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「人は守り合わなければならない」 不条理づくめの2020年、響いた法医学者の言葉

舟越美夏ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表
カブールの産婦人科棟で起きたテロで殺害された妻子を捜す人々=5月、安井浩美氏撮影

 2020年は「不条理」づくめの年だった。「見えない」「正体が分からない」新型コロナウイルスが恐怖や不安を煽り人と人を分断した。感染拡大や行動制限で肉体的・精神的に苦痛を感じても、私たちは何に怒りや悲しみをぶつければいいのか分からなかった。そんな中で人が社会で集団で生きていく時の基本である「守り合い助け合うこと」が損なわれつつあった。コロナとの戦いは、そんな不条理を正面から見つめ、科学や理性で乗り越えようとすることでもあるのだろう。

 「これから生まれる命」が標的に

 世界は不条理に満ちているがもちろん、それは新型コロナウイルスだけに起因しているわけではない。コロナがニュースを席巻する中で注目されなかったが、例えばペシャワール会の中村哲医師が銃弾に倒れたアフガニスタンである。反政府勢力タリバンの広報官も事件直後、「お気の毒でした」と哀悼の意を表したと、カブール在住のフォトジャーナリスト安井浩美氏が語っている。残念ながら、アフガニスタンの治安は悪化の一途を辿り、この1年は次世代を担う若い層が次々とテロの標的にされた。

 5月中旬、「これから生まれる命」が狙われた。首都カブールの病院の産婦人科病棟で武装集団が銃を乱射し、妊婦や新生児、母親ら少なくとも24人が殺害された。現場に取材で駆けつけた安井氏は、病院の男性職員に頼まれ、分娩台と壁の隙間で倒れていた複数の女性の遺体を分娩室から運び出した。女性たちはこれから出産するところだったとみられ、新生児室では生まれたばかりの我が子に覆いかぶさって射殺された母親の血のりが床に広がっていた。10月にはカブール市内の「塾」を狙って男が自爆し、カブール大を目指していた高校生ら約24人が死亡。11月には、カブール大法学部に入り込んだ三人組が自爆攻撃と銃乱射を仕掛け、学生ら22人以上が死亡した。最も影響力がある20代と言われた民間TVの元アンカー、ヤマ・シアワシュさんが車に仕掛けられた爆弾で殺害され、社会に衝撃を与えたのもこの月だった。12月上旬には東部ジャララバードで、26歳の民間TVアンカーウーマンが射殺された。

 若者たちを狙う組織の顔も、意図もはっきりしない。カブール大襲撃などでは「イスラム国」(IS)が犯行声明を出したが、政府の中では、タリバンの最強硬派「ハッカニグループ」の仕業ではないかとの見方が優勢という。米国防総省が11月、アフガン駐留米軍を現在の4500人から削減し2500人にすると発表したが、タリバンやIS、イランが支援するシーア派民兵組織などが睨み合うこの国で、米軍撤退の仕方によっては内戦状態に陥る可能性さえある。しかし目を逸らして恐怖の正体を見極めることをやめれば、私たちは過去の過ちを繰り返すことになるだろう。かつて、旧ソ連軍が撤退し内戦となったアフガニスタンから国際社会は目を逸らし、アルカイダなどの組織が入り込むことになった。 

 トルコでは、ハンガーストライキによる死が相次いだ。ハンストは、インド独立の父マハトマ・ガンジーが始めた非暴力抵抗運動だが、トルコでは近年、独裁色を強めるエルドアン大統領に対する数少ない抗議手段のようだ。8月下旬、テロ組織に参加したとして有罪判決を受け、公正な裁判を求めてハンストをしていた女性弁護士エブル・ティムティクさんが死亡した。その3カ月ほど前には、高い音楽性と政府批判の歌詞で根強い人気があるフォークロックバンド「グループ・ヨルム」のメンバー2人が、ハンストで死亡した。「過激派と関係がある」との理由で、メンバー逮捕や演奏禁止でバンドを弾圧する政府への死の抗議だった。不条理を見つめる覚悟を行動で表現したと言えるが、ハンストを試みたことがある知人によると、それは「心身共に非常に苦しく、強い意志が必要な抗議手段」だ。3人の怒りと絶望の深さ、覚悟の固さは計り知れない。

「人は互いに守り合わなければ」

 光がなかなか見えないが今年、筆者が行ったインタビューで最も心に響いた言葉の一つは、トルコの法医学者シェブネム・フィンジャンジュ博士のものだった。「人は互いに守り合う必要がある。すべての人には他の人への責任というものがあるのです」。博士は、法医学の視点から拷問に関する調査や報告書作成などの人権活動を行っており、そのために当局から圧力が掛けられることもあるが「他人に害が降りかかる時に阻止すること、被害が隠蔽されないように世間に公表する努力をすること。人にはそんな義務がある。(不条理な状況に苦しむ人々を)見ないふりをすることは、人を憂鬱にしてしまい、健康的ではありません」とさらりと言った。医師らしい解説も混じる、肩に力が入っていない博士の口調は、深く記憶に止まった。不条理に立ち向かう人々の姿から目を逸らさず「あなた方の命に関心がある」と示すことは、私たち自身の「尊厳」を守ることにもつながることになるだろう。

 とは言っても、できることは実際、少ない。筆者に可能なのは記録することではないかと思い、やってみた。トルコ南東部の町ジズレで2016年、テロ掃討作戦の名の下で起きたトルコ国軍による一般市民の虐殺事件と、それを見て見ぬふりをした国際社会について「その虐殺は皆で見なかったことにした」(河出書房新社)にまとめた。読んでいただければ幸いである。「地獄とは私たちが苦しんでいる場所のことではない。苦しんでいることに誰も目を向けようとしない場所のことである」。一千年以上前に生きたイスラム神秘主義者、マンスール・ハッラージュの言葉である。

ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表

元共同通信社記者。2000年代にプノンペン、ハノイ、マニラの各支局長を歴任し、その期間に西はアフガニスタン、東は米領グアムまでの各地で戦争、災害、枯葉剤問題、性的マイノリティーなどを取材。東京本社帰任後、ロシア、アフリカ、欧米に取材範囲を広げ、チェルノブイリ、エボラ出血熱、女性問題なども取材。著書「人はなぜ人を殺したのか ポル・ポト派語る」(毎日新聞社)、「愛を知ったのは処刑に駆り立てられる日々の後だった」(河出書房新社)、トルコ南東部クルド人虐殺「その虐殺は皆で見なかったことにした」(同)。朝日新聞withPlanetに参加中https://www.asahi.com/withplanet/

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