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007最新作が「聖地」ジャマイカに帰還した理由とは? ボンドとレゲエの「ただならぬ深い仲」を掘る

「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」(2020)(写真:Splash/アフロ)

ダニエル・クレイグのボンドが、母なるあの島に帰還する

 たび重なる延期の果てに、ついに公開される007映画最新作『ノー・タイム・トゥ・ダイ』には、シリーズ第1作『ドクター・ノオ』(62年)以来初めてとなる特徴がある。「ストーリー中でジャマイカが舞台となる」点がそれだ。もちろん、撮影も同地でおこなわれた。このことに喜び、胸を高鳴らせるボンド・ファンは少なくない。

 もっとも、同地で撮影だけがおこなわれたことは、これまでにもあった。第8作『死ぬのは奴らだ』(73年)がそれだ。しかし劇中にてジャマイカとして描かれていたわけではない。ルイジアナの河でのボート・チェイス・シーンや、カリブ海の架空の島国〈サン・モニーク〉だとする場所の撮影地としてジャマイカが利用されたに過ぎない。ゆえに同作にかんして、今回のような「聖地帰還」的な盛り上がりはなかった。やはり「ジャマイカがジャマイカとして描かれている」ことが必須で、その空間のなかでボンドが躍動していることが、なによりも重要だからだ。

 なぜならばそれは「原点回帰」以上、「胎内回帰」と言うべきポイントともなり得るからだ。ジャマイカとは、原作者のイアン・フレミングが住み、深く愛していた地だった。だから小説作品はもちろんのこと、映画においても、この場所を「舞台とする」ことの意味には、格別のものがある。

 この「意味」について、手っ取り早く知るために、本稿ではまず「レゲエから」入ってみようと思う。「レゲエを聴けば、ボンドがわかる」からだ。ジャマイカとボンドの「切っても切れない」深い関係を象徴するもののひとつが、レゲエ音楽家およびファンの多くの心中に内在する「007が大好き」という因子だからだ。ゆえにここから、ボンド調に言うと「私を愛したレゲエ」の真実を、まずは観察してみよう――。

1:レゲエ音楽には「ジェームズ・ボンドもの」という一区画がある

 ジャマイカといえば、レゲエ音楽だ。レゲエ界では「ボンドもの」は人気のモチーフだ。「007」もしくは「ジェームズ・ボンド」と呼ばれる有名なリディム(カラオケのリズム・トラックのようなもの。パブリック・ドメイン的に使用される)まである。

 こうしたボンド人気の発端は、レゲエ音楽の黎明期である60年代にまでさかのぼる。すでにそんなころから「蜜月」は始まっていた。最初期の代表例として知られるのが、レゲエ音楽の初期形態「スカ」のトップ・アーティスト集団だったザ・スカタライツの創設者のひとりにして名サキソフォン奏者のローランド・アルフォンソとソウル・ブラザーズによる、そのものずばりの「ジェームズ・ボンドのテーマ」(66年)だ。つまりモンティ・ノーマン作曲のあのテーマにスカ・ビートを当てたものなのだが――これがまた、じつによく合った。まるで「あらかじめそのように設計されていた」かのように。だからとても流行った。

 このスカ・ヴァージョンは幾度もカヴァーされたし、再結成したスカタライツの持ち歌として、繰り返しライヴ演奏され、再録音もされている。アルフォンソによる『ロシアより愛をこめて』テーマのカヴァーも、人気がある。

 が、すごいのはここからだ。ボンド作品の映画音楽のカヴァーではない、ジャマイカ人アーティストによるオリジナル曲が、60年代より次々に作られ始める。つまり「007映画を題材とした」オリジナル曲が、レゲエ界にはいくつもあるのだ。「ゴールドフィンガー」「サンダーボール」なんてタイトルのスカの人気曲があって、いろんなアーティストが録音している。

 さらにはもう一歩進んで、アーティスト側のボンド解釈(?)を主軸に据えたような作品群もある。言うなれば「俺が考えた007」だろうか。この傾向の珍品は、なんと言ってもロイド・チャーマーズ「ダラーズ・アンド・ボンズ」(70年)だ。キーボード奏者であるチャーマーズは、スカスカしたアレンジのなかでオルガンを弾き語る――のだが、これはつい手癖が出てしまったのか、映画『続・夕陽のガンマン』および『荒野の七人』のテーマから無断借用したフレーズが何度も出てくる。そしてロイドは、ゆったりと、繰り返し、魅惑的な低音でこんなふうに語りかけてくるのだ。

