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【連載】暴力の学校 倒錯の街 第34回 「善意」をまとった暴力

藤井誠二ノンフィクションライター

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「善意」をまとった暴力

担任の棚町が高田の訴えに真摯に耳を傾け、それを小山教頭に上げていれば事態はどうなっていたのだろうか。

棚町敏雄は一九七九年に熊本大学法文学部を卒業したのち、嘉穂高校の定時制非常勤講師として一年間、英語を教えている。八○年から近大附属に勤務、同じく英語を担当してきた。

九五年四月から二年一組の担任となる。授業時間は棚町が週に三時間、宮本が六時間で、就職コースという性格上、簿記を担当する宮本が多かった。

《ちょうど期末テストの一週間くらい前で、私と宮本先生は教科書を家に持って帰るように指導していました。私と宮本先生は生徒たちが教科書を持って帰っているか調べようということになり、私が漢字の再試験監督をしているところに宮本先生が入ってきて、後ろの席に座っていたのです。宮本先生は答案を提出して帰ろうとする高田君に対して、『中身入っているか?』と尋ねたところ、『入っちょう』と投げ捨てるように言ったのです。私が高田君のカバンを見る限り、教科書は入っていないようでした。高田君は廊下に逃げ出し廊下で宮本先生とカバンの取り合いになったようで、再び両名は教室に戻り、揉み合いになりました。このとき、宮本先生は高田君を叩いていると思いますがはっきりとは覚えていません。高田君が階段のほうへ逃げ出し、宮本先生もあとを追いました。

私は心配になり、あとを追いかけていくと、高田君は階段の踊り場で座り込み、泣き喚いていて、宮本先生は高田君の抱えているカバンをとにかく必死で取ろうとしていました。私は『危ない』と言いながら、二人の間に入り、高田君を起こそうとしたのです。このとき、宮本先生は多少興奮していました。先生がカバンを見せろと言った時、普通であれば生徒は素直に応じるものであって、これに応じないということは何か理由があるのだから、カバンの中身を見せるように宮本先生が説得するのは当然のことだと思います。しかし、カバンの中身を見せず反抗的な態度を示したからといって、むりやりカバンを取り上げようとすることは多少行き過ぎがあったと思います》

高田が、「宮本先生おかしいんじゃない?」と言ったことについて棚町はこう答えた。

「君のような反抗的態度だったら誰でも怒る。どうして素直に、(教科書を)持って帰ると言わないんだ。宮本先生に謝りなさい」

「言いきらん」

「じゃあ、いっしょに謝りに行ってやる」

棚町は高田を諭しながらも、やはり高田の親には連絡をして、事態を説明すべきだと考えた。

《電話で、私は高田君のお母さんに、宮本先生の行き過ぎた行動をお詫びすると共に、高田君が宮本先生にたいへん失礼な態度をとったことを伝えました。その後、宮本先生の提案で、私と宮本先生と高田君のお母さんの三人で、六月二○日に話し合いの機会を持ちました。お母さんは学校に対して怒っている様子はなく、家庭内で高田君の態度に困っているとの話が出ました。これから協力していくということで互いに納得できましたので、校長先生をはじめ他の先生方には報告しませんでした。しかし、いま考えると報告しなかったのは職務怠慢だったと思います》

カバンを見せることは「常識」だろうか。高田も言っているように、「異性に見られたくないものが入っているからではないか」という女性の気持ちに意識がまったくいかないこと、そしてカバンを強制的に開けることは重大な人権侵害であること、を棚町はわかっていない。

その上、体罰を否定しながらも、高田が宮本に殴られていることを即座に止めていない。そして、高田の訴えを事実上無視し、宮本の肩を持ち、宮本の無軌道ぶりを危険視できなかった。

