ミャンマーの国営英字紙「グローバル・ニュー・ライト・オブ・ミャンマー」の事実上の編集長エイミンソー氏が国軍によるクーデターを知ったのは、ヤンゴンの本社で新聞の編集作業を終えた4時間後、2月1日午前6時ごろだった。それから間もなく彼は、クーデターに抗議して職場を放棄する非暴力運動、市民不服従運動(CDM)への参加を決め、国営紙のオフィスに行く代わりに現場で取材し独立メディアに寄稿する記者活動を始めた。国軍は抗議運動を取材していたAP通信記者ら6人を逮捕し、独立メディア5社の免許を取り消して報道の自由を規制しようとしている。「あらゆる手段で記事を発信しクーデターに抗議し続ける」と語る彼にオンラインで聞いた。

―クーデターは予想していたか。

 「あの日は午前2時に仕事が終わり、編集局の隅にある仮眠室で横になったがなぜか眠れなかった。ようやく眠りに落ちた頃、スタッフが部屋のドアを叩き事態を知った。ある程度予想していたが、怒りがこみ上げた。昨年11月の総選挙の前に、ミンアウンフライン総司令官が『どんな手段でも恐れずに実行する』と発言した時に『クーデターを準備しているのかもしれない』と感じ、国軍の動きを注視していた。国軍政党の連邦団結発展党(USDP)は投票に行かないよう呼び掛けたり、投票を延期するよう選挙管理委員会に圧力を掛けるなどしていた。私は『総選挙を妨害するどんな行為も許されない』とする趣旨の論説を何本か書いた。総選挙で国民民主連盟(NLD)が圧勝した後、USDPは『選挙に不正があった』と主張し始めた。『不正があったとの主張は、法的な場で証拠と共に訴えることができる』と論説で書いた。国軍報道官は1月26日に、不正が正されなかったとしてクーデターの可能性を示唆した。この頃に会ったインド大使に『われわれ外交団は大変危惧している。クーデターは起きると思うか』と聞かれ『可能性は大きい』と答えた。とは言うものの、新型コロナの感染拡大で経済が落ち込んでいる時に、いくら国軍でもやらないのではないかという希望に似た思いも自分の中にあった」

―その日はどうしたか。

 「新聞をどう出すべきか、判断がつかなかった。電話とインターネットが遮断されたので、首都ネピドーの情報省にいる上司とも話ができなかった。社にいたスタッフを一旦、帰宅させた後、通りに出てみた。人々は顔を曇らせ、中には泣いている人もいた。将来に抱いていた夢が一瞬にして奪われたような、そんな気持ちだったのだ。夜になると電話が通じるようになり、午後9時に情報省から連絡が来て、軍部から渡された原稿を印刷して新聞を発行するように命じられた。トップ記事は大統領令で『昨年11月の総選挙で、政府と選挙管理委員会は自由で公正、かつ透明な選挙を確保できなかった。そのために国軍が憲法に従い非常事態を宣言することは義務である。有権者の懸念に対処するため憲法にのっとり、政府は国軍に全権を移譲する』といった内容で、『クーデター』という言葉は避けられていた。その下に、政権を掌握したことを示すミンアウンフライン総司令官らが会議をしている写真を印刷しなければならなかった。堪え難かったが、国軍出身のスタッフは大喜びだった。『選挙で不正が行われたのだから当然だ』と、国軍が流し続けていた説を信じていた」

抗議運動はすぐに起きたのか。

 「最初の2、3日、人々は呆然としていたと思う。それから『鍋を叩いて悪霊を追い出せ』キャンペーンがフェイスブックを通じて広まった。市民のこんな反応に私たちメディアの人間も驚いた。今も毎晩8時に、鍋を叩く音が各都市に響き渡っている。大きな音を立てて『悪霊を追い出す』というのはミャンマーでは伝統的に行われており、迷信深い国軍幹部には心理的に影響する嫌な音なのだ。市民不服従運動(CDM)も瞬く間に拡大し、私も参加を決めた。国軍の下で働くことは耐えられなかったからだ。不服従運動の中心になっている医学博士の二人は五十代半ばで、危険が及ばない場所で戦略を練っている。通りでこれ以上の犠牲者が出ないよう戦略を変えるだろう」

ー抗議運動を詳しく報じていた独立メディア5社のライセンスが取り消された。

 「記者の逮捕とともに、報道の自由を抑圧する姿勢を国軍は鮮明にしたことになるが、われわれが諦めることはない。オンラインなどあらゆる方法を使って報道を続けていく。5社のうちの『ミジマ』社には兵士と警察が押し入ったが、オフィスはクーデター当日からパソコンや資料を別の場所に移していたので、もぬけの殻だった。民間銀行が業務を停止し広告もままならないため、どの社も資金繰りが苦しいが、『ペンは剣よりも強し』を私たちは信じている。私は日本やドイツのメディアを視察に行く機会があり、そこで民主主義のシステム、生活水準、教育の質の高さ、健康保険制度、安定した政治を見た。若い世代には軍事政権を絶対に経験させない。そのために戦う。この思いが私たちの原動力になっている」

「犠牲となった英雄たちはここで平和的に抗議している」と書かれている。(Facebookより筆者作成)
「犠牲となった英雄たちはここで平和的に抗議している」と書かれている。(Facebookより筆者作成)

