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シリーズ・生きとし生けるものたちと 飯田基晴監督 ドキュメンタリー映画 『不安の正体』を語る

藤井誠二ノンフィクションライター
横浜市内にある共同事務所にて

映像ドキュメンタリー作家の人々にインタビューをしていこうと思う。とくに、時代の流れとともに消え行く、可視化されにくい人々の営為に目を向けている作家たちだ。人間以外の動植物たちの命とも、密接なつながりを持つことにより、先達たちは生きてきた。そこには近代的価値や視点からすれば看過できないものも含まれているだろうが、原初の私たちの姿をあらわしているともいえ、「魂」とは、「人間」とは何かを考えさせる複雑な要素がつまっていると思う。映像業界ではどちらかというと「周縁的」なポジションに位置する作家たちへのインタビュー通じて、ぼくは多くの気付きをもらうことができると考えた。

第5回目は、「施設コンフリクト」(地域の中でつくられようとしている施設について衝突や対立、排除運動がおきること。精神障がい者のグループホームや授産所、火葬場、ゴミ処分施設などが対象になることが多い)撮影して、ドキュメンタリー映画『不安の正体』にまとめた飯田基晴監督に話をうかがった。

精神障がい者のグループホームを「我が町」から排除するのが運動の目的

■「施設コンフリクト」という排外運動■

藤井 僕も「施設コンフリクト」の問題には以前から興味がありました。毎日新聞などはキャンペーン的に他紙よりも多く、全国で発生しているこの問題を取材してきていますよね。施設などは都市圏郊外に建設されて、その街の住民が反対運動を起こす。土地は個人の所有で、そこに何を作ろうが自由なはずなのに、あたかも暴力団事務所出て行け的な「団結力」を見せつけて、露骨な精神障がい者差別の文言を主体者にぶつけてくる。自分たちの街を守るという、当人たちにとっては大義があるんでしょうね。完全に歪んでいると僕は思っていますが。飯田さんは何年ぐらい取材されたんですか。

飯田 作品の主な撮影は半年ほどなんです。グループホーム内部の撮影をもう少ししたかったのですけれども、コロナになって行けない状況になってしまいました。その後、様子を見ながらインタビューを少し撮り足して、一年ほどの撮影で作った感じです。

藤井 抗議集会にもカメラが入っていますが、あれは誰かが隠し撮りしたのですか。

飯田 地域住民がのぼり旗を手にグループホーム前で集会している映像は、職員が撮っていたものを提供してもらっています。

説明会の音源も、グループホームを運営する法人から提供いただいたものです。

藤井 つまり、施設の職員ということですね。抗議集会は建設前なんですか。

飯田 建設が終わり、入居が始まる前です。もう家賃は発生していますし、入居を始めるには職員がいないと対応できないので、職員も雇って、準備万端整っている状態です。反対運動が続いているせいで利用者を入れられず、開所が半年以上遅れたのです。

反対運動ののぼり旗の文言や運動の主張はあきらかにヘイトだった。

藤井 いろいろなケースがあると思いますけれども、運営が始まって人が入っていて反対運動している所もあれば、その土地の所有者が建てようとしている前からもう反対運動が起きているケースもあるんですね。土地は所有権を施設を作ろうとする人が持っているのに、本当なら建設することができるのに反対運動で追い込まれる。大家がいて、大家はOKと言っているのに、運動が起きて人も入れないとか。相対的に見て、どういうのが多いですか。

飯田 僕も調査したわけではありませんので、何が多いかは分かりません。作品で取り上げたのは、横浜、町田、川崎の事例でしたが、上映を始めてから、うちも反対運動に遭ったとか、そのために場所を移転したとか、断念したとか、いろんな話を聞いています。

大家さんは地域に暮らしていて、近隣の人とつながりがあるので、反対に遭うと諦めてしまって中止せざるを得なかったという話も聞きました。契約をする前に反対運動が起きたので場所に替えた、というケースも聞きました。

