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「無罪推定」はどこへ?~人質司法と貧困な拘置所医療を追認する東京地裁の人権感覚・冤罪大川原化工機事件

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
判決後に記者会見する高田剛弁護士(左)と相嶋さんの長男

 冤罪・大川原化工機事件で、勾留中に体調を崩し胃がんが見つかった後も保釈が認められず、その後外部の病院で死亡した相嶋静夫さんの遺族が、東京拘置所で適切な検査や説明がされなかったとして起こした国賠訴訟で、東京地裁(男澤聡子裁判長、塩田良介裁判官、海野泰信裁判官)は3月21日の判決で、原告の請求すべてを棄却した。貧困な拘置所医療を追認する判決に、相嶋さんの長男は「父が受けた苦しみを理解してもらえなかった」と落胆した。

検査していないのに、病の情況がどうして分かる?

 相嶋さんが2020年7月に警察の留置場から東京拘置所に移された時点での健康診断は、血中ヘモグロビン値が低く、貧血状態であることを示していた。8月には相嶋さんが胃の痛みを訴え、9月になると貧血がひどくなった。黒色便などの症状も見られた。拘置所病院は8月に胃薬を処方し、9月には輸血を行ったものの、それぞれの時点で必要な検査を行わず、漫然とがんが進行するのにまかせた、と原告は主張。さらに、がんであることが分かった時点で、適切な治療ができる医療機関に転院させるべきだったと訴えた。

 これに対し判決は、いずれの段階でも拘置所側の対応に問題を認めず、転院についても「本件患者(相嶋さん)について、すぐに手術をしなければ救命できないような症状があったという事情は認められ(ない)」などとして退けた。

 相嶋さんの長男は、この判断に疑問を呈する。

「(拘置所病院は)そもそも検査もしていません。それでなぜ、すぐに手術が必要な状態ではなかったと言えるんでしょうか」

父の写真を置いて記者会見する相嶋さんの長男
父の写真を置いて記者会見する相嶋さんの長男

拘置所医療は患者本人に説明しなくてもOK?

 拘置所病院も、外部病院での検査・治療を調整はしていた。しかし、それについて患者本人である相嶋さんや弁護人には具体的な説明はなかった。「無罪推定」が働く被告人の立場なのに、患者本人が医療を選べないだけでなく、どこの医療機関がどういうスケジュールでどのような検査や治療をしてくれるのかも知らされなかったのである。

 しかし、これについても判決は、拘置所側の対応には「不適切であったという事情も認められない」と問題視しなかった。

検査が遅れたのは弁護人のせい?

 このままでは適切な治療が受けられないまま拘置所内で殺されてしまう――そんな焦燥感にかられる相嶋さんを、なんとか外部の医療機関に入院させようと、弁護人が保釈を請求。しかし、裁判所は認めなかった。その後、ようやく8時間だけ勾留執行停止が認められた10月16日、相嶋さんは都内のJ大学病院の診療を受けた。しかし、J病院は限られた時間で詳しい検査はできないとし、進行がんの診断書を書くだけで、それ以上の対応は拒んだ。

 その後も保釈は認められず、結局、詳しい検査を受けられたのは、再度の勾留執行停止で11月6日に神奈川県内の病院に入院してからだった。

 ところが判決は、詳しい検査が遅れたのは、弁護人のJ病院との調整不足のせいであるとし、「原因を東京拘置所の医師の説明不足に求めることは適切ではない」と、原告側の主張を切り捨てた。

 高田剛弁護士はこれについて「拘置所医療が、今後の予定等についての情報を開示すべきなのに、それを棚に上げて、(弁護側の)段取りがまずかった、という評価はとても心外だ。この問題は保釈がされていれば、何の問題もなかったのに、極めて短時間の勾留執行停止の中で行わなければならなくなった。そもそもは、がんの患者の保釈を認めない裁判所の問題だ」と批判した。

人質司法+貧困な拘置所医療=?

 無実を主張すれば、勾留期間が長くなる人質司法。それに加えて、このような拘置所医療を是とする今回の判決を前提にするならば、人はひとたび逮捕されれば、否認する限り、一般の人が受けられる医療にアクセスできないまま拘置所内で命を縮めても甘受しなければならない、ということになる。これが、東京地裁の人権感覚だとすれば、いったい「無罪推定の原則」はどこへ行ったのだろうか。

 相嶋さんの長男によれば、逮捕されるまで相嶋さんは2か月に1度はかかりつけ医に検査をしてもらうなど、健康に気を使っていた。7月の健康診断で分かったような貧血が分かれば、当然精密検査を受けていたはずだと言う。ところが、無実を訴えていると勾留が長引く人質司法のために、その機会は奪われた。

「勾留が長くなると、受診の機会もなくなる。人質司法の弊害は、医療の継続についても問題だ。捜査機関や裁判所は、そこを踏まえて勾留の判断をしてほしい」(相嶋さん長男)

 高田弁護士も、勾留に関する判断をする裁判官に、こう警告する。

「令状裁判官は、この現実を踏まえて判断してほしい。保釈しない、ということは一般の人が受けられる医療が受けられない状態が続く、ということ。がんの場合、自覚症状が出る前に発見して対応するかどうかで予後がずいぶん違う。裁判所の保釈判断が今のままだと、治るはずの患者がなく亡くなっていく事態は、これからも起こり続けるだろう

記者会見する高田剛弁護士(東京・霞ヶ関の司法記者クラブで。写真はすべて筆者)
記者会見する高田剛弁護士(東京・霞ヶ関の司法記者クラブで。写真はすべて筆者)

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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