元横浜DeNAベイスターズ、東北楽天ゴールデンイーグルスの藤江均、アメリカへ挑戦!!

アメリカ挑戦を決めた藤江均投手

■アメリカの野球に挑戦

まだまだやれると思うんで」。そう力強く口にしたのは藤江均投手だ。2008年にドラフト2位で横浜ベイスターズに入団。2010年に先発で初勝利を挙げると、2011年には中継ぎで47試合に登板し、1.58の防御率を残した。2012年は横浜DeNAベイスターズで自己最多の52試合の登板で、チーム2位の21ホールド初セーブも記録した。

2013年は防御率1.27だったが、登板数は25試合に半減。翌年はさらに16試合の登板に止どまり、オフに戦力外通告を受けた。2015年は東北楽天ゴールデンイーグルスに籍を置いたが登板機会に恵まれず、1年でユニフォームを脱ぐこととなった。

わかさスタジアムでの自主トレ
わかさスタジアムでの自主トレ

「年齢とともに、いつかは現役は終わる」。それはわかっている。だが「やり残したくない。やれるうちに、やれることをやりたい」。そう考えた藤江投手が選んだ道は「アメリカの野球への挑戦」だった。

「やれるうちにアメリカの野球に触れたいな、挑戦したいなと思って。体が動くうちは野球をやりたいし、この先、辞めるにしても(アメリカの野球を)経験してから辞めたい。将来的に野球に携われるなら、その経験も生かせるし、社会に出るにしても厳しい経験が役に立つと思う」。

丁寧なキャッチボール
丁寧なキャッチボール

出身のNOMOベースボールクラブでの師匠、野茂英雄氏にも相談した。「野球を辞める、辞めない、とか色んなことを話して一緒に考えてくれましたし、力も尽くしてくれました」。話の中で「アメリカに行きたい」と打ち明けると、「オレは賛成や」と大喜びしてくれたという。

現在、返事を待っているチームは、アメリカの独立リーグの中でも最もレベルが高いとされているアトランティックリーグの「ランカスター・バーンストーマーズ」だ。かつて仁志敏久氏(元読売ジャイアンツ、横浜ベイスターズ)や坪井智哉氏(元阪神タイガース、北海道日本ハムファイターズ、オリックス・バファローズ)、渡辺俊介氏(元千葉ロッテマリーンズ)がプレーしたチームだ。

■場を盛り上げるムードメーカー

1月は恒例となった京都のわかさスタジアムで、東北楽天ゴールデンイーグルス藤田一也選手らと自主トレを行った。

藤江投手がいると、とにかく賑やかだ。同じ練習をするのでも、より元気に、より明るくなる。「練習はしんどいことも多いから、楽しくやりたいし、盛り上げたい。横浜時代は負けてばかりで、暗くて面白くなかった。でも、皆でわいわいするようにした。楽しく盛り上がって、その中にある真剣勝負が好きやから」。どんな時も、どんなところでも常にムードメーカーになる。

藤江投手の周りは笑いが絶えない
藤江投手の周りは笑いが絶えない

だから「新しい環境に飛び込むことに対して、何の不安もない」と言い切る。「『どうしよう…』なんて、一切ない。『とりあえず行ったらいけるっしょ』って感じかな」と笑う。

こういった性格を「オヤジの影響」だと明かす。「オヤジはいつも言っていた。マウンドでも『いかんかいっ!』って。『とりあえず前へ突っ走ったらええ!』と。あかんかったことを考えて行くのは情けない。実際、自分は強いかと言われたら弱い。だからこそ、そうする」。お父さんから叩き込まれた強靭なメンタルは、未知なる場所でも動じることはないだろう。

■先輩に可愛がられ、後輩に慕われる

福山投手にアドバイス
福山投手にアドバイス

ムードメーカーであると同時に、面倒見の良い親分肌でもある。一緒に自主トレに汗を流す後輩、福山博之投手東北楽天ゴールデンイーグルス)にも気づいたことは即、アドバイスする。「ボクは人の経験が身になった。サブ(福山投手の愛称)はサブで歩んできた道は違うけど、自分が経験してきたことやプラスになることは教えてあげたい」と話す。

「絶対にこうしろ」と押し付けるのではなく、「こういう方法もある」という提案をする。そして「最後は自分やから」と選択肢は本人に預ける。自身もそうして取捨選択してきたからだ。

福山投手も「野球だけでなく、色んな悩みも聞いてもらっています。考え方の繊細さとか、ボクにないものを持っているんで。面倒見のいいアニキって感じかな」と話す。口酸っぱく言われている「ケツをデカせぇよ!弱りやすいから、ケツを強くしろ!」という助言を心に刻み、「意識して鍛えています!」と取り組んでいる。

先輩である藤田選手に対しては「ポジションも年齢も性格も違う。でも共通するものがある」とシンパシーを感じている。リーダーシップがとれるところや「勝ちたい」という気持ちを秘めずに出していくところ、そして「人を思う気持ち」。「藤田さんとは共感し合える」と語る。

先輩に対しても、物怖じしない
先輩に対しても、物怖じしない

藤田選手も「自分の信念を貫いているし、真面目。すごく考えながらトレーニングしてるし、夢に向かって取り組んでいる姿は、ボクも刺激になる」と、後輩の挑戦を温かく見守っている。

藤田選手はまた、「野球を続けている以上、どこかでまた対戦するチャンスはあるやろうし、それをボクも夢見ている」と、“再戦”を楽しみにしている。実は過去にオープン戦で対戦した時、ライト前に運んだことがあるのだ。「次もまたボコスカに打ってやる!!」と宣戦布告する先輩に、「あの時の藤田さん、あまりに力みまくってたんで、変化球が投げられへんかったから(笑)。次は打たせない!!」と、後輩も受けて立つ構えだ。

■勝負球は野茂英雄氏直伝のフォーク

野茂英雄氏直伝のフォーク
野茂英雄氏直伝のフォーク

アメリカからの返事が届くのは「ギリギリやと思う」と、3月にかかりそうだ。今後はNOMOベースボールクラブに場所を移し、自主トレを続ける。「とにかく真っすぐのキレを上げていきたい。そうしたら変化球も生きてくるから」。

一番の武器であるフォークは、野茂氏直伝だ。元々投げていたものに、野茂氏のスパイスが加わっている。「落差ではないんです。腕振ってコントロールできるよう、精度を上げたい。1ショットで決められるように」。“再現性”を追求し、磨き上げていく。

■完全燃焼するために―

藤江投手の新たなる挑戦を、家族も応援してくれている。5歳になる息子クンは「子供ながらに、ボクに野球していて欲しいというのはあるみたい」と、パパの投げる姿が大好きで、ピッチングを上手に真似て見せる。けれど「ボクがアメリカに行くのは嫌と言っている。離れるのが淋しいんやと思う」。5歳の胸の内は激しく葛藤しているのだろう。

やり残したことがないように…
やり残したことがないように…

「日本と比べても厳しいと思うし、そこでもう一回自分を見つめ直す。修行です。でも、やるからにはもう一花咲かせたい。勉強だけで行くわけではないから」。

家族やお世話になった周りの人々の期待に応えるために―。そして何より自分自身が納得し、完全燃焼するために―。

まずは吉報を待ちたい。