宮本は棚町より十歳上だ。その分教員としてのキャリアも長い。

《先輩教師として接してきました。私と宮本先生が二年一組を受け持つようになったとき、遅刻・欠席をなくそう、挨拶をするように指導しよう、人に迷惑をかけないように指導しようという話し合いをしました。クラスには過去に謹慎処分になった生徒が複数おり、もう一度謹慎処分を受けたら退学になってしまうのです。宮本先生は、一学期が終わるころには退学する子がいるかもしれないから、きちんとしなければいけないと言っていました。宮本先生は筋が一本とおっていて、情熱的な先生でした。就職などの世話をする立場にあったためか、二年一組の子たちをなんとか良い生徒にしなければいけないという使命感があったと思います。そのために厳しい生活指導をしてきたのだと思います。宮本先生の教育方針は物を大事にすること、他人に迷惑をかけないということですが、私と宮本先生は体罰の是非について話し合ったことはありません。宮本先生が叩くことをどう考えていたかはわかりませんが、生徒を叩いていたことは事実です。宮本先生は、生徒を叩いたあと、『何回も何回も同じことをしてどうするんだ』とか、化粧をしている生徒に対して『マニキュアには発ガン性がある』『化粧をしなくても十分に綺麗だ』と諭していることもありました》

宮本の熱心な指導が、勢いあまって、それが陣内知美の死につながったと繰り返す棚町。宮本の教育観には誤りはなかったと持ち上げるのだが、では、棚町の校則観・体罰観はどんなものだったのだろうか。

棚町自身も体罰を完全に否定していたわけではない。さきの校則違反に関して「経過観察」を受けた生徒たちが二年一組には多かったことがその原因だ。棚町はこう告白する。

《二年一組以外のクラスでは、一クラス四六人の内、だいたい五、六人、少ないクラスで二、三人でしたが、うちのクラスでは三六人中一五、六人が経過観察の指導を受けています。陣内君も髪が赤いということでその対象になっています。二年一組では、私と生徒たちの間で特別な取り決めをしていました。私は他の先生から服装などについて注意されたときは、必ず私に報告するように指導しています。なぜならば、自分の組の生徒には服装をきちんとしてもらいたいという気持ちと、他の先生から私の組の生徒を指導したことを言われるのが嫌だったからです。ですから、私は他のクラスの先生に注意されながら私にきちんと報告に来なかった○○、○○、○○の頬を平手で一発ずつ叩いたことがあります。遅刻、化粧、スカートの丈について数回注意しても言うことをきかなかった生徒の頬を、教育目的で平手で叩くのです。私のクラスでは、○○、○○、陣内知美、山岸景子の四人が遅刻が多く、彼女たちを叩いたことがあります。叩いたあとは遅刻の回数が減り、教育的効果は上っていたと思います。○○、○○、○○についてはスカートの丈のことで叩いたことがあります。

先生から叩かれた生徒は痛い思いをしますし、叩いた先生も手が痛くなります。生徒のことを叩きたい先生はいないし、生徒が素直に応じでくれさえすれば先生は生徒を叩かないのです。先生が生徒を叩くのは許されないことだと思うのですが、教育指導上やむをえず生徒を叩く場合があります。私たちは少しでも生徒が良くなってくれればという教育目的から生徒を叩くことがあるのです。何度注意を受けても言うことを聞かない生徒に対しては、叩くことによって教育をする必要があると感じています。

生徒を叩く際には、生徒の誤りを説明し、生徒に非を認めさせた上で叩くべきだと思います。何の説明もなしにいきいなり生徒を叩くのはいけないことであると考えています。先生が生徒を叩くのは教育指導上の効果を期待してのことであるので、先生が生徒を叩く際には生徒の安全を確認すると共に、他の生徒が見ていないところで叩くべきだと考えます。叩くとしても必要最小限に抑えるべきで、続けて何回も叩くのは許されないのです。校長先生から体罰はいけないと言われていますが、私を含めて数人の先生が生徒を叩いているのが実態です。生徒指導にあたっては叩くこともやむをえないと考える人が多い、という印象を受けています》

叩いたおかげで遅刻が減少したことが「教育的効果」で、叩いてもスカートの丈が短いままなのは「数育的効果」があらわれていない――私は愕然とする。いったい「教育」とは何なのか。「教育」や「指導」という言葉に酔い、その中身はただ単に校則に従わせるだけの空疎なものであっても、それを自覚することなく、知美が殺されたあともこのような持論を保持できる精神とは、いったい何なのか。「善意」を孕んだ暴力ほど恐ろしいものはない。これでは宮本との相互作用はあっても、自浄作用は期待できないのは当然である。

高田純子は六月十四日の事件のあと、数人の友人らと棚町へ「宮本先生を代えてほしい」とも訴えている。が、その訴えもむなしく、知美が犠牲になったのである。

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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