元女子プロ野球選手(愛知ディオーネ)の久保夏葵が、兵庫ブルーサンダーズを経て進む新たな道

新しい扉を開いた久保夏葵投手

 いつもニコニコと本当に楽しそうだ。グラブとボールを手に、グラウンドを溌溂と動き回っている。

 久保夏葵―。

 岩手県出身の野球選手だ。女子プロ野球の愛知ディオーネで投手として活躍し、昨年はその場を兵庫ブルーサンダーズに移した。

 「野球が大好きなんです」。

 そう言って屈託のない笑顔を輝かせる久保投手がまた、新たな道に挑戦するという。その新しい道とは…。

いつも笑顔が絶えない
いつも笑顔が絶えない

■大学という新たな扉

 4月になると、久保投手は「女子大生」になる。大学の野球部でプレーしつつ、学業では教員免許を取得するつもりだ。

 「野球をやっている女子の『やれる場所がないから野球を辞める』という選択はやめてもらいたい。そういう(女子が野球を続けられる)場所が提供できたらと考えている中で、東北はまだ女子野球部がある学校が少ないけど、増えてきて指導者が足りないってなったときに役に立つのかなと思って決めた」。 

 すぐ指導者になることを目標にしているというより、野球に関わっていく上で教員免許を所持していることによって活動の選択肢が広がるだろうと考えた上での決断だ。

勝負となると表情が変わる
勝負となると表情が変わる

 その根底にあるのは、培ってきた数々の経験だ。女子プロ野球では普及、発展のための活動を続けてきた。また、ブルーサンダーズでは「(独立リーグの)男子チームの運営状況を見て、女子野球だけがマイナーじゃないんだ。プロを目指して頑張っているのに、人の目に触れないのがもったいない」と、もどかしさを感じた。

 「今、自分に何ができるのか、何を求められているのかって考えたときに、今まで野球ができたのも先輩方が作ってくれた歴史があるからだなと。だから、そのまま選手だけを続けたりとか、お世話になった女子野球から離れるのはどうなのかなと思って」。

男子の打撃練習で投手を務める
男子の打撃練習で投手を務める

 そして「(現役として)野球はまだ続けたいなと思っていたけど、必ずしも続けなきゃいけないという方向ではなかった。裏方の仕事をするのもいいなと視野を広げて考えた」と、さまざまな人に相談したという。

 その中で久保投手の心に刺さったのは、「今のことだけじゃなく、将来のことも考えろ」という言葉だった。将来に繋げるために今、どうするのか。その視点で考えて、ようやく結論が出せた。

 それが、大学進学だったのだ。

 では、ここに至るまでの久保投手の野球人生を振り返ってみよう。

男子チームの試合後、ひとり黙々とグラウンド整備をする姿をよく見た
男子チームの試合後、ひとり黙々とグラウンド整備をする姿をよく見た

■自然と手に取ったグラブ

 「わたしはこれ!」

 そう言ってスポーツ用具店で黒いグラブを手にして離そうとしなかったのは小学1年生のときだった。野球チームに入るという2つ上の兄についてきただけのはずが、“自分のグラブ”を見つけてしまった。幼い少女にしては渋い好みだが、どうやらその出会いが後の運命を決定づけたようだ。

 そのグラブをちゃっかり買ってもらい、そのまま兄と一緒にチームにも入ることになった。本来は小3からという規定があったが特例での入団が許可され、毎日練習に明け暮れた。

初めての“相棒”は黒いグラブ(写真提供:久保夏葵)
初めての“相棒”は黒いグラブ(写真提供:久保夏葵)

 最初はボール遊び程度だったが、それが楽しくてしかたなかった。4年からは試合にも出るようになり、ポジションもライトから始まってセカンド、ショート、ピッチャーといろいろこなし、どんどん野球に夢中になっていった。

 「体を動かすのが好きで、男子とも同じレベルで戦えて、一緒に競えるのが楽しかった。ただひたすら野球をしていたって感じ」。

 もうこのころには、野球はなくてはならないものになっていた。

小学生時代(写真提供:久保夏葵)
小学生時代(写真提供:久保夏葵)

 中学生になると、兄の後を追いかけて自宅近くの硬式のシニアチームに入った。女子は1人だけだったが、まったく気にならなかった。

 「チームメイトに恵まれていた。普通に接してくれるというか、女子だからって特別扱いされるのも好きじゃなかったし」。

 二遊間からサードを守るようになり、中学でも思う存分、野球を満喫した。

小学生時代(写真提供:久保夏葵)
小学生時代(写真提供:久保夏葵)

■室戸高校で運命の出会い

 高校でも野球を続けるとなると、女子の場合は選択肢がぐっと狭くなる。女子野球部がある高校は希少だ。ソフトボールか、はたまた他競技に転向する選手も少なくない。

 久保投手の希望はもちろん、野球を続けること一択だった。住んでいる岩手県には女子野球部のある高校はなく、「県外に行くのは確実」と中学2年から3年にかけて、いくつかの高校に体験に行った。

