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伝統仏教での性加害事件・天台宗での調査始まる~徹底した事実解明と説明が求められるワケ

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
記者会見する叡敦さん(右)と代理人の佐藤倫子弁護士(大津市で)

 四国にある天台宗の寺の住職A僧侶から14年にわたって心を支配され、繰り返し性暴力を受けたとして、50代の尼僧叡敦(えいちょう)さんがA僧侶とその師であるB大僧正の僧籍剥奪を求め、懲戒審理を申し立てた件で、天台宗務庁は調査を開始し、3月4日に叡敦さんから事情を聞いた。叡敦さんは代理人弁護士と共に記者会見し、「ようやく(事実を明らかにする)土俵に乗れた」と語った。

 信仰心が篤い女性に、宗教的な力関係を利用して性的関係を強要し、身内で隠蔽を図った、という本件訴えの構図は、カルト宗教での教祖の性加害やカトリック教会の聖職者による性的虐待に通じるものがある。宗派による調査では、徹底した事実解明と説明が求められるが、それについて論じる前に、まずは陳述書や叡敦さんの話、提出された証拠などから、ことのあらましを見ていく。

天台宗務庁
天台宗務庁

「仏さま」と共に育つ

 叡敦さんは、天台宗の宗教的価値観の中で育った。母方の祖父母は信仰心が篤く、叡敦さんも2歳の頃には「仏さま」に手を合わせていた。幼い頃から祖母と共にお寺のお堂の掃除を行い、保育園の帰りに道ばたで摘んだタンポポを地蔵尊に供えて語りかけるなど、「仏さま」は常に身近で、自身を優しく包み込む大きな存在だった、という。

 複数の親族が僧侶となり、今回訴えの対象になったB大僧正もその1人。叡敦さんが小学生の時、千日回峰行を成就して阿闍梨となったB大僧正の話を祖父母から繰り返し聞かされ、以来、「生き仏」と崇拝し、畏敬の念を抱いてきた。大僧正は僧の階位の最上位だ。

「生き仏」の指示で

 叡敦さんは2000年から仕事をやめ、病気の両親の介護に専念していたが、06年に父が、09年には母が死亡した。死後はB大僧正に法要を営んで欲しいという母の言葉に従い、滋賀県大津市にある寺を訪ねた際、B大僧正から弟子のA僧侶を訪ねるように指示された。

 初対面の後、A僧侶からはしばしば電話があり、行く先々で出くわしたため、叡敦さんはストーカー行為をされている怖さを感じた。それでも、「生き仏」と信じるB大僧正から、「Aの言うことは私の言うことだと思うように」と言われていたこともあり、不安な気持ちは胸に納めて誰にも相談はしなかった。

真言を唱えながらの性被害

 初めて性被害に遭ったのは、09年10月。A僧侶から体調不良を訴え「すぐ来てほしい」という電話があり、寺に行ったところ、延々と身の上話を聞かされた後、突然押し倒された。叡敦さんは、「怖さのあまり固まってしまい、全く動けませんでした」という。性行為の最中、A僧侶は「おん、あろりきゃ、そわか」という真言を唱えるよう命じた。叡敦さんは被害を受けながら、必死で言われた通り真言を唱え続けた。そうしなければ「仏さま」に見捨てられる、という必死の思いだった。その後の記憶は、ほとんど途切れたままだ。

 以後も、寺に呼び出されたり、ホテルを連れまわされたりして、繰り返し性行為を強いられた。さらに、寺に住まわされ、外出を禁じられるなど、事実上の軟禁状態となった。その間、性暴力や暴言を浴びせられることが続いたほか、大事にしていた長い髪を切られ、剃髪されて尼僧として振る舞うように求められた。抵抗すると「坊主に逆らうと地獄に堕ちるぞ」「俺の言葉はお観音様の言葉と思え」などとすごまれ、抗う気力はしぼんだ、という。

 A僧侶は、他の女性信者とも性的関係を結ぶことがあった。叡敦さんには、自分が「お観音さん」に代わって行っていると、あたかも性行為に宗教的意味があるかのような説明をしていた。