—数千人の犠牲者が出た1988年の民主化運動弾圧との違いは。

 「1988年は戒厳令が敷かれ、軍の力が地域社会の隅々にまで及んでいた。今回出されたのは非常事態宣言だが、国軍は抗議運動がこれほど拡大すると思っていなかったと思う。タイをモデルにしたようだが、将校の一部、警察官、武装少数民族もクーデターに抗議したことや、市民が携帯電話を使って現場の写真や映像を世界に向けて発信することは想像していなかったはずだ。(ITに詳しい20代を中心とした)ジェネレーションZを理解していなかった。さらに国軍は、地域社会を掌握できていない。国軍が指名した村や地区の行政官を住民が拒否しているのだ。国民民主連盟(NLD)の議員らで構成する『連邦議会代表委員会』(CRPH)が地方自治組織の設置を進め、国軍を苛立たせている。国際的には、ミャンマーの国連大使、チョーモートゥン氏が市民不服従運動への参加を宣言した。国軍は彼を解任したが、国際的には市民の代弁者としての役割を担い続けている。CRPHが指名した国連特使、ササ医師も国際社会も活躍している」

—運動により病院や民間銀行、鉄道などの機能が停止していることに市民から不満は出ていないのか。

 「軍政時代に戻ることに比べれば小さな犠牲だと市民は感じている。今回のクーデターを『若くて美しい女性が暴漢に襲われたようなもの』と形容する人たちがいるが、ミャンマーの民主主義の歴史は(NLD政権時代からの)わずか5年。非常に若い民主主義なのだ。しかし短い間に市民は、自由と民主主義、経済的な豊かさ、質の高い教育の機会があるとはどういうものかを知った。軍政時代は、国軍関係者は私腹を肥やしていたが、大半の国民は貧しく、教育の質は低い上に、若者はきちんとした教育を受ける機会がなく将来に夢も希望も抱けなかった。国家顧問(アウンサンスーチー)の名前を口にすることも、ラジオで(英国放送)BBCやVOA(ヴォイス・オブ・アメリカ)を堂々と聞くこともできなかった。ミャンマー人記者が外国人記者に政府の許可なく協力すれば逮捕されたし、外国の政党との関係を疑われ7年の禁固刑を受けた友人は複数いる。インターネットや外国への電話も一般市民には手が届かず、私たちは世界から孤立していた」

—国軍の暴力はエスカレートしている。

 「今、国軍は焦っている。国際社会からは非難と制裁が相次いでいる。『クーデターは内政問題だ』と静観している中国は、最大の関心事であるミャンマー西部から中国雲南省までの原油パイプラインについて「破損するようなことがあれば莫大な賠償金を求める」と国軍に伝えている。国軍は不服従運動を抑え込もうと躍起で、人々の恐怖を煽ろうとしている。スナイパーにデモ参加者を射殺させ、不服従運動の各職場や地方のリーダー、国民民主連盟(NLD)議員らを拘束し、うち数人については翌日、警察が「遺体を取りに来い」と家族に連絡してきた。ひどい拷問を受けたことを見せつけているようだった。それでも不服従運動は拡大している。ミャンマー国営鉄道の運転士やエンジニアの95%は不服従運動に参加しており鉄道は動いていないが、兵士と警察が10日に彼らの居住区を急襲し『運動に参加しなければ居住区に住んでも良い』と言い渡した。しかし残った人はほとんどいなかった」

—国軍は「民主主義にのっとり再選挙を実施する」と言っている。

 「再選挙は国民民主連盟(NLD)抜きで行われ、国軍政党の連邦団結発展党(USDP)が勝利したと発表されるだろう。市民は国軍を信用していない。軍事政権時代の2008年5月中旬、国軍の権力維持に有利な新憲法案の承認を問う国民投票が行われ、投票率98%、賛成率92%で承認されたと発表された。その1週間ほど前に大型サイクロン『ナルギス』がミャンマー南部に上陸して約14万人が死亡し、人々は壊滅的被害に喘いでいる最中だったのに、だ。国軍は自らの利益を守ることしか考えていないことを市民は思い知っている。クーデター後、事実を伝えない国営メディアを市民が冷笑しているのを見て、本当に恥ずかしかった」

—国際社会に何を期待するか。

 「国軍の資金源を立ち切って欲しい。ミンアウンフライン総司令官ら幹部とその家族が保有する資産を凍結し、(国軍を資金面で支えている)ミャンマー・エコノミック・ホールディングス(MEHL)、ミャンマー・エコノミック・コーポレーション(MEC)などに資金が流れこむルートを立ち切って欲しい。国連には、可能な限りの方法で国軍に圧力を掛け、選挙で選ばれた議員らでつくる連邦議会代表委員会(CRPH)を支持してほしい。これが政治的に問題を解決できる方法ではないだろうか。軍事的、経済的にミャンマー国軍と関係を持ち、米国の影響力を牽制したいロシアと中国の反対で国連安全保障理事会は動きが取れないかもしれないが、法律家らの知恵を駆使して国連を早急に動かして欲しい。国連安保理は11日、デモ弾圧を強く非難する議長声明を採択したが、クーデターの非難や制裁に触れるより強い文言を、中国とロシアの反対で盛り込むことができなかったのは残念だ」

エイミンソー氏 2001年、現在の「グローバル・ニュー・ライト・オブ・ミャンマー」(GNLM)紙の前身「ニュー・ライト・オブ・ミャンマー」紙の記者となり、2015年に編集長代行。事実上の編集長として新聞発行を続けてきた。