「マイネーム・イズ・ボンド、ジェームズ・ボンド。ダブル・オー・セヴン。ライセンス・トゥ・キル。アイアム・ヴィー・レディキラー……」

 この曲で見逃せないのは、チャーマーズが思わず「つないで」しまった、西部劇映画と007の関連というか「彼の頭の中での共通項」だ。それは「強いガンマンが主役の映画だ」というところぐらいだと思われるのだが……このシンプルな一点を、レゲエ音楽家とファンたちはなによりも愛した。具体的には、以下のごとく。

2:ルードボーイの理想像のひとつが「ジェームズ・ボンド」だった

 60年代のジャマイカには「ルードボーイ」と呼ばれる不良少年たちがいた。ナイフや拳銃を身につけて犯罪に身を染めるワル、と言ったほどの意味なのだが、彼らにはスタイルがあった。アメリカのジャズメンや犯罪映画に影響されたと思しき細いスーツに細いタイ、ポークパイやトリルビー・ハットを好んだ。

 そんな彼らを描くことを主眼にしたレゲエのサブジャンルが60年代半ばのかの地で流行する。速いビートで演奏の軽みが特徴の「スカ」から、ゆったりとしたビートでベースがグルーヴを生む「ロックステディ」へとレゲエが進化していくその過程で「ルードボーイもの」がジャマイカのダンスホールを支配したのだが、このとき、ジェームズ・ボンドの名前とイメージは「男の中の男」として、あこがれの対象となった。大流行中のボンド映画をもとにして。

 つまり「いい服着て、いい女といい酒をくらって、敵は無慈悲に撃ち倒す最強のガンマン」といったようなイメージだ。マカロニ・ウェスタンのヒーローや、ジョン・デリンジャーら往年のアメリカン・ギャングスターとほぼ同列の存在として「殺しの番号」は、ジャマイカの不良少年少女および、彼らが好む音楽世界のなかで燦然と輝く永遠のアイコンとなった。だから「そんなイメージを描く」歌が次々に作られて、ヒットした。

 そんな「ルードボーイもの」かつ「ボンドもの」の最高傑作が、デズモンド・デッカーが67年に歌った「007(シャンティ・タウン)」にほかならない。シャンティ・タウンとは、ブラジルならばファベーラと呼ばれるスラム地域のこと。そこに生きる「ルードボーイ」たちに向けて、タフな日常を切り抜けて「うまくやりなよ」と励ますような歌がこれで、ジャマイカのみならず、旧宗主国のイギリスやアメリカでもヒットした。そして国際的に「ルードボーイの心意気」を広く伝えることにもなった。007(ここでは「オー、オー、セヴン」)の連呼とともに!

 そして70年代後半、スカがリヴァイヴァルしたイギリスにおいても、同様の文化的連結がおこなわれた。つまりルードボーイ風の服装や態度が流行り、「ボンドもの」ナンバーまで人気を集めた……のだが、その筆頭がザ・スペシャルズ「ソック・イット・トゥ・エム・JB」(80年)だろうか。これはジャマイカではなく、アメリカのソウル・アーティストであるレックス・ガーヴィン&ザ・マイティ・クレイヴァーズが66年にリリースしたナンバーのカヴァーだったのだが、折りからのネオ・スカ・ブームに乗って、こちらも国際的に愛好者を得た。ニューウェイヴ・ロックのファンをも取り込んだ。

 タイトルの「JB」とは、もちろんジェームズ・ボンドのこと。派手なホーン・セクションが決めのフレーズを吹くと、間髪入れず「ドクター・ノオ!」と、二拍子の合いの手が入る。合いの手は何度も入り、そのたびに「フロム・ロシア・ウィズ・ラヴ!」など、コールされる作品名だけが変化していく、というのが全体の構成だ。

 つまり「レゲエ音楽を起点として」ジェームズ・ボンドと不良っぽいストリート文化とが結託して渾然一体となり、世界を駆け巡っていく……という一幕があったわけだ。ちなみにポップ音楽のほかのサブジャンル、たとえばガレージ・ロックやヒップホップ、ディスコなどといった領域でも、もちろん「ボンドもの」のナンバーはあるにはあるのだが、それほど目立つものではないし、数も多くはない。これほどまでの量産および競作、各種のヒットなどは、ただ「レゲエ系統にのみ」頻発した現象だった。

 言うまでもなく、レゲエがジャマイカ原産だったからだ。

3:原作者イアン・フレミングが、ジャマイカを「聖地」にした

 007の生みの親、作家イアン・フレミングは、ジャマイカに住み、執筆活動をおこなっていた。つまり「この地で」ジェームズ・ボンド・シリーズを生み出した。だから「ファースト・ボンド・ムーヴィー」が『ドクター・ノオ』となったのは運命的であり、ジャマイカこそが「あらゆるボンドものの故郷なのだ」と信じるファンは少なくない。そして同作の冒頭から「ジャマイカ音楽と007の深い関係」がスタートしてしまう。

