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感染症が生む差別、どう無くすか コロナ時代の今、「エボラ」流行時に奮闘した 医療従事者が示す教訓

舟越美夏ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表
エボラに感染し死亡したとみられる男性を運ぶ医療従事者=リベリア、2014年(写真:ロイター/アフロ)

「医師にはもう戻らないよ。こりごりだ」

 2014年9月、エボラ出血熱が大流行していた西アフリカのリベリア。首都モンロビアから160キロほど離れた町で会った元医師、メルビン・ココはきっぱりと言った。3カ月ほど前に患者からエボラ熱に感染した彼は、一命をとりとめ退院したが、近所の人や友達から距離を置かれ、社会から除け者にされたと感じた。医療現場に戻るかとの筆者の質問に、彼が即座に首を横に振ったのは、そんな経験がトラウマとして残ったからだった。

 2014年から16年に西アフリカで大流行したエボラ出血熱は、この地域では初めての感染症だった。死をもたらす見えないウイルスからどう身を守れば良いのか。情報がない中で恐怖に駆られた人々は、「ウイルスを拡散させるのでは」と、医療従事者やエボラ熱から生還した人々に偏見と差別の目を向け、排除しようとした。未知のウイルス、新型コロナで揺れる日本などの社会を彷彿とさせる現象が、その時に起きていた。

 この大流行でリベリアでは、1976年にエボラ熱が発生して以来、最多となる4800人の死者が出た。その一方で、差別と偏見により分断されつつあった社会をなんとか変えようと奮闘した若き医療従事者たちがいた。その中心となった医療従事者がこのほど、Zoomインタビューに応じ、当時の活動とそれから得た教訓を語ってくれた。

 手袋やマスクも足りず

 エボラ出血熱は、エボラウイルスによる感染症で、発熱などの症状が出ている患者の血液や体液、排泄物などに接触することで感染する。初期は、高熱や喉の痛みなどインフルエンザのような症状を示すが、WHO(世界保健機関)によると、致死率は平均で五〇%前後と高く、有効なワクチンや治療薬はまだない。

 エボラ出血熱がギニアで発生し、国境を越えた2014年3月、リベリアは20万人以上が死亡した内戦の終結から11年しか経っておらず、医療体制は脆弱で医療用の手袋やマスクさえ足りない状況だった。エボラ出血熱に関する知識や経験がないことがこれに加わり、医師や看護師らは患者に素手で接し、感染した。

 3カ月後の6月初旬に人口約百万の首都モンロビアで感染者が出たが、市民は当初、エボラ熱の発生を信じなかった。「政治家が国際社会から金をせしめるために嘘をついている」との噂が流れ、牧師ら宗教関係者は、病気は「人間の罪がもたらしたもの」と説いた。感染者の葬儀では参列者が慣習に従い遺体に触れて別れを告げ、これが感染をさらに広げた。こうして首都は瞬く間に最大の感染地帯となった。

建物の入り口に置かれた塩素入りの手洗い水。「エボラ流行は本当だ。気を付けよう」と書かれている=モンロビア、2014年9月(筆者撮影)
建物の入り口に置かれた塩素入りの手洗い水。「エボラ流行は本当だ。気を付けよう」と書かれている=モンロビア、2014年9月(筆者撮影)

 コーリア・ボナルウォロは、医師の監督下で医療を行うフィジシャン・アシスタントとしてモンロビアの病院に勤務していた。当時25歳。発熱した同僚の看護師を診察した後、感染の症状が出て6月末に入院した。高熱と脱水症状で一時は危険な状態に陥ったが、3週間後に回復し退院した。同僚は死亡した。

 「奇跡としか言いようがない」。家族は大喜びしたが、周囲の人々は違った。市場や地域の集会に行くと、知り合いがコーリアを避ける。感染拡大で人々は恐怖に陥り、コーリアの体内にはまだエボラ ウイルスが存在していると警戒していたのだ。厳しい闘病生活の後で体力が回復していなかったコーリアには、精神的にも深い痛手となる経験だった。しかし、エボラ熱の元感染者と話すと、誰もが似たようなことを経験していることが分かった。