ただ、反対運動に負ける事例を増やすべきではない、頑張って開設し、時間がかかっても地域の理解を得ていくべきだ、そんな意見もあります。

■書き換えられた差別が大書されたのぼり旗■

藤井 ドキュメンタリー『不安の正体』の上映会を反対運動が起きた横浜市都筑区などでやられていますね。どんな反応でしたか。

飯田 上映後の意見交換では、近隣の方から、「自分も何かしていきたい」と現状を憂う発言もありました。

藤井 映像に出てくる、精神障害がい者に対して差別的な発言をするような人たちはいまはどうしているのでしょうか。

飯田 いまは表だった抗議集会などはありません。映画にあるグループホームの前での抗議集会は、グループホーム側が開設前に内覧会をしたときで、その一回限りです。それから三年が経ち、グループホームでは入居も進み、満室になっています。ですが周辺ののぼり旗はまだ撤去されていません。詳しく見ていくと、のぼり旗に書いてあるメッセージも何種類かあり、その中でも「子どもたちの安全を守れ」、「地域住民の安全を守れ」というのが強烈なメッセージでした。反対運動に対して声を上げる当事者の方たちも、これはヘイトだから下ろしてほしいと強く主張していました。そのこともあって、これらののぼり旗は取り下げられました。今は、「グループホーム運営反対」「地域住民の声を聞け」と書かれたのぼり旗です。

藤井 トーンを少し落とした感じですか。

飯田 明確な差別ではないかもしれませんが、根底に精神障害ある人たちが地域に来ることへの不安があることは間違いないでしょう。

藤井 それは、反対する運動体が複数あるということですか、内容を変えているだけですか。

飯田 幾つかのメッセージがありますが、色やデザインも統一しているので、のぼり旗自体は一括して作られたのかと思います。

藤井 ということは住民団体としては一つだったということですか。

飯田 恐らくそうです。団体と言えるものなのかどうかも分かりませんけれども。

さまざまな精神の病を抱えて生きる人たちが暮らしたり、通うのがグループホームだ。

藤井 飯田さんはホームレスの男性に密着した『あしがらさん』などをつくられています。飯田さんがこの問題に関わり始めたのはどうしてですか。

飯田 弁護士の池原毅和さんから依頼を受けたことが、制作の直接の経緯です。池原さんは長らく障がいある方たちの人権擁護の活動を行っていて、反対運動が生じたグループホームからも相談を受けて対応していました。

ただ、僕自身も以前から関心はありました。二〇〇二年にホームレス自立支援法ができて、自治体がホームレス対策に乗り出すようになった時期に、自立支援センターやシェルターが反対運動に遭いました。

僕が取材したいと思ったのは、2004年ごろに川崎のシェルター建設に対して起きた反対運動でした。当時民放のニュース番組の特集枠の仕事をしていたので、企画を出しましたが通りませんでした。なので二〇年来の関心事です。逆に言うとこの二〇年、あまり状況は変わっていないのだと考えさせられました。

藤井 『犬と猫と人間と』という作品もつくられていますね。

飯田 はい。見ていただいてお気づきかもしれませんが、動物愛護センターが造られるときも、迷惑施設として山中など辺ぴな所にやられる傾向があります。徳島に至っては、山の中ですら地域住民の反対運動が起きて、ここで犬猫の殺処分をするなということで、その打開策として、移動式の殺処分トラックが誕生しました。あれも住民の反対への対策でした。

あとは、子どもの頃の体験にさかのぼりますけれど、僕が生まれ育ったのは横浜の新興住宅地、ニュータウンと呼ばれるところでした。小学校の低学年の頃、そこで墓地の建設反対運動がありました。うちの父もそれに関わっていたんです。

藤井 反対するほうですか。

飯田 ええ、反対するほうでした。はっきり覚えていませんが、多分うちにもそんな看板があったのでは。近所にあったのはよく覚えています。僕はもうお化けなど信じてませんでしたし、なぜお墓に反対しているのか、子ども心に疑問でした。よく聞くと、墓地ができると地域の評判が下がって、土地の価値が下がると心配しているのだと分かりましたけれど、それも一方的な話だと思いました。

結局、墓地はつくられましたけれども、気付かないぐらいひっそりと整備されていきました。それはそうですよね、別にビルを建てるわけではありませんから。できてからも全く何の影響もなく暮らしていましたし、親たちも何もなかったかのように日常に戻っていきました。あれは何だったのだという原体験がありました。