 冒頭、つまり「史上初」のガンバレル・シークエンスにつづいてのタイトル・バックに流れるあのメイン・テーマが、打楽器によるブレイクを経て、バイロン・リー&ザ・ドラゴネアーズのナンバー「キングストン・カリプソ」へと変化していく。そしてそのまま、劇中のシーンへとつながっていく――「ここ」だ。

 同曲は、その名のとおりカリプソであって、レゲエではない。が、「ジャマイカの歌謡曲」であるレゲエは、カリブ海のいろんなポピュラー音楽と、アメリカのジャズやR&Bとの混交のなかから徐々に形作られてきた音楽スタイルだ。もちろん、カリプソも「レゲエの親」のひとつであり、つまり007映画とは「レゲエの原型が鳴り響くところ」から産声を上げたシリーズでもあるのだ。

 バイロン・リー&ザ・ドラゴネアーズはレゲエ誕生以前の50年代から活動していたバンドで、仕事場のメインはホテルのラウンジやダンスホールだった。そんなころの彼らを彷彿させるようなシーンも、劇中にあった。つまり「あるべきシーンが、あるべき形」であったのだ。なぜならば、そんな光景を原作者のイアン・フレミングはきっと幾度も目にしていただろうからだ。

 007小説の第一作『カジノ・ロワイヤル』をフレミングが執筆したのは、ジャマイカに彼が所有する邸宅、その名も「ゴールデンアイ」においてだった。52年のことだ。同作が出版されたのが53年。この作品の構想を練っているとき、あるいは、執筆時の息抜きにホテルへ一杯引っ掛けにいったフレミングの耳に、ジャマイカ人音楽家の演奏が届いていなかったとしたら――そっちのほうが不自然というものだろう。フレミングは「レゲエの前身となる音」を、きっと聞いていたに違いない。もちろん「ステアではなくシェイクした」ウォッカ・マティーニを片手に。

 つまり、こんなところが心理的な「出会い」となって、レゲエ音楽家とそのファンは——とくに「ルードボーイ」一派は――ジェームズ・ボンドのストーリーや007映画に、深い愛着を憶えているのだと僕は考えている。

 ジャマイカが明確に登場してくる007小説長篇は『ドクター・ノオ』『黄金の銃を持つ男』と二作品ある。『黄金の銃~』も前述のゴールデンアイ邸にて執筆された。『黄金の銃~』は、74年公開の映画版では舞台設定が変更され、ゆえに残念ながらジャマイカでは撮影されなかったのだが、印象的な悪役である殺し屋フランシスコ・スカラマンガを名優クリストファー・リーが演じた。彼はフレミングの従兄弟でもある。この配役に、製作者側のフレミングに対するデディケイションの気持ちがあったのだと、僕は解釈している。なぜならば、当作の原作がフレミングの遺作だったからだ。

 原作では、スカラマンガはジャマイカに住んでいる。ひとつ前の事件で(『~二度死ぬ』の事件で)消息を絶ち、その後洗脳されるという不名誉を得てしまったボンドは、失地回復のためにジャマイカへと向かう。スカラマンガを殺せばよし、殺せないならすなわち自らの死しかない、という条件を背負った彼は、見事この難任務を達成できるか――というのが粗筋なのだが、このスカラマンガの造型には、フレミング自身の存在が色濃く投影されていたと僕は考える。そして彼は、自らの小説のなかで「ボンドによって殺される」ことを、心の底で夢想していたのではないだろうか。彼のその意を汲んで、映画版ではクリストファー・リーが配役されたのではないか……というのが、僕の想像だ。 

 映画に先立つ64年8月、『黄金の銃~』の第一稿を書き上げた段階でフレミングは他界する。死因は、この3年前から煩っていた心疾患の悪化による発作。56歳の若さだった。

 フレミングの死後もゴールデンアイ邸は完全な形で保存されている。ジャマイカ島の北海岸沿いにある町、オラカベッサ湾近くの高級レジデンス地域にあるこの邸宅は、76年に「レゲエの聖人」ボブ・マーリーが購入。その翌年に、アイランド・レコードの創始者であり、レゲエをワールドワイドに広めた人物であるクリス・ブラックウェルの所有となった。すぐ近くには、「ジェームズ・ボンド・ビーチ」と名付けられた小さな海岸もあるし、同じセント・メアリー教区内にある空港の正式名は、2011年より「イアン・フレミング国際空港」とされている。