 「感染したら必ず死ぬ、という恐怖に人々は取り憑かれていました。実際には、初期に治療を受ければエボラ熱を克服できる可能性は高いし、回復してウイルス陰性となった人から感染が広がることはありません。専門家の話よりも、簡単に入手できるインターネット上の情報や噂を人々は信用していたのです」と、コーリアは説明する。

エボラに感染し回復した自らの経験を語ったコーリアについての記事(左下)を掲載したリベリアの地元紙=2014年9月(筆写撮影)
エボラに感染し回復した自らの経験を語ったコーリアについての記事(左下)を掲載したリベリアの地元紙=2014年9月(筆写撮影)

 「ウイルスを広げるな」と医療関係者が攻撃される事件も起き、冒頭のメルビンのように医療現場を去る者も少なくなかった。親をエボラでなくした子どもたちが偏見や差別に晒されるケースも増えていた。内戦の深い傷からようやく回復し立ち上がろうとしていた社会が、再び傷つき分断されつつあった。

 この状況を変えなければ。コーリアは医療従事者らと「エボラ・サバイバー・ネットワーク」を立ち上げた。最優先課題は「偏見と差別を解消すること」。エボラから生還した自らの体験を披露しながら、正しい知識を伝え、住民に共有してもらうことを活動の基本とした。保健省が後ろ盾になったものの財政的な支援はなかった。それでも「自国をなんとかしたい」という情熱に突き動かされていた。

 恐怖と情報不足が差別を助長 

 大きな力となったのは、宗教指導者や地区のリーダーを味方につけたことだった。インターネット情報や噂を信じている住民も、彼らの話には耳を傾けるからだ。当初はエボラ熱の発生を認めなかった指導者たちも、感染者や死者が自宅や路上で放置されるほど感染が拡大した現実を前にして、コーリアの活動に賛同した。集会場に人を集めたり、地区の中にどう入れば住民が耳を傾けるかを助言してくれた。

救急車で搬送されたが病床に空きがなく、地面に倒れ込む感染者=モンロビア、2014年9月(筆写撮影)
救急車で搬送されたが病床に空きがなく、地面に倒れ込む感染者=モンロビア、2014年9月(筆写撮影)

 ラジオやテレビは非常に効果的だった。「手を洗おう」「遺体に触れるな」「握手は控えよう」。注意喚起と共に、ドラマ仕立てでエボラ出血熱の性質を分かりやすく説明した。

 「差別と偏見を助長するのは、恐怖と情報不足です。証拠を示しながらエボラウイルスについて理解してもらい、正しい情報の共有を地域で進められれば、差別や偏見は時間と共に消えていくのだと分かりました」とコーリアは言う。世界保健機関が「リベリアのエボラ出血熱終息宣言」を最後に出したのは2016年6月。その2年後、コーリアは元感染者128人の聞き取り調査を実施した。「差別や偏見を感じたことはあるか」との問いに「ある」と答えたのは3%ほどに過ぎなかったという。

エボラについて説明したパンフレットを配るボランティア=モンロビア、2014年9月(筆者撮影)
エボラについて説明したパンフレットを配るボランティア=モンロビア、2014年9月(筆者撮影)

 感染者の治療に当たっていた国境なき医師団の研究チームは2016年の論文で、「心理社会的カウンセリングとサバイバー・ネットワークは、社会から排除された元感染者がエボラ後の人生に意味を見出す助けとなった」などとして評価している。新型コロナでも、心理面のサポートは差別の目を向けられた人たちにも必要なのではないか。「エボラ熱の流行を通して得た教訓は、新型コロナが流行する社会にも応用できるはずです」とコーリアは指摘する。

 感染症は、ウイルスが変異して再発する可能性がある。「流行が再び起きた時のために、知識を広め準備をしておくことがとても重要です」。コーリアは将来の再発に備え、臨床研究者として米国のNGOに勤務しながら、感染症についてより深い勉強ができる機会も探っている。

