【連載】暴力の学校 倒錯の街 第24回 一体化するデマと署名運動

目次へ

一体化するデマと署名運動

裁判長が井上に体罰について聞くと、彼は次のようなことを述べた。

《体罰について職員会議を開いたことがあり、父兄から体罰について質問がきたこともあります。私も九年間のうちにやり過ぎたかなと思う、平手の体罰は一回したことがありますが、結果的に失敗したと思います。スキンシップのようなもので、『さぼらんでがんばっちゃれよ』というようなものは一、二度あります。宮本先生とは卓球場や体育館でずいぶんいっしょに時間をすごしたと思いますが、宮本先生が体罰を加えているところを見たことはありません》(証人尋問より概要、以下同)

最後に、井上は宮本の弁護人桑原から、知美が宮本に殴り倒された廊下の床の材質や、生徒が履いているスリッパがズックから変わった時期などを聞かれている。それは桑原の「戦法」で、つまり「知美は宮本の体罰で倒れたのではなく、滑ったせいもある」と立証せんがための質問なのである。この質問は、後に紹介する、証人として出廷した宮本の教え子たちにも発せられている。

井上は、署名活動が陣内さんの身内にまでおよんだことを否定したが、これによって井上が無知であることをその直後に知ることになる。検察側の証人として立った元春は、激しい鴫咽をもらしながら、署名用紙を持った人物が(元春の)妹の家や、自分が勤める会社にまで来たことを証言したのである。

《知美は私の生きがいでした。楽しいときも苦しいときも、とくに辛いときは子どものことを思って我慢して暮らしてきました。もう高校二年になりましたので、あと何年かで成人させることができると思って、将来を夢見て生きてきました。初公判での検事の冒頭陳述で犯行の状況を知りました。娘の知美は、身長一五○センチで、体重四○キロ足らずのまだまだ未熟な女の子でした。その小柄な女の子に対して、あのような暴力を振るえば、とんでもないことになることは火を見るより明らかです。犯行のときに、知美が被告人の襟首を持ったので(被告人は)びっくりしたとありましたけど、知美は苦し紛れにしがみついたのじゃないかと思います。たった一人の娘をこのような苦しい目に遭わせて、殺してしまって、どうしてくれるんですか。

毎日、毎日、娘のことが愛しくて愛しくて、生きた心地がしません。

一○月二七日に弁護人の桑原先生から連絡かありました。宮本さんのほうから三○○万やっとできたので、お詫びの一部として渡したいからということで連絡がありました。それで、こちらのほうから連絡いたしますのでということで、今賠償の話は第三者を通じてすすめている途中です。

被告人からは九月二○日ごろでしたが、手紙が届きましたが、その手紙は信用できません。まだ、被告人からのお詫びの言葉を聞いていません。

宮本被告人の奥さんが七月一八日の命日に来て、そのあと四十九日にみえられ、九月一八日の月命日にも来られました。一○月二日の初公判の後、一○月一八日にみえられたときには私が断りました。

減刑嘆願書の提出をされているし、保釈の申請をすぐに出されましたね。どうも、やられていることを見ると、筋が合わないなと思いました。お詫びの手紙は来ているんですけど、減刑してください、保釈してくださいというもので、これにはどうも納得できません。

嘆願書の署名を集めに、私の妹のところに一件ありました。

私は敵討ちしたい気持ちです。私たち家族、親族、たくさんの友だちの知美への愛情と友情を奪ってしまった宮本被告人を絶対許せません。絶対許せません》

元春の妹は結婚後、姓が変わっている。おそらく、署名員は陣内家の身内とは知らずにやってきたにちがいない。その署名員はこう言った。

「知美さんのお母さんは、事件の直後、学校に怒鳴り込んで保証金を要求したような人なのよ」

だから、そういうひどい母親から宮本先生を守るために署名をしてほしい、としつこくせがまれた。元春の妹はたとえようのない怒りを覚えながらも、それを表情に出すことをこらえ、「とにかく、しませんから」と言って追い返したのだった。

むろん、署名員の言ったことは根も葉もないデマである。

目次へ