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沖縄の基地問題を考えるためのヒント 樋口耕太郎×藤井誠二 (1)

藤井誠二ノンフィクションライター

沖縄の問題は「辺野古」米軍基地移設だけではないのは当たり前だが、内在化している問題はほとんどメディアにのることはない。日本政府と対立する政治性だけがクローズアップされがちで、米軍占領下から「ヤマト世」へ移行し、現在に至るまで沖縄が抱え込まざるを得なかった構造的な問題性は腫れ物に触るかのように扱われてきた。そういった問題のいくつかを、金融の専門家にして沖縄大学人文学部准教授、トリニティ株式会社代表取締役をつとめる、沖縄に移住して10年の樋口耕太郎さんに意見をうかがった。

樋口耕太郎(ひぐち こうたろう)

1965年生まれ、岩手県盛岡市出身。89年筑波大学比較文化学類卒、野村証券入社。93年米国野村証券。97年ニューヨーク大学経営学修士課程修了。01年レーサムリサーチ。04年グランドオーシャンホテルズ社長兼サンマリーナホテル社長。06年トリニティ設立。12年沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科准教授。南西航空の再生をテーマにした「沖縄航空論」、人と社会の幸せを考える「幸福論」などを担当。専門は事業再生および地域再生の実践。09年度より沖縄経済同友会常任幹事。内閣府・沖縄県主催『金融人財育成講座』講師。

■沖縄で繁栄するモールができれば廃れる町もある

藤井:

沖縄の北中城村に巨大ショッピングモール「ライカム」が2015年4月にオープンしました。イオンのショピングモールです。米軍基地の返還地ですが、もともとは米兵のゴルフ場として使われてきた。その前は沖縄のアメリカ統治下の司令部の名前です。それをそのまま流用するのがある意味で沖縄的だなあと思いつつ、ぼくも見に行ってきました。周囲の道路は大渋滞でしたが、施設の中は広いし、衣食住関連のショップの数はすごい。沖縄の人たちはもちろん、内地や中国、韓国などアジアや世界中から観光客が押し寄せていましたし、米軍基地関係の家族連れも多くて、すごくカオスなかんじがしました。

しかし、近くのコザ( 沖縄市)に目を転じると、コザの商店街という商店街は壊滅状態のありさまです。繁栄する町があれば、廃れる町もあるというセットで考えないと何も見えないということを痛感します。コザの夜の飲食店街の「中の町」も含めて、コザのアーケード街は中央パークアベニュー(かつてのセンター通り)やそれに連なるアーケード商店街は、見るも無残です。もっとも、ライカムは町ではなくショッピングモールですが、これからライカムの影響でコザや他の街の商店街も、もう息の根を止められるのではないかと思ってしまいます。

樋口:

コザは見ていて苦しい気持ちになります。今は誰も打つ手が無いという感じで放置されているかのようです。多くの方々がたくさんのことを試みてきたと思いますが、対処方法そのものよりも、発想の仕方が問題を悪化させているのではないでしょうか。「基本的にはコザには価値のあるものなどないから、だから何かを作らなければいけない」という前提で発想をすると、一等地の地上げをしてコザミュージックタウンをつくるという結論になる。心臓が悪くなったので外科手術で新しい臓器と取り替えようというイメージでしょうか。その発想を変えてみるということです。「コザは寂れたとはいえ、まだ本島で一番魅力的だし、此処しかないものがまだまだある街だ」という前提で考えると、外科手術よりも、体に栄養を行き渡らせるために血流を良くする方法が適当かもしれない。傷口を開いて、心臓移植をするような、一等地を地上げして箱ものを造るようなやり方じゃない。鍼灸治療のように、そこには面白いものがたくさんあるのだから、血流を回してそこに栄養分を行き渡らせようじゃないかと。例えばの話ですが、幹線道路を除いたすべての道路で路上駐車を解禁するとか。そうすると、コストもかからずに人が街にもどって来る。一番少ないコストで、味のあるコザのコンテンツを活性化出来るのではないか。「この街には良いものがあるんだ」という発想でプロジェクトを進めることが、よいメッセージを広めると思う。ミュージックタウンの何が気になるかと言えば、コザ市民が「今の自分には自信がない」と言っているかのように感じられることです。

藤井:

コザは戦後に米軍が基地をつくるために土地を強制接収することによってできた街です。それにともなって基地と共存してきた歴史もあり、たとえば「デイゴホテル」はオーナーは最近亡くなり、いまは新しく建てかえられてしまいましたが、90年代に何度か泊まってしたけれど、こんなに歴史を感じられる所があるのだと思いました。もっと中央パークアベニューも賑やかでした。ところが今は名店だったニューヨークレストランすらつぶれてしまいました。

樋口:

なくなったんだ・・・。

藤井:

数年前に行ったときに閉店してました。窓ガラスも割られてひどい状態です。「チャーリー多幸寿」だけが営業しています。地元で昔からやっているのは、BCスポーツと照屋楽器店など数軒だけです。通りを上がっていった所になるテナントビルの「コリンザ」もいまひどい状況です。たしかむかしは大型電器店が入ってた。一階にテーブルがいくつかあって、人がつっぷして寝ていました。コザは独自の歴史があり、それを観光のウリにしてはいますが、沖縄フリークや、歴史好きにはいいかもしれないけれど、もうそういった資源では多くの人を呼ぶのは限界なのかなあという気にもなりました。ミュージックタウンもそうだけれど、コザロックで町おこしをやろうとしたわけで、いまはエイサー会館を造ろうとしているのです。確かにエイサーのさかんな地域だからそういう発想はあるだろうとは思うのですが・・・。

樋口:

僕が言っているのは多分10年前だったら機能するプランであって、今はもう手遅れかもしれない。10年前とは言わなくても、5年前だったらまだ面白い店はあった。ここ2 ~3年で急速に寂れたかな。

藤井:

たしかに急速にゴーストタウン化したのはここ2 ~3年ですね。

樋口:

もう手遅れになっちゃったのかな。

藤井:

コザ十字路の銀天街なんて見る影もないですよ。戦後あそこは一番にぎやかな所だったのですけれど、現在は道路を拡張して道路に面した建物の壁に、コザの歴史が絵巻のようにした壁画が描いてある。

樋口:

街ってこんなに簡単に変わっちゃうのだね。

(2)へ続く(本対談は2015年7月に有料メルマガ「The Interviews High (インタビューズハイ)」で配信したものを再掲しています)

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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