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40代研究者の死に涙した心優しい人たちへ

榎木英介病理専門医&科学・医療ジャーナリスト
弱くても、失敗しても生きられる社会を(GYRO PHOTOGRAPHY/アフロ)

ある女性の死

 一人の女性の死は、多くの人の心をかき乱した。女性はNさん。享年43。

 日本学術振興会の特別研究員の中でも難しいとされるSPDに採用されたり、「普寂を中心とする日本近世仏教思想の研究」で第6回日本学士院学術奨励賞、第6回日本学術振興会賞を受賞するなど、目覚ましい活躍をしていた。

日本近世(江戸時代)の独創的な仏教思想家であり実践者である普寂(ふじゃく 1707-1781)の思想を分析し、従来の研究では形骸化した思想として軽視されがちであった近世仏教思想に対して、新たな視点からの再評価を行った。

出典:第6回(平成21年度)日本学術振興会賞受賞者

 私は分野が違うので、研究内容の評価は難しいが、Nさんが日本学士院学術奨励賞を受賞したときに同時に受賞した生命科学者の後藤由季子博士や東原和成博士が現在ともに東京大学の教授であることを考えると、どれだけすごいのかなんとなく想像できる。

 そんな優秀な研究者が、研究職が得られず非常勤講師や専門学校のアルバイトで生活をせざるを得なかった。そして…

 Nさんがなぜ自ら命を絶たなければならなかったのか…SNS上では多くの声が寄せられ、Nさんの死を受けた記事も書かれた。

 そして4月18日には朝日新聞の紙面でNさんの件が大きく報道された。

死の理由

 実は私は、記事が出る前にこの件について取材を受けていた。思ったことを朝日新聞のウェブに寄稿している。

 有料記事なので、購読者以外は全文を読むことができないが、要点はかつてYahoo!ニュース個人に書いた記事、九大「オーバードクター」の死にみる「夢のソフトランディング」の重要性をベースにしている。

 そう、昨年移転間近の九州大学の研究室で、研究室と自らを火にかけ亡くなった方とNさんは、同世代の人文社会科学系の研究者なのだ。同じ年(1972年生まれ)の可能性が高い。もちろん、実家を頼ることができたNさんと九大の方は状況が異なる。

 死と研究者としての苦境にどれだけ因果関係があるかは、本人にしか分からない。だから、軽々しく「研究環境が悪いから亡くなった」などというべきではないという声も聴かれる。

 WHO 自殺予防 メディア関係者のための手引き(2008年改訂版日本語版)では、自死について繰り返し報道してはならないとされる。

自殺の要因はほとんどの場合、多様で複雑なものであり、極端に単純化して報道すべきではありません。自殺は、決して単一の要因や出来事から生じるのではなく、精神疾患、衝動性、文化的要因、遺伝的要因、社会経済的要因などさまざまな要因を考慮に入れる必要があります。

出典:自殺予防-メディア関係者のための手引き(改訂版) 概要

 しかし、記事にショックを受けている方々のために、ガイドライン10「どこで援助を求められるかについて情報を提供する 」ことを目的として、以下書きたい。

助けを求めよう

 今思い悩んでいる方は、厚生労働省の自殺対策ページメール・SNS等による相談などを見てほしい。

 経済的苦境に立たされている方は、生活保護という手段があることを知ってほしい。

 団体などは以下。

「同情するだけ」はやめよう

 今は困っている状況ではないが、この件に心をかき乱された方々(私も含まれる)はどうすればよいだろうか。

 同情だけでは意味が全くない。

 自らは関係ない「高み」にいて、同情や無責任な言葉を投げかけるのは意味がない。

 研究職をすでに得ているような人たちが、「職は選ばなければ、こだわらなければある」などということはどれだけ残酷か。研究職という、ある種こだわり尽くさなければ得られない職業になれない悔しさ、周囲の期待に応えられない、自分の希望通りにいかない苦しさは、当事者にとっては生死を決めてしまうくらい苦しいものだ。

