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追悼エディ・ヴァン・ヘイレン。ギター・ヒーローがポップ文化を「変えた」、その魅力の中身とは?

デイヴ・リー・ロス(左)と。81年、フェア・ワーニング・ツアーにて(写真:REX/アフロ)

驚異のロック・ギターで、ポップ文化全体を変革した

 巨星が墜ちた。あまりにも早い、旅立ちだった。現地時間10月6日、米ロック・バンド、ヴァン・ヘイレンの顔である、ハード・ロックに革命をもたらした男、稀代のギター・ヒーロー、エディ・ヴァン・ヘイレンが死去した。65歳だった。喉頭がんの治療をおこなっていたカリフォルニア州サンタモニカの病院にて、家族に見守られながらの永眠だったという。このことに、いま、世界中のロック・ファンが衝撃を受け、深い嘆きのなかにいる。

 彼がいなければ、エディ・ヴァン・ヘイレンのギターがなかったならば、世の中は随分違ったはずだ。ヴァン・ヘイレンが未曾有の成功をおさめた80年代を中心として、ロック音楽界のみならず、ポップ文化全体のきわめて広い範囲に、エディ・ヴァン・ヘイレンは、決定的な影響を与えた。この部分について、僕は書いてみたい。世界中の、とくに無数の「キッズ」を虜にした魅力、エディを「好きにならずにはいられない」ポイントについて、いま一度ここで振り返ってみたい。

1:映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だって、エディがいなければ……

 ご存知『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85年、以下BTTF)にて、エディ・ヴァン・ヘイレンは「きわめて大きな」役割を果たしている。ご記憶の人も多いだろう、マイケル・J・フォックス扮する主人公、マーティ・マクフライが、50年代にタイムスリップしたあとで、若き日の自分の父親を「脅す」シーンでエディの音楽が登場する。

 マーティは、父ジョージが眠っている部屋に忍び込む。そして日本製のアイワのカセットボーイ(ソニーのウォークマン調のカセット・プレイヤー)のヘッドホンを、ジョージの耳に装着。自分はヴァルカン星人で名前はダース・ヴェイダー、もし母(ロレイン)をダンス・パーティに誘わなければ、お前の脳を破壊する……と迫るシーンで、まるで音響兵器のような「すさまじいギター・サウンド」をジョージに無理矢理聞かせるのだが、このときに鳴らされるのがエディの手によるナンバー「アウト・ザ・ウィンドウ」だった。このシーンだ(以下のフッテージには、エクステンデッド・シーンも含まれている)。

 劇中アップになるカセットのレーベルに、きちんと「EDWARD VAN HALEN」と記されている点にご注目。つまり観客は「ああ、エディのギターなら、そりゃあすごいよね」と、だれでもわかるから、ここでギャグになり得たわけだ。「50年代の人が聞いたら、きっとびっくりするよねえ!」と。

 つまりこの当時のエディ・ヴァン・ヘイレンとは、この規模の映画で「現代的ですごいギタリスト」の代名詞として使用されるほどの、まさに時代の寵児だったわけだ。マイケル・ジャクソン「ビート・イット」(83年)での起用もあれば、「ジャンプ」「パナマ」はもちろん、それらを収録したアルバム『1984』(84年)が、きわめて大規模にヒットした直後だったからだ。

 ちなみにBTTFで使用された「アウト・ザ・ウィンドウ」、そもそもはキャメロン・クロウが製作と脚本をつとめた青春コメディ映画『ワイルド・ライフ』(84年)のためにエディが書き下ろしたものだった。こちらでフルレングスを聞いてみることができる。

2:笑ってしまうほど、すごい

 この曲、BTTFでの使用方法もさることながら、そもそもが「コメディ映画向け」に書かれたものだった。ということはつまり、エディ自らが、以下のことに意識的だったことを意味する。

「あまりにも驚異的なテクニックで、あまりにも刺激的なギター・サウンドであるがゆえに」自分がなにか弾くと、ときに聞いた人が「半笑い」状態になることがままある、という事実に。

 たとえば、すごすぎる「芸」を見てしまったがゆえに、人はこうなることがある。口が半開き状態になったあと、はっと我に返り隣の人と顔を見合わせて「なに、あれ!?」とつい笑い出してしまう……つまり聴き手に、容易にそんな状態を惹起しうるような「音楽」を生み出してしまうという特徴が、エディのプレイにはあった。こうした点について自覚的であり、同時にまた「それもいいね」と引き受けてくれるようなところに、いかにも彼らしい気っぷのよさ、さわやかさのあらわれを僕は見る。