4:だから今作で、ボンドも引退してジャマイカに

 今回の『ノー・タイム・トゥ・ダイ』では、ボンドは引退して、ジャマイカに暮らしている——という設定からストーリーが始まるそうだ。「そうだ」と書いているのは、いまの時点で僕は本編を観ていないからだ。だがしかし「引退してジャマイカ」というと、フレミングの人生をなぞっていることを想像しないわけにはいかない。

 つまりフレミングが007を創造し、旺盛に執筆にはげんでいた「人生最後の」期間のことだ。執筆開始時期から数えて、たった10年ちょっとのあいだ「彼がボンドとともにいた」あのジャマイカを彷彿とさせるような設定だと、思わざるを得ない。

 だから、もしかしたら僕は——

※以下、たんに僕の想像なのだが、当たっていたらネタバレとなるのでご注意を。気になる人は飛ばしてほしい。

——今作においてボンドはついに「XXしてしまう」のかもしれない、と思うのだ。

 たとえば、こんなシーンを想像する。危地に挑んでいく彼に対して「そんなことしたら、XXしてしまうよ!」とだれかが言う。口の端で不敵な笑みを作ったボンドは、今作タイトルのとおりのセリフをつぶやく。「死んでる暇なんてない」。そして……。

 などと僕が考えてしまうのは——あまりにも指摘されていないので、じつに不思議なのだが——ダニエル・クレイグ版のボンドとは、そもそもが「007シリーズのリブート版」だというニュアンスが当初より色濃かったからだ。

 最初の『カジノ・ロワイヤル』(06年)では、まだ駆け出しの「若い007」が、いろいろな経験を経て、冒険を経て、引退して……といったような「人生の年輪」の重ねかたは、彼以前のボンド映画には基本的になかった属性だ。元来のボンド像とは、まさにアメリカ新聞漫画のキャラクターみたいなものだったからだ。『わんぱくデニス』『ピーナッツ』の登場人物たちのように、何年経とうが一切歳もとらず、永遠に「同じようなこと」を繰り返していく——というキャラクター造形の「実写版」として、特筆すべき長寿記録を保持していたのが「クレイグ版以前」の007映画シリーズではなかったか。

 つまり、もしかしたら今作は、今回で25作を数える長大なシリーズにおいて明確なる折り返し点となる可能性すら、あるのかもしれない。ボンドが「XX」してしまったあと、どうやってシリーズを継続させていくのかについては、これまでの作品中に、アイデアの素案がいくつもある(が、その話題はまたの機会に。僕の予想が当たっていた場合は)。

※以上、ネタバレするかもしれない話題、終わり。

 映画『ドクター・ノオ』が公開された62年とは、イギリスからのジャマイカ独立の年でもあった。またキューバ危機を始め、西インド諸島全域が激動していく大きな時代のうねりのまっただなかでもあった。視点をイギリス側に置けば、第二次世界大戦後、広大な海外版図が次々と独立していくという地殻変動の最中でもあった。

 だからボンドには「落日の帝国」の過去には存在していた美学や男意気を背負っていかざるを得ないという宿命が、当初より不可避的に与えられていた。一方そんな時代のなかで、そもそもは「被支配者側の音楽」の典型であるレゲエが受胎したというのは、歴史的必然であったかのように、僕には感じられる。この両者が、かの地で折に触れて交錯していったことも。

 007映画には、カリブの島々にて暴れる作品にのみ固有の、胸躍るような冒険の香りがある。だれが演じるボンドであろうが、強烈な陽光のもとで、のびのびとその活躍を愉しんでいるかのように見えるのだ。ジェームズ・ボンドというキャラクターのなかに内蔵されている「快男児」としての側面がもっとも色濃く表出するのは、彼がカリブの風に乗っかっているときだからだ。「ルードボーイ」のヴァイブに乗っているときだからだ。

(初出・早川書房『ミステリマガジン』2013年3月号寄稿文に加筆・修正)

作家。小説執筆および米英のポップ/ロック音楽に連動する文化やライフスタイルを研究。近著に長篇小説『素浪人刑事 東京のふたつの城』、音楽書『教養としてのパンク・ロック』など。88年、ロック雑誌〈ロッキング・オン〉にてデビュー。93年、インディー・マガジン〈米国音楽〉を創刊。レコード・プロデュース作品も多数。2010年より、ビームスが発行する文芸誌〈インザシティ〉に参加。そのほかの著書に長篇小説『東京フールズゴールド』、『僕と魚のブルーズ 評伝フィッシュマンズ』、教養シリーズ『ロック名盤ベスト100』『名曲ベスト100』、『日本のロック名盤ベスト100』など。

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