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過去最大級の台風19号から1年。治水や防災政策の変更、山積みの重い課題

橋本淳司水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表
首都圏外郭放水路も台風19号の雨をためた(著者撮影)

流域治水への転換と課題

 昨年10月に、関東、甲信、東北地方などで甚大な被害をもたらした令和元年東日本台風(台風第19号)。過去最大級の台風の教訓から治水に関する政策が大きく変わった。しかし、その後も豪雨災害は発生しており、課題が浮かび上がる。

 ここでは、

 1)流域治水への転換と課題

 2)ダム運用の変更と課題

 3)水害リスクの情報開示と課題

 4)市民の避難に関する課題

 について考えていきたい。

 台風第19号で決壊した堤防は140か所(国土交通省「台風19号による被災状況と今後の対応について」)。今年7月、国は堤防やダムによる河川整備だけでは洪水を防げないとし、貯水池の整備、避難体制の強化など、流域の自治体や住民と連携して取り組む「流域治水」へと方針転換した。

 台風第19号で決壊や越水が相次いだ那珂川。水戸市や常陸大宮市では、雨が止んだ後に上流から水が押し寄せ、約2000棟の住宅が浸水した。

 ここではすでに治水方針を変えている。堤防をかさ上げすればより多くの洪水を河道で流せるが、川の水位が高いほど、破堤したときの被害は大きくなる。毎年想定外の雨が降るなかで、破堤しない堤防を造るのは難しい。そこで堤防だけに頼らず、越水を前提に流域全体で洪水をためることを考えた。

 施設として有望なのが、霞堤や遊水地という。霞堤は開口部から洪水をあふれさせる遊水効果と、上流で氾濫した水を川に戻す効果を持つ。これを住宅地のない箇所や氾濫原を中心に設置場所を選定する予定だ。

平時の遊水地(著者撮影)
平時の遊水地(著者撮影)

 遊水地は、湿原、普段は草原で希少動物の住処になっているが、雨で川の水が急増すると、その一部を貯めて下流に流れる量を少なくする役割をもつ。

 ただ、流域治水には課題もある。

 流域全体で水を受け止める場合、森林保全、水田に一時的に降雨をためる「田んぼダム」や、雨水を地中に浸透させる施設の整備なども有効だ。しかし、実際には流域全体で連動して動くのは難しい。森林が皆伐されたり、皆伐後に太陽光パネルが敷設されるなど洪水を促進する政策が推進されることもある。田んぼが減少したり、水を入れた場合の農家への補償問題など課題も多い。

 あらためてダム建設を求める声も上がる。国土交通省九州地方整備局は10月6日、「令和2年7月豪雨」による球磨川流域の氾濫により熊本県人吉市付近であふれ出した水量が5200万トンに上るとの推定結果を公表した。同時に、建設が中止された川辺川ダムがあった場合、ダムの貯水によって氾濫の水量は約600万トンに抑えられ、同市付近の浸水面積が6割程度減少するとした。

 ただし、これからの策として有効かどうかは冷静に判断するべきだ。ダム建設には巨額のコストがかかり、完成までには20年程度の歳月を要する。その間、毎年のように繰り返す可能性のある豪雨災害にどう対処するかという短期的な視点と、20年後のまちをどのようにつくるかという長期的な視点が必要だ。

ダムの運用方法の転換と課題

 国のダム運用は今年6月に変更された。台風19号の経験から、利水(水道、農工業、発電)ダムで「事前放流」を行い、一時的に治水目的に使用し、雨を貯める量を増やせるようになった。治水機能を持つダムは多目的ダムも含め、国内に約560か所。これに加えて、約900か所ある利水ダムで事前放流し、貯水能力を上げる。

 これは菅首相が総務相時代から主導してきた政策だ。

台風19号前の事前放水(著者撮影)
台風19号前の事前放水(著者撮影)