 だって逆に、笑われたら怒っちゃうような人、よくいるから。「俺のプレイのどこがおかしいんだ!」とか言うようなアーティスト。俺を馬鹿にしてんのか、とか……頑固すぎるラーメン屋のおやじみたいなタイプとでも言おうか。その対極にあったのが「笑いをも許容する」エディのギター絶技、だったのだと僕は思う。

 だからBTTFは、全体の何分の1かは「エディ・ヴァン・ヘイレンに捧げられた映画」だったと言えるかもしれない。ギター小僧としての主人公マーティの「いつもやり過ぎてしまう」プレイにも、エディの因子は大きく影響しているように思える。たとえば、この曲みたいなのが。

3:本人も笑っている

 笑顔と言うならば、まずエディ本人にも「弾きながら微笑んでいる」印象がとても強い。MVからの刷り込みなのだろうが、柔和に、ときにへらへらとしながらも「超絶的なプレイ」を決めまくる人こそが彼(のパブリック・イメージ)なのだ。シリアスな表情、歯を食いしばり、眉根にしわを寄せて弾く!……なんてのは、エディに似合わない。

 つまり「明るい」のだ。だから僕は、弾いているときのエディの態度全般に、運動神経抜群のスケートボード野郎みたいなかっこよさを感じる。いつもニコニコしてるんだけど、そのまんまの状態で軽々と「すごいことをやる」ようなイメージだ。ここがまず「キッズにあこがれられた」要因のひとつなのだと思う。ギター小僧たちにとって、まず真っ先に仰ぎ見るべき「ヒーロー」の地位に彼が着いたのは、偶然ではなく必然だったのだ。

 一例として、僕の友人のインスタグラム投稿を紹介したい。彼の名はロブ・リガー。カリフォルニアのアーティストで、一部で熱狂的なファンを生んだゴス少女のキャラクター「エミリー・ザ・ストレンジ」の生みの親のひとりだ。彼自身ミュージシャンであり、パンク/オルタナティヴから、ノイズ系などに造詣が深い。日本のアーティストでは灰野敬二を崇拝している。

 そんな彼も、カリフォルニア・キッズのひとりとして、やはり少年期はヴァン・ヘイレン・ファンだった。だから追悼の意を、こんなふうに表した。

ロブ・リガーのインスタグラムより
ロブ・リガーのインスタグラムより

 

 ご覧のとおり、デビュー・アルバム『炎の導火線(原題・Van Halen)』(78年)が何枚も何枚も何枚も……ある。もちろん最初はリリース当時に買って、そのあと、幾度も重ね買いしてしまった様子だ(日本で買ったのも1枚あるそうな)。きっと中古レコード屋などで「見かけたら買う」ということを、繰り返していたのだろう。こういう行為をおこなってしまうほど、好きなレコードは僕にもある(といっても、こんなに多く同タイトルを買ったことはないが)。

4:タッピング奏法は「気持ちがいい」!

 言うまでもなく、70年代から80年代のカリフォルニアと言えば、スケートボード、BMXなどのエクストリーム・スポーツのメッカだった。最初は「子供の遊び」だったはずのものが、技を競い合っていくなかで「どんどんすごく」なっていって、だれも見たことがない領域の扉が次々に開かれていく……そんな「時代の空気」を胸いっぱいに吸っていたのが、初期のヴァン・ヘイレンだったことは想像に難くない。

 つまり「子供が大好きになるような」スケボーの天才、ヨーヨーの達人、「遊びをきわめた」からこそプロになったヒーローの典型例として、エディは愛された。幾多のギター・キッズたちから「兄貴」と慕われた。

 そんな彼が「キーボードを弾いた」のだから、一大事件だった。前述のアルバム『1984』で大きくフィーチャーされたシンセサイザーは、世界中のギター・キッズの頭を一瞬真っ白にした。やはりギターを弾くときのように、MVのなかのエディはニコニコとしながら、シンセを弾いていたからだ……しかしよく考えてみれば、これは当然の帰結でもあった。なぜならば彼の十八番である必殺技(ギター奏法)は「キーボードと同じ発想」だったからだ。

 日本では「ライトハンド奏法」で知られているこのテクニックは、英語圏では「タッピング奏法(Tapping)」と呼ばれている。右利きの人の場合は通常左手でネックを握り、指板上で弦を押さえる。ここで弦を弾いたり、軽く叩いたりしても、とくにエレクトリック・ギターなら、容易に音を鳴らすことができる。この指板上に左手のみならず「右手も持っていって」とにかく多くの指を使い、次から次へと「弦を叩いたり、弾いたり」して音を鳴らすのが、タッピングだ。