求めた助けは得られず

 叡敦さんは、紹介者であるB大僧正に手紙を出したり訪ねたりして、何度も相談したが、耳を傾けてもらえなかった。それどころか、既婚者の叡敦さんに対し、「このことが公になったら困るから、お前は離婚しろ」「(離婚のために)弁護士が必要なら、何人でもつけてやる」と言った。

 「生き仏」と崇めるB大僧正のこうした対応もあって、叡敦さんは心身共にA僧侶に支配され、性行為の要求に応じないという選択肢はなくなった、という。

寺を脱出、刑事告訴したが…

 それでも、一度は逃げ出したことがある。

 寺で受ける被害があまりに辛く、行政の女性センターに電話で相談したことや、たまたまテレビでジャーナリスト伊藤詩織さんの性被害についての記者会見を見たのがきっかけだった。ネットでつながった外部の支援者に助けを求め、17年10月に寺を脱出。一時期は、民間の支援団体のシェルターで生活をした後、警察に告訴状を提出した。

 警察は捜査を始め、最初の被害についての強姦容疑で寺の家宅捜索もなされたが、検察の判断は嫌疑不十分で不起訴だった。当時の強姦罪は、有罪とするには抗えないほどの暴行・脅迫があった証拠が必要。捜査の10年前に起きた出来事でもあり、検察が有罪にするだけの証拠をそろえて罪に問うのは難しかったのだろう。

不起訴は「仏さまの答え」と思い込む

記者会見で語る叡敦さん
記者会見で語る叡敦さん

 しかし、当時は弁護士とのつながりもなく、法律についての説明やアドバイスを受けることもなかった叡敦さんは、「これが仏さまから出された答えなのだ」と感じた。宗教的な回路でしかものを考えられない情況だった。落胆のあまり「もう死ぬしかない」とまで思い詰めた。せめて死ぬ前に、「仏さま」がこのような答えを出した意味を教えてもらいたいと、再びB大僧正を尋ねた。

 身体が離れても心の呪縛は容易に解けない。この現象は、カルト宗教の信者などでもしばしば見られる。たとえばオウム真理教では、せっかく逃げ出したのに、地獄に堕ちる恐怖に襲われ、教祖の許しをもらおうとして自ら戻ってしまった信者が監禁された例がある。

 叡敦さんを見るなり、B大僧正は「身内を訴えて、どうするんじゃ」と怒鳴り、早くA僧侶の元に戻るよう命じた。それが「お不動様のお慈悲」だとも言った。叡敦さんは、その言葉が今も耳にこびりついている、という。

諦めの気持ちと家族の説得

 結局、寺に戻った叡敦さんに、A僧侶は「お前は地獄行き。来世もまだひどい目に遭うようになるんじゃ」「信心が足りん!」などと怒鳴った。戻ってからは、性行為を強要されることはなかったが、身体を触られるなどのわいせつ行為は続いた。

 日頃A僧侶から「お前のことなど誰も心配していない。死んでも葬式あげる身内もおらん」と言われていた叡敦さんは、この寺でしか自分の生きる場所はない、と諦めの気持ちになっていた。

 こうした心理状態は、2014年に埼玉県朝霞市で中学2年の少女が誘拐され、2年間にわたって監禁された事件の被害者を彷彿とさせる。少女は、犯人の男から「おまえは親に捨てられた。誰も捜していない」と言われ、孤独な情況を強いられた。監禁中の暴行などはなかったが、東京高裁は男が「洗脳という心理操作で心理的拘束を行った」とことを重く見て、懲役12年の判決を言い渡している。

 実際には、姉夫婦や夫が叡敦さんの救出のために動いており、寺に戻ったことを知ってホテルに呼び出し、夜通しで説得した。それに押されるように、叡敦さんは心は納得しないまま、寺から離脱した。しかし、その後も激しいパニックに陥り、死の衝動に襲われた。医師からは複雑性PTSDとうつ病の診断を受け、治療を受けたが、今もしばしば被害状況がフラッシュバックする情況は続いている。

性暴力を認めた証拠も

 以上が叡敦さんが説明する経緯だが、天台宗務庁への懲戒審理申告には様々な証拠も提出されている。その中には、叡敦さんとA僧侶のメールのやりとり、「強制的な性暴力行為」を行ったことを認めて今後は意に反した性行為は行わないと約束するA僧侶の署名入り念書、「お観音さんがエッチしてくれるんやったら、こっちはいらんのや。これが坊さんの役目や」「仏さんはエッチはしてくれんよ。でもエッチで悩んでいる人がおったら、代わりにお前がエッチしてやらないかん、と言われるんや」などと女性信者への性行為を正当化するA僧侶の音声などが含まれている。