「それに、自立相談支援制度での相談支援事業は、低学歴で就労経験が少なく就労意欲も低い方々を基本的な対象としている感じがあります。Nさんが窓口を訪れたとすると、『高学歴なのだから、選ばなければ仕事はあるでしょう?』『ハローワークに繋ぎます』という対応を受けたかもしれません」(仲野さん)

 それは、「研究者として生きるな」という宣告だ。到底、受け入れられないものだっただろう。

(著者注:実名をイニシャルにしています)

出典:みわよしこさん記事

 また、「起業すればいいんだよ」という人もいるが、起業しろという人の多くは起業経験などない。外国に行けばいい、という人も同様だ。

生きざまをみせて

 研究の世界も含めて、脚光を浴びるのは成功者たちだ。大学や研究機関をやめた人たちは「消えた人」になってしまう。

 しかし、きらびやかな成功事例をあがめるだけでは何も解決しない。大学や研究機関から離れた人は、はたから見たら社会的に成功とは思えなくても、周囲の評価が低くても、泥をすすってでも生きてますよ、生き抜いていますよ!という姿を堂々と見せてほしい。

 それが、「承認欲求」の呪縛に苦しみ、周囲の期待から降りられなくなった人たちに、別の道もあるよ、と示すことにつながる。

 大学や研究機関を辞め、会社員として、公務員として、さまざまな立場で研究する人、「独立研究者」、「アマチュア研究者」という人たちがいる。論文が大学や研究機関でなくても読めるオープンアクセスが進めば、こうした形の研究者が増えるだろう。

 でも、あくまで私の印象でしかないが、こうした人たちは、自分を受け入れてくれなかった大学やアカデミアに恨みを抱き、「見返してやる」というルサンチマン的思いを抱いて研究する人が多かったようにみえる。

 そういうネガティブな気持ちではなく、自然な、好奇心駆動で、楽しくてたまらないから研究するといった気持ちで研究する、アカデミアと社会の壁をやすやすと、軽々と超える人たちが増えてほしい。

 私自身もそれを行動で示したい。

 4月から大学をやめ、僻地認定されている地方の病院に病理医として勤めている。もちろん食うに困るという状況ではないので、突っ込まれるのは覚悟している。

 しかし、大学から離れ、中央から離れて、地域で困難に直面しながらもなんとかやっている姿をお見せしていきたい。

半歩でも、一歩でも

 Nさん、九大の方、いずれもいわゆる「就職氷河期世代」に属する。

 この世代が見捨てられてきたのではないかという声が多く聞かれる。こうした声に政府も動き出すようだ。

 今さら遅いという声も出ている。

 博士号を持っているような人ですら職がない状態に追い込まれている状況では、もう時間はないのかもしれない。

 しかし、例えば「ジョブ型」の雇用を増やす、地方の中小企業も含めた丁寧なマッチングを行うといったことで、改善できることもある。

 Nさんの死に涙した心優しい人たちにお願いしたい。それぞれの立場で、半歩でも一歩でも行動してほしい。おかしいと思ったことに意見を言い、投票にも行こう。

 ポストドクター問題―科学技術人材のキャリア形成と展望には、知人や友人が自死したという証言が多く掲載されている。こうしたひそかに語られてきたことがオープンになる功罪はあるが、これを機に、たとえ成功しなくても、弱くても、失敗しても、そして夢がかなえられなくても生きていくことができる研究者コミュニティに変わってほしいと強く願う。

病理専門医&科学・医療ジャーナリスト

1971年横浜生まれ。神奈川県立柏陽高校出身。東京大学理学部生物学科動物学専攻卒業後、大学院博士課程まで進学したが、研究者としての将来に不安を感じ、一念発起し神戸大学医学部に学士編入学。卒業後病理医になる。一般社団法人科学・政策と社会研究室(カセイケン)代表理事。フリーの病理医として働くと同時に、フリーの科学・医療ジャーナリストとして若手研究者のキャリア問題や研究不正、科学技術政策に関する記事の執筆等を行っている。「博士漂流時代」(ディスカヴァー)にて科学ジャーナリスト賞2011受賞。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。近著は「病理医が明かす 死因のホント」(日経プレミアシリーズ)。

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