中学生時代(写真提供:久保夏葵)
中学生時代(写真提供:久保夏葵)

 高知県の室戸高校を訪れたときだ。当時、創部2年目で7人しか部員がいない中、輝く先輩を目にした。

 「休憩でみんなが水分を摂ったり休んでいるとき、1人だけすごく熱心に練習されていて…。自分もこの先輩についていきたいと思った」。

 そこで入学を決めた。入部してからも、その1つ上の先輩とは一緒に自主練をしたり食事も共にしたりし、さまざまなことを教わった。

 久保投手の代で部員も19人に増えて単独で試合にも出られるようになり、2年時には全国大会でベスト8に輝いた。

周りの人を癒す笑顔
周りの人を癒す笑顔

 室戸高ではその後の人生を決定づける出会いがあった。西内友広監督(現高知中央高校女子野球部監督)だ。「西内監督に出会ってなかったら、プロに入れてなかった」と言いきる。

 「トレーニングメニューもだし、わからないことには何でも答えていただいた」と、師事した。今でも尊敬する師匠だ。

室戸高校時代(写真提供:久保夏葵)
室戸高校時代(写真提供:久保夏葵)

 サードで入部した久保投手は、2年になるときにピッチャーに抜擢された。同学年の中でも球が速く、投手としての資質を見抜かれたからだ。

 自身も「投げるのが好き。試合中にずっと投げられるし、ゲームを作れる。責任は重大だけど、ピッチャーは楽しい」と、喜んでピッチャーに打ち込んだ。

 捕手出身の西内監督からは配球も教わり、本格的にウェイトトレーニングにも取り組んだ。おかげで球速もさらにアップし、投手としてのスキルも磨けた。

■室戸高校初の女子プロ野球選手の誕生

 久保投手がプロの存在を知ったのは中学3年のころだ。そんな高いレベルで野球をやりたいと目標に掲げた。

 「でも高校で初めて女子だけの大会に行ったときに『こんなにも女子で野球やってる人がいるんだ』って嬉しくなったのと同時に、うまい人がいっぱいいて、自分ももっと頑張らないとプロにはなれないなって、半分目指して半分諦めていた」。

 ところが2年になり西内監督と出会って変わった。「頑張ればなれるのかな」と決意を固められた。それくらい西内監督は久保投手を成長させ、自信を与えてくれたのだ。

 そしてみごとトライアウトに合格し、室戸高初の女子プロ野球選手の誕生となった。

レイアのころ(写真提供:久保夏葵)
レイアのころ(写真提供:久保夏葵)

 初めて親元を離れた高校生活だったが、「親が『野球をするんだったらどこでもいい』と力強く背中を押してくれたし、自分も成長した姿を見せよう、自立しようって思ってやっていたので」と、ホームシックになることもなく謳歌できた。

 女子だけのチームで野球をしたのも初めてだった。

 「男子に比べて女子の性格ってめんどくさい(笑)。余計に考えてしまう。だから何かあったらちゃんと話し合って、解決してからじゃないと」。

 女子特有の問題にも数々ぶち当たったが、その都度、乗り越えてきた。

 様々な地方から集まった様々な経験をしてきたメンバーたちと意見を出し合い、高め合い、最終的には一致団結して戦えた。室戸高での3年間は久保投手にとって宝ものとなった。

 そんな大切な仲間たちに見送られ、女子プロ野球の世界に飛び込んだ。

■女子プロ野球選手として

 高校からプロ入りした選手はまず、育成チームであるレイアに所属する。基礎トレーニングをみっちりやりつつ、高校や大学のチームと戦う。人数の関係で、投手登録ながら野手としても出場した。

 翌年、その力を認められて最短の1年で愛知ディオーネに所属することができた。

 「でもなかなか試合に出られなかった。トップチームはレベルが高くて、自分はピッチャーとしても打たれだしたら止まらないとか、ほんとにまだまだなんだなというのをすごく感じた」。

愛知ディオーネのころ(写真提供:久保夏葵)
愛知ディオーネのころ(写真提供:久保夏葵)

 そんな中、技術だけでなく多くのことを学んだ。午前の練習が終わると、午後からは試合日のイベント企画やポスター貼りなど、チーム運営に関わる仕事をした。

 また、多くの先輩や同期たちの精神に感銘も受けた。

 「みなさん、自分のことを犠牲にしてでも周りの人が幸せになってほしいっていう考え方で、人のことを考えた行動をされていて、自分も人のためにできることをしたいと思うようになった」。