調査を終え、天台宗務庁を出る叡敦さん(左)と佐藤弁護士
調査を終え、天台宗務庁を出る叡敦さん(左)と佐藤弁護士

宗派の調査に求められること

 3月4日に行われた叡敦さんのヒアリングでは、「参務」という宗務庁部長級の僧侶2人が、申告書や陳述書に記載されている事柄について、叡敦さん自身に尋ねた、という。今後の調査では、A僧侶やB大僧正らの聴取も行われると見られる。特に叡敦さんの心に大きな影響を与えたと思われるB大僧正については、その関与の程度や意図などが現在の証拠類からは断定はできず、丁寧な聞き取り調査で解明が必要だ。ただ、僧の最高位にいる大僧正について、僧侶たちが果たして事実をすべて明らかにするか、と疑問視する声もある。そういう中だからこそ、宗派は調査に第三者を入れるなどし、そのプロセスについて詳しい説明をする必要があるのではないか。

 また、調査では単に性加害の事実を確認するだけでなく、このような事態が起きた経緯や背景なども明らかにすることも期待したい。

 地獄の恐怖を強調したり、宗教行為のように装うなど、叡敦さんが語る一連の性被害は、たぶんにカルト的だ。叡敦さんによれば、A僧侶の寺は、檀家に支えられた「檀家寺」ではなく、住職と信者との1対1の関係で成り立つ「信者寺」だという。信者同士の横のつながりはなく、叡敦さんも信者の人たちと交わることは禁じられた。そういう中で、住職が教祖化し、寺がカルト化していった可能性があるのではないか。

 また本件では、B大僧正を頂点とする縦の関係によって、深刻な性加害はなかなか発覚しなかったばかりか、叡敦さんの呪縛は強化されたことがうかがわれる。懲戒審理申告書には、隠蔽に多少なりとも関わった高僧の名前が複数出てくるが、代理人の佐藤倫子弁護士によれば、いずれもB大僧正の弟子筋という。密な師弟関係が事態にどう影響したのだろうか。

伝統宗教でカルト化現象が起きた時に

 調査の結果、処分が必要と判断された場合は、宗務総長が宗内の司法機関である審理局に報告を行い、そこで処分が検討されることになる。同庁では、「調査の途中では何も申し上げられない」(総務課長)としており、宗務総長の判断結果についても「現段階では、公表する予定はない」と言う。途中経過を明らかにできないのは理解できるが、最終結果はどうだろうか。

 聖職者が宗教上の圧倒的な上下関係を利用して子どもに性的虐待を行い、それを組織的に隠蔽していたカトリック教会の例を引き合いにするまでもなく、伝統宗教の中でもカルト化現象とも呼ぶべき、こうした事態が起きることがある。

 その時、教派全体がカルト視されるか、あるいは今後も信頼を得られるかは、問題が発覚した後の対応次第だ。カトリックの場合、現在のローマ教皇フランシスコが繰り返し謝罪をし、虐待の事実が分かった場合には通報を義務づけるなど、性加害の撲滅に取り組んだ。一方カルトは、問題を指摘されても、第三者の目を入れて真相を明らかにしたり、正直で丁寧な説明を行おうとはしない。

 天台宗は、内向きの調査と処分に終わらせるのではなく、被害の訴えに対し真摯に向き合い、調査で分かった事実は積極的に明らかにし、再発防止の対策に取り組む姿勢を見せることを期待したい。宗派の中からも、そうした対応を求める声が出てほしい、と思う。

公益法人である宗教法人として

 残念ながらこのような出来事は、他宗派でも起こり得る。そのための教訓を残すのも、公益法人である宗教法人としてとるべき対応ではないか。

 今後の展開に注目したい。

叡敦さんのヒアリングが行われている日、B大僧正が住職を務める近くの寺の境内には八重咲の梅が咲いていた
叡敦さんのヒアリングが行われている日、B大僧正が住職を務める近くの寺の境内には八重咲の梅が咲いていた

(写真はすべて筆者撮影)

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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