 しかし、事前放流は進路予測が可能な台風には有効だが、突発的な豪雨には対処しにくい。

 「令和2年7月豪雨」で氾濫が相次いだ熊本県の球磨川流域には6か所のダムがある。ここでは事前放流は行われなかった。

 理由の1つは地形。人吉盆地には流域内の複数の河川の合流地点があり、河床勾配は小さく川幅が極端に細くなる。水が大量に集まり、流れにくいため、事前放流はよほど計画的かつ時間をかけて行わなければならなかった。

 もう1つは想定外の雨量が短時間で降ったこと。国土交通省の事前放流ガイドラインでは、気象庁の予測データから、ダムごとに定める基準以上の雨が予想されると、その3日前から放流に向けた態勢に入る。だが今回豪雨の恐れが高まったのは、大雨特別警報が出る数時間前だった。7月4日未明に線状降水帯が発生し、同日午前5時55分に氾濫した。これでは事前放流する時間がない。

 事前放流にはそのほか2つの課題がある。1つは事前に豪雨を予測して雨が降らなかったら利水用の水が不足してしまう懸念があること。もう1つは流域自治体や市民とのコミュニケーションだ。

土地の水害リスクの情報開示と課題

 メディアでは「想定外の豪雨」と言われるが「想定外の土地利用」が被害を大きくしていることも次第に報道されるようになった。これは大きな前進だ。

 日本の堤防は江戸時代に造られた。新田開発のために堤防を造って、複雑な分岐を見せていた川をまっすぐな一本の流れに整理した。そして扇状地や湿地帯が田畑に変わった。農地は拡大したが、水害リスクのある場所に住む人が増えた。状況を改善するため、戦後、堤防の強化とダム整備が行われた。これは一定の効果を示し、災害による死者数は減少した。

 しかし、都市部の地価上昇に伴い、もともと宅地には不向きとされてきた川沿いの低湿地や土砂災害の発生しやすい場所でも宅地造成が進み、新興住宅地を襲う水害は全国に広がった。

 また、被災地でよく目にするのは、大きな被害を受けた場所で、すぐに新たな建設がはじまることだ。「令和元年東日本台風(台風第19号)」の1か月後、河川が決壊した現場で住宅建設が始まった。盛り土を行った様子もなかった。被害を受けた工場などが移転して地価が下がった一帯で、宅地開発が進むこともある。

 そこで土地の水害リスクの情報開示が始まった。

 8月から、宅地や建物の売買などを行う宅地建物取引業者(宅建業者)は、洪水や高潮による水害のリスクを購入予定者に前もって説明するよう義務付けられた。

 「令和2年7月豪雨」では、九州、中部、東北地方をはじめ、広範な地域で甚大な被害をもたらしたが、ハザードマップで浸水が予想されている区域と、実際に浸水した区域はほぼ重なっていた。「令和元年東日本台風(台風第19号)」で浸水した区域も同様である。

 そこで新たに、「取引の対象となる宅地・物件が、浸水想定区域(河川の氾濫、雨水の排除ができないことによる出水、高潮による氾濫が起きた場合に浸水が想定される区域)かどうか」の説明が加わる。具体的には、水防法の規定に基づいて作成された水害ハザードマップにおいて、対象の物件の所在地が示されることになる(仮に所在地が浸水想定区域の外にある場合でも、水害ハザードマップにおける位置が示される)。

 課題は、水害ハザードマップを作成していない、作成していても古い自治体があること。内閣府の自治体向けアンケート(令和元年台風第19号等による災害からの避難に関するワーキンググループ)によると、水防法改正前のハザードマップを使用していたり、作成していない自治体は以下のとおりで、「作成してない」が28自治体(1.8%)、「2014年度以前」のものを使い続けているが413自治体(25.9%)ある。

内閣府「自治体向けアンケート」(令和元年台風第19号等による災害からの避難に関するワーキンググループ)
内閣府「自治体向けアンケート」(令和元年台風第19号等による災害からの避難に関するワーキンググループ)

 また、大手損害保険会社の火災保険料(水害を含む)は、来年1月から、自治体のハザードマップによる水害リスクに応じた保険料になる。浸水リスクが低いと保険料は安くなり、高ければ保険料が上がる。ハザードマップだけでなく、損保が算定する保険料の動向からも、地域の水害リスクは明らかになる。

