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【連載】暴力の学校 倒錯の街 第54回 心からの謝罪を

藤井誠二ノンフィクションライター

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手紙の受取拒否

一九九八年七月、知美が亡くなって三年がたった。新飯塚駅のホームからのぞむことができる三つこぶのボタ山も、鮮やかな緑色の絨毯に覆われ、大地に鎮座しているかのようだ。

佐田は四回目になる追悼集会を準備、命日に遅れること八日、七月二十六日に集会を開催した。元春と明美が参加、次のような近況報告を寄せた。これが書かれたのは九八年一月のことである。

《昨年七月二十七日(日)納骨法要を済ませて帰宅していた夕方、宮本煌か仮出所して、保護司に連れられて初めて詫びに来ました。私は「こんなに早く」と思いました。突然の来訪で心の準備もなく、この日まで二年間抑えてきた宮本への怨念が一ぺんに罵声となって出てしまいました。妻と長男、そして法要に出席した知美の友だち二人もいて同じように罵りました。

何を言ったか全部を覚えていませんが、宮本煌に「法廷で『供養のために仏門に入りたい。誠心誠意尽くしていきたい。家、土地を処分してでも償う』と言っただろう。ようく考えて出直しなさい」と言って帰しましたが、それ以後何の連絡もなく、もう半年以上すぎています。

刑は二年、短いものと思いましたのに、刑務所にいたのは実質一年で仮出所させる司法の甘さにはあきれてしまいます。悔しいばかりです。親にとって子どもは正に生きがい、生きる力です。その子どもを亡くしたこの悲痛、辛さは言葉には表せません。

このように手紙を書いている最中も娘の知美、たった一人の娘、知美の思い出を回想し、涙……、必死で他のことを考えて紛らわせています。今年も年賀状、どうしてもおめでとうと書く気持ちになれず、出さずじまいです。毎日、仕事中は仕事に集中していれば知美の思い出は紛れると思って仕事していても、どうにも知美を思い浮かべて涙が出そうなときはトイレへ駆け込み、一人涙して気を取り直し、また仕事を続けています。夜は知美の夢を見て時々うなされて妻に起こされたり、泣き叫んで、朝、枕が涙で濡れているときもあります。

妻も同様、夫婦互いにこのような生活を一生続けていかねばなりません。知美は生きていれば今年一月十八日で十九歳になり、来年の一月には成人。妻は成人式のために準備していた積み立てで振り袖を仕立てようと、今頃着物の展示会に行ったりしています。妻の気持ちを思うと辛い、辛い……。しかし私は妻、長男のために生きねばなりません。嘆いてばかりいては病気になりそうで、何か悲しい気持ちを紛らわすことを毎日考えて生きています》

私も宮本に手紙を出していた。当時、この事件のことを連載していた雑誌のコピーを同封し、会っていただけないものかと要請した。その手紙は返送されてはこなかった。

私は九七年の九月、飯塚に立ち寄った折り、宮本の自宅に電話をかけた。すると、本人に取り次がれた。私は取材の意思を伝えたが、「そっとしておいてほしいと保護司にも言ってあります。何も言うことはありません」とにべもなく通話を切られた。が、その数分後、私は宮本の自宅の前に着くことができた。玄関で来訪の意思を告げると、応対してくれたのは宮本の妻であった。

「主人は疲れています。お引き取りください」

玄関に膝をつき、私を見上げるようにしていきなりそう切り返した。

「何を言っても同じです。昔、(マスコミに)叩かれましたから……」

すると、家の奥から、法廷で聞き覚えのある声が聞こえた。怒っている。宮本の声だ。私の声は聞こえているようだった。

「私はもう関係ない。帰ってもらえ。玄関のドアを閉めろ」

「関係ないことないでしょう」

私は食い下がった。妻はいまにも発狂しそうなほど憔悴しきってみえた。髪は乱れ、顔に精気がなかった。

「会っていただかないと、一方的に書くことになります」

「しょうがありません」

「宮本さんに会わせてください」

その間にも奥から「帰ってもらえ」という声が何度も聞こえた。語気がだんだん荒くなるのがわかった。

「どうか、お帰りください。お願いします」

十分近くやりとりしただろうか。私はいったん玄関を出た。車庫にはドイツ車がとまっている。私は夏の名残りの太陽に照りつけられながら、しばらくそこで立ち尽くしていた、十分も経っただろうか。車庫に、小柄だが、がっちりとした体格の男性があらわれた。宮本煌その人だった。

私は彼に駆け寄った。

「宮本さん、話を聞かせてください」

「そっとしておいてほしい。静かにさせておいてほしい。そのことに触れると、頭がぴんぴんとふれるんです」

「陣内さんへの謝罪がないじゃないですか。陣内さんは、誠意をもって謝ってくれるだけでいいとおっしゃっているんですよ」

「この間、謝りました」

「それが逆に関係をこじらせているんです」

「しょうがありません」

宮本はクルマのキーを指先に下げたまま、淡々と話した。ときおり困ったような笑顔が出る。法廷で見たときより、ずっと小柄に見えた。

「何もあなたについての悪口を書こうというんじゃありません」

「私にとって有利に書いてくれるんでしょうけど、何を言っても、遺族の方には無駄ですから。これから、遺族の方に何かするつもりはありません」

「どういうことですか」

「遺族の言うことを聞くと、(佐田主催の)集会に出ていかなければならないし……。保護司と陣内さんの板挟みになって困っているんです」

「遺族の気持ちを考えてほしいんです」

「(自分が何を言っても)遺族の方には納得していただけないでしょうから、時間しかないんです。静かにしておいてください。何を言っても過去は消えないことですから。時間が経つのを待つしかないんです。時間しかないんです」

五分ほどの立ち話だった。宮本は話を切り上げるとクルマに乗り込み、玄関から表に出てきた妻と娘を乗せて、走り去った。私は次第に小さくなるクルマの後ろ姿を見ながら、宮本が口にした台詞を口の中で復唱していた。時間が経つのを待つしかない……。時間が経つのを待つしかない……。

それを言う資格があるのはあなたではなく、知美さんの遺族のほうではないのですか。

私はそう激しく言い返したい衝動に襲われた。全身から汗が吹き出していた。それがただ暑さのせいでないことはわかっていた。

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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