地域で共に暮らすことへの一方的な偏見が生み出す「恐怖」が運動に内包されている

■生老病死を隔離する意識■

藤井 やまゆり園事件のやまゆり園も、なぜあのような辺ぴな所にというぐらいすごい山の中です。つまりは、人間の生と死など、人間の全体、墓地といい医療センターといい自立センターといい、そういったいろいろな、人間的なるもの、生きとし生けるものの全てを生活圏の辺縁に置いてしまおうということですよね。

飯田 一つは明らかに「死」ですね。

藤井 それが「不浄」なものとして差別とつながっていく。少年院や刑務所も基本は辺鄙な場所にあります。古くからあるところは街中にありますが、隔離をされたふうになっています。脱走できないからいいという言い分はよく聞きます。刑期の短い少年院だと塀がない所があったりしますが、深い山の中にあったりすることが多い。

飯田 神戸だったと思いますが、山の中に、墓地と刑務所と動物愛護センターとごみ焼却施設と高齢者施設がまとまっていて、その露骨さに驚いたことを思い出しました。

ですが、時代の変化とともに、そのように追いやっているわけにもいかない事柄があります。

精神障害の人たちで言えば、昔は座敷牢(ろう)のような形で閉じ込めていました。それは良くないと病院を建設し、今度は入院という名の下に、何十年も隔離収容していました。精神病院もやはり山の上に建っていました。ただし、時代の変化とともに、これも人権問題となり、地域に受け入れ先を造ろうと、グループホームができてきました。ただこれまで遠ざけていたので、やはり地域で衝突が起きるという図式です。

藤井 いろいろな標語などでよく「わが町」という言葉を使います。豊かなわが町や、きれいなわが町、絆を深め合う町、そういうのを見るとぼくはすごく嫌な気持ちになります。要するに、目に見える所だけきれいに整っていて、均一的になっている。だから、そういう人たちは、『不安の正体』の中に出てきますけれども、あれを見ていると、裏を返せば偏見と差別の塊ですよね。

町とは何でしょうね。『不安の正体』の中で、何千万も出してこの家を買ったという発言が出てくる。それが売れなくなるなど、要するに、わが町というのはわが家といいますか、それぞれ捉え方が違うのは当然としても、皆どのように思っているのでしょうか。僕の実家は名古屋ですけれども、お寺や墓地がたくさんある寺町で、お寺が半端なく集中している所なので、墓地もあるわけで、死と共存している感覚がありました。夜は寺の闇に吸い込まれそうで、子ども心には恐怖でした。

飯田 『不安の正体』で描いている反対運動に関して言うと、二つに分けて見たほうがいいと思います。

一つは、精神障がいがある方への無理解や無知に基づく差別や偏見、やはりこれはあると思います。もう一つは、グループホームに限らず、自分の周囲にそういった、いわゆる迷惑そうな施設、やっかいなもの、不吉なものが来ることへの不安感、危機感などでしょうか。

■精神障がい者に対する偏見■

飯田 撮影を通じて住民の方と話す機会がありました。町中でのぼり旗の撮影をしていると、文句を言われてトラブルになり、話し込んだのです。反対する住民と話して印象的だったのは、障がい者を知らないわけではないと言うんです。

実は説明会でもそういう意見がありました。今回、三カ所の法人から説明会の音源を提供してもらいました。一回で二~三時間はありますし、複数回やっているので、一〇時間以上の音源を聞いています。

そこでも、精神障がい者を知らないわけではないという住民の声がありました。でも、その知っている範囲や実態が限られているんです。自分の親戚に精神障がいのある人がいて、すごく苦労したとかです。 あとは、医療にも福祉にもつながっていない精神障がい者が地域に暮らしていて、周囲と衝突が続いているとかですね。

藤井 反対している人は、自分たちなりの体験や「大義」のようなものがあるわけですね。

飯田 自分たちはその人に散々迷惑を掛けられている、皆、対応に苦慮してきたと。それがさらに増えるのはたまらん、という感じですね。

もちろん、地域にはいろいろな人がいるのでトラブルも起きるし、その原因に精神疾患があることもあるわけです。

でも、グループホームではスタッフの支援がありますし、多くの場合、医療や福祉にもつながっています。トラブルを起こす人というイメージで捉えたり決めつけるのは、明らかにおかしいです。