水害リスクのある場所に住むのは自己責任か

 大手損害保険会社の保険金支払額は増えている。「平成30年7月豪雨」の発生した2018年度は約1兆6千億円の支払い、「令和元年東日本台風(台風第19号)」の発生した2019年度の支払いは約1兆円となる見通しだ。

 損保会社は、大規模災害に備えた準備金を積み立てている。しかし、毎年のように大規模災害が続けば準備金が減るため、準備金を増やすために保険料の値上げで対応する。各社は19年10月に全国平均で6~7%値上げしたが、21年1月にも5%を超える値上げをする見通しで、19年度の災害を反映させた場合、21年以降もさらなる値上げが予想される。

 気候変動によって激しくなる豪雨に適応するには、水害リスクの高い場所に住まないか、豪雨のたびに迅速に避難するしかない。2年後には、土砂災害特別警戒区域における、新規の施設建設が原則禁止となる。

 住む場所をすぐに変更するのは難しい。自治体は災害後の復旧のあり方、長期的なまちづくりを変更していく必要がある。

市民の避難に関する課題

 内閣府・消防庁は「新型コロナが収束しない中でも危険な場所にいる人は、避難が原則」と呼びかけるポスターを公開。自分の住む自治体のハザードマップで、自分の家がどこにあるか確認し、ハザードマップで印をつけた場所に色が塗られていたら避難所へ避難、色が塗られていなければ自宅で避難が基本だが、いくつかの例外がある。

【例外1】色が塗られていなくても周囲に比べて土地の低い場所、崖の側に住んでいる場合は、自宅外へ避難する。

【例外2】色が塗られていても、洪水による家屋の倒壊や崩落の恐れがないハザードマップで示されている浸水深度よりも高い場所に住んでいる(高層階など)浸水しても水、食料などの備え、トイレや排水など衛生環境を確保ができる(何日分必要かは「洪水浸水想定区域図」に記された浸水継続時間を参考にする)という3つの条件が揃っていれば、自宅での避難も可能。

 市民の避難に関しては3つの課題がある。

 1つ目は、前述のようにハザードマップが整備されていないこと。

 2つ目は、ハザードマップの重要性や避難場所・避難所の確認やそれにもとづく避難行動が根付いていないこと。

 3つ目は、広域避難(大都市圏で数十万人以上が都道府県や市区町村をまたいで事前に避難する)が難しいこと。多くの市民がどんな手段で、どこの避難所へ移動するかという課題だ。

江東5区が共同で作成したハザードマップ
江東5区が共同で作成したハザードマップ

 昨年の台風19号では、東京23区のうち東部の5区でつくる協議会が、住民約250万人を対象に広域避難の実施を検討した。しかしすでに鉄道の計画運休が決まっており移動は難しくなっていた。

 また協議会は、氾濫が想定される72時間前に予測雨量が基準に達した場合に避難の検討を始めると決めていた。だが19号時は、48時間前に予測雨量が基準に達した。このような場合の対応を事前に決めていなかった。これについては内閣府の作業部会が検討を開始し、年内に最終報告をまとめる。

 さまざまな治水政策が動いているが、まだまだ多くの課題が残っている。それでも気候変動は着実に進んでいる。私たちは治水政策の変更や課題を知りながら、命を守る行動をとれるようにしておくこと、自治体は気候変動に適応するまちづくりに舵を切ることが急務だ。

水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表

水問題やその解決方法を調査し、情報発信を行う。また、学校、自治体、企業などと連携し、水をテーマにした探究的な学びを行う。社会課題の解決に貢献した書き手として「Yahoo!ニュース個人オーサーアワード2019」受賞。現在、武蔵野大学客員教授、東京財団政策研究所「未来の水ビジョン」プログラム研究主幹、NPO法人地域水道支援センター理事。著書に『水辺のワンダー〜世界を歩いて未来を考えた』(文研出版)、『水道民営化で水はどうなる』(岩波書店)、『67億人の水』(日本経済新聞出版社)、『日本の地下水が危ない』(幻冬舎新書)、『100年後の水を守る〜水ジャーナリストの20年』(文研出版)などがある。

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