  流行前の準備が鍵

 首都モンロビアのJFK医療センターで現在、最高経営責任者を務めるジェリー・ブラウン医師は、40代半ばだった当時、エボラ出血熱との戦いの最前線に立ち続けた。隣国ギニアとの国境で感染者が出た時、ブラウン医師は首都にまで感染が広がる可能性を予測して、勤務していたキリスト教系病院に特別病棟をいち早く設置した。病院で働く医療従事者のみならず、運転手や事務系職員ら病院のスタッフ全員を対象に研修を実施してエボラウイルスの特性や防護方法について学び、その日に備えた。

 2014年6月初旬、エボラウイルスが首都に本当に到達した時、最初の感染者を受け入れた。特別病棟が感染者でいっぱいになるまで時間はかからなかった。新たに設置した治療棟の80床もすぐに埋まった。

ブラウン医師が設置した治療センター内で、消毒・洗浄した医療用手袋が干されていた=モンロビア、2014年9月(筆者撮影)
ブラウン医師が設置した治療センター内で、消毒・洗浄した医療用手袋が干されていた=モンロビア、2014年9月(筆者撮影)

 防護服を着用しての診察は体力的にも負担を強いる。全身汗まみれになり、安全を期するため着脱には30分はかかった。感染の危険性は常に頭にあり、感染の兆候をチェックするために朝晩2回の検温を欠かさなかった。感染拡大が止まらない厳しい状況の中で、ブラウン医師は独自の治療を試した。エイズウイルス(HIV)感染者に処方する薬の一部を使い、これが効果を上げ、8月だけで43人を回復させた。その傍ら、政府や国際機関との協議も連日こなした。献身的な活動を讃え、米タイム誌はブラウン医師を2014年の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に選んだ。

 ブラウン医師は現在、新型コロナウイルス対策に取り組んでいる。今年4月、米タイム誌に寄稿し、エボラ出血熱との闘いから学んだ重要な教訓の一つとして「(感染症対策は)流行が始まる前の適切な準備が鍵となる」と強調した。また、最前線に立つ医療従事者を支援する最大の方法は「自らを犠牲にしながら命を救っていることへの感謝」とし、「必要なのはダイヤモンドや現金ではなく、感謝と激励。それは、孤独な闘いではないのだと彼ら(医療従事者)を勇気付けることになる」と述べた。

 寄稿を読み、2014年9月初旬、モンロビアの病院で会ったブラウン医師を思い出した。エボラ熱の感染拡大が止まらず、政府は首都の一部を封鎖する措置を取り、街には緊張と不安、怒りが満ちて不穏な空気が漂っていたころだ。

 「希望の光をともす役割をしたい」。彼はそう語り、感染している妊婦から女の赤ちゃんを救急車の中で取り上げたその日の早朝の仕事を、疲れも見せずに話してくれた。

 「あの子が大きくなったら、自分が生まれた日の話をみんなに聞かせて欲しい。それを考えると嬉しくなる」

 その時のブラウン医師の笑みは、今でも鮮明に筆者の記憶にある。

(了)

 

ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表

元共同通信社記者。2000年代にプノンペン、ハノイ、マニラの各支局長を歴任し、その期間に西はアフガニスタン、東は米領グアムまでの各地で戦争、災害、枯葉剤問題、性的マイノリティーなどを取材。東京本社帰任後、ロシア、アフリカ、欧米に取材範囲を広げ、チェルノブイリ、エボラ出血熱、女性問題なども取材。著書「人はなぜ人を殺したのか ポル・ポト派語る」(毎日新聞社)、「愛を知ったのは処刑に駆り立てられる日々の後だった」(河出書房新社)、トルコ南東部クルド人虐殺「その虐殺は皆で見なかったことにした」(同)。朝日新聞withPlanetに参加中https://www.asahi.com/withplanet/

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