できなければ、日本のアイスホッケー界、とりわけ日本代表の強化につながるプロの世界は、多くの有望株を失うことになる。大学ナンバーワンを決めるインカレで1年次から3年次まで3年連続の得点王に輝くなど活躍したFW池田涼希(23歳)は、今春、明治大を卒業して横浜グリッツに加入した期待の若手だが、当初は卒業を機に競技を引退するつもりだった。大学に入り、優秀な先輩たちがプロに進まず就職していく姿を見て、理由を聞いて愕然としたという。

 池田は「最初は、実力のある先輩たちがプロに行かない理由が分かりませんでした。でも(給与やセカンドキャリアの問題、他の優秀な選手もプロに進んでいない)実情を聞いて、夢がない世界なのかなと感じてしまいました」と打ち明けた。選手は、優秀な選手の集団に憧れる。本来、プロリーグはその象徴だ。しかし、優秀な選手が競技を辞めるケースが増えると、プロリーグの見え方が変わり、憧れも消えてしまう。

引退決意の学生が冬季五輪を目標に

ルーキーの池田涼希は、大学卒業と同時に引退予定だったが、デュアルキャリアへの挑戦で夢を追い続ける決意を固めた【著者撮影】
ルーキーの池田涼希は、大学卒業と同時に引退予定だったが、デュアルキャリアへの挑戦で夢を追い続ける決意を固めた【著者撮影】

 プロ選手でありながら仕事も持つというデュアルキャリアの挑戦は、セカンドキャリアの不安を解消し、有望な選手が競技を続けられる環境を増やす一つのアイデアだ。池田は、大学の3学年上で寮でも同じ部屋で世話になった先輩であるFW川村一希(26歳)から横浜グリッツに誘われて現役を続けることにしたが、デュアルキャリアというスタイルは、初めて知ったという。

 両立は大変だが、辞めるはずだった競技で高みを目指せる環境に喜びも感じている。まだ挑戦は始まったばかりだが、2030年に故郷である札幌で開催される可能性がある冬季五輪の出場を夢見ている。

「企業が母体のチームで、午前に仕事、午後から競技というスタイルがあることは知っていましたが、両方に本格的に取り組むデュアルキャリアは、初めて知りました。競技も仕事もどちらも一流を目指したいです。日々、新しい刺激があり、大変さより楽しさの方が強い。競技に関しては、アイスホッケーをメジャーにしたいですし、グリッツでアイスホッケー界を変えられるチャンスがあるのなら、いずれ誰かが変えないといけないことでもありますし、自分が協力できればと思うようになりました」(池田)

両立の難しさに対する答えの提示が重要

 しかし、実業団のように選手やチーム単位で同じ会社に属するのではなく、個別に仕事を持つ場合、練習時間を合わせる難しさや、各自が就職先で評価されなければならない大変さがある。選手が雇用先で評価されるか、チームが成績を残せるか、クラブ経営が安定するか。選手、企業、クラブが互いにメリットを持てる関係性を築けなければ、成功モデルとして世に提示することはできない。

 主将の菊池は「結果を出さなければいけません。そうでなければ『デュアルキャリアなんて実際には無理。社会人の部活でしょう』と言われてしまう。競技と仕事、両方でサラリーをもらう以上、両方で評価されなければ、デュアルキャリアとは言えないし、この言葉を世に浸透させることも難しい」と強い覚悟を示した。横浜グリッツの公式戦初陣となるジャパンカップの開幕は10月10日。新たな挑戦の価値を証明する戦いが始まる。

■アジアリーグアイスホッケージャパンカップ2020

<参加チーム>

王子イーグルス、ひがし北海道クレインズ、東北フリーブレイズ、H.C.栃木日光アイスバックス、横浜GRITS(新規参入)

<試合方式>

ホーム&アウェー方式で4回戦総当たりの計40試合(1チーム16試合)、勝率により順位を決定

<開催地>

苫小牧、札幌、釧路、八戸、日光、横浜

<開催期間>

2020年10月10日(土)~12月27日(日)

試合日程>※8月20日の発表時点(詳細は、アジアリーグの公式サイト、チーム公式サイト等で要確認)

スポーツライター

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。サッカーを中心にバドミントン、バスケットボールなどスポーツ全般を取材。育成年代やマイナー大会の取材も多い。

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