あと、多く言われるのは、世間で事件が起きたときに、容疑者に精神病院の通院歴があるとか、精神障害が疑われるなどと報道され、その結果、精神障がい者は事件を起こすというイメージが植え付けられてしまっている、ということです。だから、精神障がい者のグループホームができると大変なことになると考えてしまうのです。

藤井 ぼくは長年、犯罪被害者遺族を取材してきましたが、やはり自由に出入りできるグループホームに入っていた精神障がい者が全く関係ない人を刺殺した事件がありました。刑事裁判などに発展すると、実名報道は別にしても、概要は伝えます。遺族の側も社会に発信をします。公判の場で弁護側は、この人は心神耗弱や喪失だと主張したり、裁判の中で精神鑑定をしたりする。弁護する材料に使うわけです。

飯田 それもありますね。そういうケースを通して偏見や恐怖を刷り込まれることも多いのではないかと思います。

藤井 とても多いと思います。弁護する側も精神疾患や発達障害などを理由に無罪や減刑を求めるケースが、ぼくの実感ですがこの一〇年ぐらい増えてきたように思います。

飯田 そうしたことから、精神障がいがあれば事件を起こしても罪に問われないのではないか、と考えてしまうわけですね。実際にはそんなことはないわけですが。そう考える人に、あなたやご家族だって精神の病気になるもしれませんよ、なんて言ってもまったく通じません。かみ合わない。

横浜市内にある共同事務所にて

■視界に入れたくないという意識はどこから来るのか■

藤井 いつ自分がそうなるか分からない可能性、人間の不確実性みたいなことを想像する思考が欠落していますよね。たとえば精神しょう害のような人間の輪廻のようなものの中に出てくる問題を、なるべく目に見えないところへ、人間が生活していく上で都合の悪いもの、視界に入ったらどけていくという、この人間観というのはどこから来るのでしょうか。

飯田 どこから来るのか、その答えは分かりませんが、先ほど言ったように、僕などはニュータウンに親が土地を買って家を建てて、そこで育った側です。高度経済成長で、うちの両親もアメリカ映画で描かれるような豊かさに憧れていたと思います。おしゃれとか綺麗なものに引かれたり、うわべを取り繕うようなところも感じていたので、それに対する反感や反発が僕の中にあったと思います。

藤井 僕も似たような幼少体験があって、小学校の担任や親なども、隣接する被差別部落に行ってはいけないと言って、出身の子が生徒会長に立候補したところ、担任がそれをやめさせたことまでありましたから。子どもながらそのころから学校や教員、社会に対する反発心が芽生えました。

飯田 ひどいですね。僕の小学生のときのもう一つの原体験として、家族と中華街へ行った帰りに、日雇労働者の街として知られる寿町を車で通りました。他とまったく雰囲気が違い、アジアの街に入り込んだようでした。飛ばすと危ないとゆっくり走ってもせいぜい二~三分だと思いますが、強烈な印象でした。

藤井 子どもの時の記憶は人生を決定付けやすい。

飯田 自分の暮らしている地域とは本当に違ってた。そのことを学ぶ機会もなかったけれど、明らかに自分の中には残っていて、大学に入って新宿のホームレスの人たちのところや寿町にも行くようになり、そういうことにつながっている気がします。

藤井 当時は寿町から山谷、釜ヶ崎、名古屋の笹島がありましたけれども、今はもう様変わりしました。僕も高校のときに笹島日雇労働者組合の手伝いをたまたまさせられたことがありました。出会った先生にそういう活動家の先生がいまして自分の学校の先生ではありませんけれども興味があってそういう所に出掛けて行ってカルチャーショックを受けました。

飯田 僕はいまだに、ニュータウンと呼ばれるような地域に行くと居心地が良くなくて、意味もなく反感を抱いたりすることがあります。そういう街はたった数十年で空洞化しています。僕の実家も、父が施設に入り母が妹のところに行って空き家になっています。そうした空き家が増えていますね。

藤井 当時はあまり予想しなかったのかもしれませんけれども、夢が咲いていたはずのニュータウンから人がいなくなり、生老病死などはさらに周縁に追いやられた。僕は、それはやはり町づくりというのを、きっとどこかで間違えたのだろうと思います。

