Yahoo!ニュース

ガンジス川上流部の異変で流域国の水紛争の可能性

橋本淳司水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表
ランタン・ヒマラヤ(著者撮影)

地球温暖化の影響で氷の減少が続く

 8月1日は「水の日」。水のありがたさや、健全な水循環とは何かを考え、行動する日とされている。世界各地の水事情を考えることで、日本の現状を浮かび上がらせたい。

 ネパール語で「ヒマール」。神聖な場所として崇拝されてきた「世界の屋根」を眼前に、地球が生きものであると感じる。長さ2400キロにおよぶ巨山の連なりに、8000メートルを超す山が10。地上でもっとも海から離れた地から海の生物の化石が見つかる。

 5000万年前から4000万年前頃、ユーラシア大陸とインド亜大陸が衝突。両大陸の間にあった海底が押し上げられ、ヒマラヤ山脈が形成された。いまでもインド亜大陸は年間5センチメートルほど北上を続け、エベレストは毎年数ミリメートルずつ高くなっている。

 それが地震や地滑りの原因になる。2015年4月25日にネパール地震が発生したことは記憶に新しい。首都カトマンドゥから北西約80キロにあるゴルカを震源として発生し、建物の倒壊、雪崩、土砂災害が発生、死者約8900人、負傷者約2万2300人におよんだ。

 ランタン・エリアではネパール大震災の際、崩れた氷河がランタン村に襲い掛かり、一瞬にして壊滅するという悲劇が起きた。今回行ってみると村も復興し、トレッカーを迎えていた。

 ランタン渓谷の中心地・キャンジンゴンパには、U字谷の奥に6000~7000メートル級の白き秀峰を間近に望む圧巻の風景が広がる。特に朝日に照らされ輝く主峰ランタン・リルン(7225メートル)が美しい。遠くで氷の崩れる音がする。ランタン・リルンの斜面にはリルン氷河が流れている。

 ただ、リルン氷河は、地球温暖化の影響で氷の減少が続く。1990年代に入ってヒマラヤ地域の氷河は後退(氷の減少)傾向にあったが、21世紀に入って後退速度は加速した。今も刻々と氷の量が少なくなり厚さも薄くなっている。

 ドゥンチェからスンダリジャルへ向かうトレッキングコースでいちばん標高が高いのはラウルビナヤクパスだ(4610メートル)。周囲は渓流の音につつまれる。ここにゴサインクンド湖(4380メートル)がある。この辺の周囲は氷河もなく岩山ばかりだが、たくさんの大きな湖がある。ここでも水の異変を告げられた。雪の降る時期が変わり、降雪量も少ないのだという。

アジアの給水塔

 チベット高原はアジアの給水塔と呼ばれる。アジアの主な河川が、ここに流れを発している。チベット高原は、東南アジア、南アジア、中央アジアの多くの河川の水源地であり、水はここを中心に放射線を描きながら流れている。

 現地の人たちは口を揃えて、「気候変動によってチベット高原の永久凍土がとけはじめた」という。チベット高原は低緯度の高地という特殊な環境にあり気候変動の影響を受けやすい。

 チベット高原の氷河は何千年ものあいだ、アジアの淡水を一手に引き受ける銀行口座のような役割を果たしてきた。雪や氷河として毎年蓄えた預金を、雪解け水のかたちで少しずつ引き出してきた。中国での稲作農業は、半分以上が長江の水で灌漑しているし、インドやパキスタンの農作地帯はガンジス川やインダス川の水に頼っている。雨期でなくても川が干上がらずに済むのは、氷河から解けだした水が流れるからだ。氷河の融解は水をめぐる紛争の引き金になるかもしれない。

 ヒマラヤに源を発し、ベンガル湾に注ぐ聖なるガンガー(ガンジス川)の流れは、約2500キロ、流域面積約173万平方キロ、水源から河口まで、中国、ネパール、ブータン、インド、バングラデシュの5ヵ国を流域に抱える。インドに源をもつ本流だけではなく、ネパールを流れる数々の支流も、名前こそ違え、ガンガーだ。

 国際河川であることから、中国、ネパール、ブータン、バングラデシュとの国家間の利害の争いは絶えない。インドはバングラデシュの合意なしに、ガンジス川分流のファラッカにダムを建設・運営している。このため「ガンジス川水協定」が締結された。ファラッカにおいてガンジス川の水を分け合うこと、乾期におけるガンジス川の増水について、長期的な解決策を編み出すこと。これは現在も協議が続いている。

 日本は国際河川をもたない国だ。だから上流と下流の水の争奪戦とは無関係に思える。だが、食料を海外からの輸入に依存しているので、海外の水を使っていることになる。

 普段何気なく着ている衣服も食べものと同様水の産物だ。Tシャツ1枚にはどれだけの水が必要だろう。もし綿でできていれば250グラムの綿花を使い、その生産に2900リットルの水が必要だ。綿花の多くは、中国、インド、パキスタン、アラル海周辺でつくられる。アラル海は大量の水が使われたために、北海道と同じくらいの面積があった湖が消えてしまった。もしかしたらあなたの衣服が、このことに関係していたかもしれない。

 さらに染色の工程でも大量の水を使い、排水には環境に負荷を与える物質を含んでいることがある。インド南部にあるティルプールという町は、繊維工業が盛んで「インドのマンチェスター」と言われる。旧式の染色機械が使われることも多く、排水にクロム、鉛、カドミウムなどの重金属類が含まれることがある。クロムは発癌物質であり、鉛は子どもの発達障害を引き起こすことがあった。また、排水が流れ込んだために作物がとれなくなってしまった死んだ農地、汚染されて病気を引き起こした井戸もある。

 無意識のうちに水の不足や汚染に関与してしまった可能性はあるのではないか。

 「目に見える水」と同時に、食品や製品になっている「目に見えない水」のことも考えてみたい。

水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表

水問題やその解決方法を調査し、情報発信を行う。また、学校、自治体、企業などと連携し、水をテーマにした探究的な学びを行う。社会課題の解決に貢献した書き手として「Yahoo!ニュース個人オーサーアワード2019」受賞。現在、武蔵野大学客員教授、東京財団政策研究所「未来の水ビジョン」プログラム研究主幹、NPO法人地域水道支援センター理事。著書に『水辺のワンダー〜世界を歩いて未来を考えた』(文研出版)、『水道民営化で水はどうなる』(岩波書店)、『67億人の水』(日本経済新聞出版社)、『日本の地下水が危ない』(幻冬舎新書)、『100年後の水を守る〜水ジャーナリストの20年』(文研出版)などがある。

橋本淳司の最近の記事