 女子野球の置かれている現状をしっかり把握し、自身も何ができるだろうかと考えるようになった。

力強いピッチング
力強いピッチング

■プロ時代から応援し続けてくれたファンのためにも

 シーズン後、組織再編によって退団することとなったが、その時点で久保投手の中では現役に区切りがついていたという。

 「プロでやりきった。実力不足でクビになったと思ってるし、それが現実だから…」。

 今度は支える側として人のために何かしたいと考え、いろいろなチームに話を聞きに行く中で兵庫ブルーサンダーズの女子チームと出会った。

 ところが、チームからは希望した裏方ではなく「選手としてまだまだやれるから、やったほうがいい」と説得された。かなり逡巡したが、求められているならばと受け入れることにした。

 とはいえ、当初は「あまり気持ちが入ってなくて、基本的に自分の練習よりみんなの練習をメインにやっていた」という状態だった。

男子選手相手に腕を振る
男子選手相手に腕を振る

 しかし次第に人数が集まり、台湾の有力選手たちも加わることになったあたりから変化しだした。自身も投手として頼りにされていることを実感し、気持ちも乗ってきた。

 「プロが終わっても応援してくださるファンの方もいて、力が落ちたと思われるのも嫌だったし、応援してくださる分はプレーで返したい。やりきりたいと思った」。

 そして「チームが日本一を目指すのなら、その力になるしかない」と持ち前の闘志に火がついた。

男子チームの練習に積極的に参加し、お手伝いも
男子チームの練習に積極的に参加し、お手伝いも

■貪欲にスキルアップに取り組んだが…

 やるからには、もっとうまくなりたい、もっといいボールを投げたい。そんな向上心ゆえに男子チームの練習にも志願して参加し、さまざまな収穫を得た。

 「練習量が足りなくて、このままじゃダメだと思って。男子のほうがレベルは高いから、すごく勉強になるし力もつく」。

 積極的に教えも乞うた。

 さらに台湾選手たちからも刺激を受けた。

 「海外の選手と野球ができるなんてめったにない。世界大会とかも経験されていて、わかんないことには全部答えてくれて心強かった」。

 通訳が帰国してからも、スマホの翻訳機能やジェスチャーを使いながらコミュニケーションをとり、貪欲に吸収した。

マウンドでいきいきと躍動
マウンドでいきいきと躍動

 しかし、そうして日本一を目指して練習を積んだがコロナ禍の影響もあり、満足に試合もできなかった。また、これまで経験したプロではなくアマチュアのクラブチームであるがゆえに、選手個々の志や目指す方向も違った。

 ほか、さまざまな要因も鑑みて、シーズン後に退団することにした。

 あらためて振り返った久保投手は「苦しい1年だった…」と、小さくつぶやいた。

 そして次に進む道をと考えるにあたって、いろいろな人に相談し、悩みに悩んだ。クラブチームや大学など、いくつかの誘いの話もあった。

 久保投手にとって、現役を続けることは必須ではない。しかし昨年、不完全燃焼に終わっている。選手としてこのまま退きたくないという気持ちもたしかにあった。

 「自分が選手としてやるとしたら今年、来年くらいが勝負だと思っている。すぐにプレーできることと、今だけじゃなくて将来のことを考えるのも大切だと思った」。

 そういったことを勘案していくと、自ずと進路は見えた。そこで大学進学を決断したのだ。

元メジャーリーガー・井川慶投手のピッチングを間近で見たり、男子チームの橋本大祐監督に教わったりした
元メジャーリーガー・井川慶投手のピッチングを間近で見たり、男子チームの橋本大祐監督に教わったりした

■“野球愛”を貫く

 ただ、冒頭でも触れたように、すぐに指導者を目指したいというより、今は“選択肢の一つ”という位置づけだ。頭にあるのは後進の女子野球選手たちが輝ける道を作ることだ。

 「女子は中学に上がると男子との力の差もつくし、野球をする場がないから辞めたという話を聞く度に、もったいなぁってずっと思っていた。自分自身で区切りがついて辞めるんじゃなく、辞めなきゃいけない状況になってしまう子をなくしたい。その力になれれば」。

 自身は野球一筋に邁進してこれただけに、誰しもが不本意に諦めることなく納得いくまでやりきってほしいと願っているのだ。その一助として、教員免許を持つことが役に立てばと考えている。

 もちろん女子野球だけではない。「いろんな分野の野球の普及や発展に携わっていきたい」と幅広い活動を視野に入れている。

ブルペンにて
ブルペンにて

 これから大学で何を学び、卒業後どうするのか―。

 久保投手ならなんだってやり遂げてみせるだろう。そこには「野球が大好き」という、とてつもなく深い“野球愛”があるのだから。

“野球愛”にあふれる久保夏葵投手
“野球愛”にあふれる久保夏葵投手

(表記のない写真の撮影は筆者)

久保 夏葵くぼ なつき)】

1999年7月14日生/岩手県出身

身長159cm/右投左打/投手

室戸高校―レイア―愛知ディオーネ―兵庫ブルーサンダーズ