飯田 マイホームを造れる人たちが集まって、いい暮らし、落ち着いた生活をしていたはずが、次第にそこからこぼれ落ちて、後に残るのは、雑草が生い茂る空き家、となってきています。

藤井 きっと、飯田さんが反対している人は、その人たちは多分、一方で不安の塊だったと思います。それがヘイトの塊になる。

■不安の正体とは何だろうか■

飯田 その不安の中には自分が暮らしていくことへの不安、お金のことも当然あります。地価が下がったらどうしようというのも、その典型です。でも実は、僕だって他人事じゃない。今は高齢者のグループホームも増えていますし、僕も親を大きな施設に入れるより、地域のグループホームのほうがいいなと思います。けれど、まだまだ長生きしそうだし、利用料が違うので特別養護老人ホームにしておこうか、となってしまうわけです。

グループホームへの反対運動をする人々に対し、怒ったり反感を抱いたりするのは簡単ですが、自分のしていること、今の社会構造の中で自分の判断基準や価値観がどこまで違うのかというと・・・。そういう意味で、本当に誰も無関係でないといいますか。

反対運動をする人たちも真面目で良心的で、グループホーム建設の話さえなければ、普通にお付き合いできる人たちだと思います。ただ、財産が脅かされるという被害者意識を持ってしまっているのと、障害者に対するネガティブイメージがトリガーとなって、あのようになるのだと思います。

それを覆すには、当事者と関わることが一番だと僕は思います。

藤井 事態が好転したという例はどうですか。

飯田 反対運動が起きても、グループホームを開設した事例もけっこうあります。映画の中で言えば川崎のグループホームですが、ここは反対運動が起きてから五~六年経って、近所の方との関係も変わってきていました。かなり強固に反対して旗まで立てていたご近所さんも当然すれ違いますし、同じ場所にごみも出します。交流と言わないまでも、共に生きている。共生しています。そうすると別に怖いことはないと気付きます。あのときはやり過ぎたと思っているご近所さんもいるわけですね。それは聞いていたので、かつて反対していた住民の声を作品の中に入れられないか、最後までこだわっていました。

■街に「来るな」と言われた側の気持ち■

藤井 グループホームに入っている人たちは、自分たちがそういう対象として見られていることについてはどう思ったのでしょうか。

飯田 やはりショックを受けたり、悲しんだりする方もいます。ただ、これまでも差別や偏見に遭ってきた人も多く、職員よりも落ち着いて受け入れた人もいると聞いています。むしろ職員のほうが、まさかこんな目にあうとはとショックを受けた、とも聞いています。

藤井 グループホームに入ってこられる皆さんは、大概の場合入院していた。退院してそのグループホームに入るわけですよね。だから、入院するまでは多分、自分の家なりにいたわけですよね。

飯田 そうですね。ただ若い人たちだと、入院はせずに自宅からグループホームに入られるケースも多いです。

藤井 それはデイケアのような感じですか。

飯田 入院はせず自宅から病院に通院したり、作業所に通所しているのだけど、このまま自宅にいるのは本人も家族もしんどい。それならグループホームに移ってみませんか、と勧められて入る感じだと思います。

デイケアや作業所は日中過ごす場所で、グループホームは生活の場所です。だから、デイケアや作業所に通う人は、自宅で家族と暮す人もいれば、アパートで一人暮らしの人も、グループホームで暮らしている人もいます。逆にグループホームに暮らす人も、日中は病院のデイケアに行ったり、作業所に行ったり、日中はどこかに行って過ごすことが多いです。作業所や通所施設に対する反対運動も聞きますけれども。

藤井 反対する側からすれば同じ対象なわけですよね。

飯田 ただ、グループホームの方が反対されることが多い気もします。住宅街に造ることが多いからでしょうか。

藤井 夜に出歩くなど、トータルで生活をするから、住民の恐怖が増幅する。子どもが心配などということなのでしょう。だから、ドキュメンタリー映画『不安の正体』というのは、反対する側の「不安の本質」は何だろうかということですね。

飯田 一番はそこです。

藤井 ありがとうございました。

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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