Yahoo!ニュース

【オウム裁判】最高裁の決定は妥当だ

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
最高裁判所

 オウム真理教の元信者で、都庁爆弾事件に使われた爆弾の原材料を運んだとして殺人幇助罪に問われ、東京高裁が無罪とした菊地直子さんについて、最高裁第一小法廷(池上政幸裁判長、大谷直人裁判官、小池裕裁判官、木澤克之裁判官、山口厚裁判官)が検察側の上告を棄却した。これで無罪が確定する。妥当な結論であり、幾重にも推論や可能性を重ねて無理矢理有罪を導き出した一審判決を批判している点も適切と言えよう。

法廷での菊池被告
法廷での菊池被告

 一審判決(杉山愼治裁判長、江美健一裁判官、戸塚絢子裁判官)は、いくつかの間接事実から彼女の認識を推測し、それを元に「(教団幹部であった井上嘉浩死刑囚らの活動が)人の殺傷が生じ得ることも想起することが可能である」と可能性を論じたかと思うと、それがいつのまにか前提事実として扱って、「人の殺傷を伴うことがあり得ると認識した」と新たな認識へと飛躍させるなど、刑事裁判の判断のあり方として非常に問題があった(詳しくは、拙稿「論理は飛躍し、オウムの特異性は置き去りに~菊地直子への判決」)。

 最高裁決定は、「(一審判決が示した間接事実から)事実認定の前提となる『人の殺傷結果の想起可能性』を推認することは、そもそも困難と言うほかない」「抽象的な結果発生の認識可能性から殺人未遂幇助の意思の認定にまで高めるには飛躍があるといわざるを得ない」などと一審の判断プロセスの問題を具体的かつ丁寧に指摘し、その非合理性を批判的に論じた。

二重に意義深い判決

 被告人がどのような組織に属した人間であっても、刑事裁判では「疑わしきは被告人の利益に」の原則の下で、きちんとした事実認定と合理的な判断がなされるべきで、それが守られたことは大いに意義がある。

 オウムの後継団体であるアレフは、「オウム事件はすべて濡れ衣」「サリン事件もデッチ上げ」などと書いた印刷物を新たに勧誘した信者に配ったりもしている。オウム事件だからといって、本来の裁判のあり方を曲げて、裁判所が無理に罪人を作りあげれば、教団のこのようなデマ宣伝にそれなりの説得力を与えかねない。

 そういう観点からも、刑事裁判の原則を守った今回の最高裁決定は意味があった。ちなみに、オウム事件では190人以上の幹部や信者が起訴されたが、全面的な無罪判決はこれで2件目だ。

 アレフは、いい加減、事件から目を背けるのはやめて、一連の凶悪犯罪が教祖麻原彰晃こと松本智津夫の指示や教義に基づいて行われたことを認め、自分たちが引き継いでいる教義の問題性を考え、信者らにデマ宣伝を行うのはやめるべきだ。

裁判員裁判のあり方を考えたい

 それにしても、一審はどうして、あのような非合理な有罪判決に至ったのだろう。裁判員裁判では、こうしたテロ事件ではとりわけ良好な治安を求める意識が働いて検察よりの判断になるのは想像に難くないし、迅速な審理を求めるあまり十分な証人尋問で教団の特殊性を理解する機会が十分でなかったことも影響したかもしれない。しかし、だからこそ、こういう事件では、裁判長が刑事裁判の原則を裁判員らにしっかり説示して、適切な判断が行えるようにする役割が期待されている。

 この裁判で、裁判長はいかなる説示を行い、裁判員たちがそれをどう受け止めたのかが気になる。裁判員は評議に関しては守秘義務が課されているが、裁判長の説示の中身や、裁判員たちの受け止めについては、その範囲外として、後日の検証が可能な状況にすることが、裁判員制度をよりよいものにすることにつながるのではないか。できれば、その説示までは、公開の法廷でやってもらいたいと思う。

捜査やメディアの問題

 本件は、そもそも、起訴そのものが無理筋だったと思う。彼女に薬品の運搬を指示した中川智正死刑囚が彼女には使用目的を告げていないと述べているうえ、都庁爆弾事件を指揮した井上死刑囚にしても、何をしようとしているのか、彼女に具体的に伝えたわけでもない。

 この事件は、オウムに対する強制捜査が始まって2か月足らずの時期に起きた。当時、私たち外部の者にとっては、地下鉄サリン事件がオウムが引き起こしたものであることはすでに常識でも、信者の多くは「宗教弾圧」だと信じており、教団が殺人事件に関与するとは思っていなかったようだ。殺人事件への関与は、教団内でもトップシークレットで、菊地のような下っ端信者には知らされないのが普通。そういう者に犯罪への関与を指示する際には、全体像を知られないよう、部分的な行為を指示するだけ、というのが常だった。

「だったら逃げる必要はなかった」という人もいる。

 結論からすればその通りなのだが、実行犯らと目的を共有しておらず、殺意がなければ罪に問われないという司法の前提を、高校を卒業しただけの彼女が知らなかったのは、不思議ではない。しかも彼女は、まったく身に覚えのない地下鉄サリン事件で特別手配をされていた。メディアも「走る爆弾娘」などと、彼女が犯罪者である前提で大きく取り上げていた。そんな中で、やってもいない罪を背負わされるのではないかという恐怖から、出頭して身の証を立てようという気にならなかったのも、これまた理解可能なのではないか。

 捜査や裁判が進み、彼女が地下鉄事件に関与しているとは考えにくい状況になった後も、同事件での特別手配を続けたことなど、捜査のあり方やメディアの報道についても反省すべき点があるように思う。

オウムは人を不幸にすることしかしない集団

 刑事責任に問われることはないとはいえ、彼女が運んだ薬品で爆発物が作られ、被害者に大けがをさせ、生涯残る障害を負わせてしまったことは事実だ。一方で、彼女はオウムが凶悪犯罪を行う組織とは知らずに引き込まれ、そのために人生の大事な時期を台無しにしてしまった。改めて、オウム真理教は人を不幸にすることしかしない集団だと思う。

 最高裁決定を受けて、菊地さんは自らの道義的責任を自覚し、謝罪するコメントを出した。その気持ちを忘れることなく、家族などとの人間関係を修復し、今後の人生を幸せに生きて欲しいと願う。

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

江川紹子の最近の記事