 この奏法はエディの発明ではなく、多くの先人がいた。とはいえ「エディほど派手に」両手の指をほぼ総動員して弾きまくる人は、だれもいなかった。指の数は多いのだから、「やればやるほど」音符の数も多くなる。つまりフレージングが「速く」もなる。また、ギターにつきものの物理的制約からも自由になれる……。

 おわかりだろうか? 「ギターなのに、まるで鍵盤楽器のように、自由自在に音を編んでいくことができる」テクニックこそが、エディのタッピング奏法の真髄だったわけだ。ゆえに、常人ではちょっと想像がつかないほどの「天衣無縫なフレーズ」が、ものすごい速度で、すさまじいイマジネーションのもとに、繰り出されていくことになった。

 エディのこうした姿勢に僕は、カリフォルニアのエクストリーム・スポーツと相通じる精神性を感じていた。たとえば、初期のスケートボードは直立して乗るものだった。それが今日のような自在性を獲得できたのは、カリフォルニアの「ドッグタウン」のボーダーたちが、次から次へと冒険と実験を繰り広げていったせいだ、と言われている。彼らは水を張っていないボウル状のプールを使用して「サーフィンでジャンプするような」テクニックをスケートボードに導入していった。

 これとほとんど同じ「限界を突破していく」闊達にして野心に満ち満ちた、魂のエネルギーのようなものを、いつも僕は、エディのプレイから感じていた。だから彼のタッピング奏法はいつも「気持ちがいい」のだと思う。

 エディと病魔との闘いは、長く続いていた。00年には舌がんを発症、治療を受けていたことが報道されている。「長年、真鍮や銅で作られたメタル製のギター・ピックを口にくわえていたから」がんになった、と当人は語っていた。さらには、喫煙とドラッグ使用も遠因ではないかと。アルコール依存の問題もあった。それらすべてと対決し、決別し、病が再発したならば、また果敢に対峙する……という日々が、とくにゼロ年代は続いていた。

 とはいえ、いつかきっと、すべてを克服して(あるいは、鎮静化させて)エディがステージに戻ってきてくれることを、多くのファンは待ち望んでいたはずだ。ヴァン・ヘイレンとしての最後のライヴは2015年10月4日、ロサンゼルスのハリウッド・ボウルにて。最後の演奏曲は「ジャンプ」だった。

 米〈ローリング・ストーン〉が(いつもながら)訃報の直後から力の入った記事を連発している。とくにこの発掘インタヴューは、出色だ。これほどまでに能弁に、フランクに、エディが自らのギター・スタイルにおける他者の影響について語ったことは、なかったのではないか。日本語で読めるので、ぜひご覧いただきたい。そしてエディ・ヴァン・ヘイレンの「影響」が自分自身のなかにあることをも、確認してみてほしい。

 訃報を受け、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーントム・モレロは、エディこそが「俺たちの世代のモーツァルトだ」と語っている。エディの息子、ヴァン・ヘイレンのベーシストでもあるウルフギャングの名も、モーツァルトに由来している(モーツァルトの名は、彼の母国、オーストリアにおけるドイツ語の発音だと、ヴォルフガング・アマデウス〜となる)。エディの天衣無縫さ、天才性は、まさしくモーツァルトと相似形であり、本人も意識していたということのあらわれなのだろう(エディは幼少期にクラシック音楽の素養を幾ばくか身につけたと言われている)。

 であるならば、と僕は思う。「元祖」モーツァルトのように、エディ・ヴァン・ヘイレンの音楽も、数百年の時を超えて、愛され続けるべきだろう、と。ワルガキの遊びの延長が、「限界の向こう」に、芸術の大輪の花を咲かせた記録として。

作家。小説執筆および米英のポップ/ロック音楽に連動する文化やライフスタイルを研究。近著に長篇小説『素浪人刑事 東京のふたつの城』、音楽書『教養としてのパンク・ロック』など。88年、ロック雑誌〈ロッキング・オン〉にてデビュー。93年、インディー・マガジン〈米国音楽〉を創刊。レコード・プロデュース作品も多数。2010年より、ビームスが発行する文芸誌〈インザシティ〉に参加。そのほかの著書に長篇小説『東京フールズゴールド』、『僕と魚のブルーズ 評伝フィッシュマンズ』、教養シリーズ『ロック名盤ベスト100』『名曲ベスト100』、『日本のロック名盤ベスト100』など。

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