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UKロックの「終わりの始まり」が、ブレグジット実施で幕を開ける

(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

今度こそ本当に「離脱してしまう」のだ

 昨年12月12日の英総選挙の結果を受け、1月末の実施秒読み段階に入った、イギリスの欧州連合(EU)離脱「ブレグジット」。喉元を過ぎたのか、(現時点では)日本での報道は減少している。だがしかし、僕はいまだに「あの日」のショックから、開票速報を見たときの衝撃から、完全に立ち直ることができないでいる。 

 今度こそ、ついに、本当に「やってしまう」のだ――というショックから。「そっちを選んでしまったのか」という、衝撃から……なぜならば、ブレグジットの実施とは「UKロックを根本的に終わらせてしまう」ことと同義だからだ。伝統あるその文化様式の存立基盤が、まさに「根こそぎ」解体されゆく寸前にある、からだ。しかしこの状況は、日本ではまったく着目すらされていないようだ。だから僕はこれから書く。

 UKロックの危機とは、イギリス労働者階級の精神的危機と同義だ。そして、彼ら彼女らは日本人の大多数と無縁ではないどころか、隣人だ。日本人の8割は百姓の子孫だからだ(詳しくは、この論考をご覧いただきたい)。だからいま「あっち」で起きている分断は、「こっち」の頭上にもすぐに落ちてくる。事前に備えておいて損はない。

UKロッカーは伝統的に「労働党支持」だった

 件の選挙結果が衝撃的だったのは、たんに(また)残留派が負けたから、だけではない。英保守党の地滑り的・歴史的大勝はもとより、英労働党の「歴史的敗北」という事実のほうに、僕はより強いショックを受けた。労働党とは、ロックの党だったからだ。

 といっても、党がロックを推していたわけではない。逆だ。元来、イギリスのロック音楽家の大多数は、労働党を支持するのが「当たり前」の流儀だった。音楽家も、そのファンも、基盤となったのは上流でも中流でもなく、圧倒的多数の労働者階級の若者たちだったからだ。つまり労働党の支持者こそが「UKロックを育てた」本家本元でもあった。

 ここが今回「割れた」わけだ。固い岩盤層のごとき支持基盤が、まるで現代アメリカの陰画みたいな深い分裂と分断によって四分五裂しては、そのほとんどがドーヴァー海峡の水中へと没していくような光景を、僕は幻視する。かつては労働党の金城湯池だったはずの階級、社会階層の人々の少なからぬ数が、あろうことかボリス・ジョンソン首相率いる保守党に投票してしまったわけだ。「ブレグジット実施」が撒き餌となって。

 ここに僕は、深い悲しみの感情を抱く。よりにもよって「この大一番で」保守党に投票して自らの首を絞めなければならないほどにも追いつめられていた、なんて……かつて、たとえば80年代、サッチャー政権をつねに批判し、果敢に戦いを挑んでいたのは、パンク~ポスト・パンク勢を主力とする同国のロック音楽家とそのファンたちだったのに。

ビートルズの3人も、パンク・ロッカーもみんな労働者階級だった

 駆け足で振り返ってみよう。UKロックの歴史とは、イギリス戦後史における社会民主主義勢力の発展とほぼ同期していた。日本も部分的にお手本とした「ゆりかごから墓場まで」を標榜した元祖である労働党は、1945年の総選挙に勝利して初の単独政権を樹立する。そして労働者階級の所得が増えていくなかで、ザ・ビートルズが誕生した。ジョン・レノン以外の3人が労働者階級の出身であることは有名だ。のちにロックが巨大化し、プログレッシヴ・ロックやハード・ロックの時代には中流出身で大卒者の音楽家が増えるなどの事例もあったが、パンク・ロックの出現でふたたび労働者階級が天下を奪取、主流を占めることに。DJやクラブ音楽のクリエイターも基本は同様だった……。

 たとえば、日本ではお洒落野郎ご用達ととらえられることが異様に多い(まあ自業自得の面も否めないのだが)ザ・スタイル・カウンシルは、文字通り「社会主義思想を広く推進するため」の曲を数多く発表した。そのひとつ、85年の「ウォールズ・カム・タンブリング・ダウン!」は庶民の団結によって強圧的な政府や収奪システムは滅びる、あたかも「ジェリコの壁が崩れ去るように」と人々を鼓舞するソウル・ナンバーだ。同時期に全英を震撼させていた英炭坑労働者ストライキを支援していた彼ららしい曲で、今般の惨事の「まったく逆」と言っていいような状況が、高らかに歌われていた、のだが……。

 おわかりだろうか? 労働党の票田にいたはずの人々が、これほどにも多く保守党へと「寝返った」ということは、つまり「伝統的なUKロック音楽家」の主張に、意見に、彼ら彼女らが明確に背を向けたことを意味するわけだ。実際、僕が知るかぎりのロック音楽家や関係者は、そのほとんどが残留派だった。

 なかには、日和見主義者もいた(選挙で決まったんだからブレグジットすればいい、とか)。しかし、当初からのゴリゴリの離脱派というと、ザ・フーのヴォーカリスト、ロジャー・ダルトリーを思い出すのみだ(次点がリンゴ・スターか)。あとは昨今とみに右傾化が激しい、元ザ・スミスモリッシーとか――しかしそれ以外では基本的に「反ブレグジット」こそがロック界/ポップ界の常識だった。圧倒的な多数派だった。

 映画界も同様で、離脱派は名優マイケル・ケインや元モンティ・パイソンのジョン・クリーズといった重鎮の一部が目立ったぐらいで、あとはとにかく右も左も残留派。俳優のヒュー・グラントは残留派全国民の象徴的存在として多くの発言をしていたし、ベネディクト・カンバーバッチ、イドリス・エルバ、ダニエル・クレイグなど、いまをときめくトップ・スターたちももちろん、判で押したようにみんな残留派だった。

「多数派だった」はずの残留派ロッカー、その阿鼻叫喚

 それだけに、選挙結果が確定するにつれての阿鼻叫喚具合には、すさまじいものがあった。音楽評論家のジョン・サヴェージは投票日翌日の12月13日、こうツイートした。

「このままなら急速に人類は破滅へと向かう。気候変動は進み、イングランドが嵐の海を漂流するあいだに、富豪どもが世界を破壊していく」

 また彼は同日、「カタルシス・ノイズ一閃のお時間だ。これいつも効く。すごくでかい音で、そのままフルレングスで」と書いては、ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「シスター・レイ」(注:17分超の長さの、激情型アート・ロック大作ナンバー。68年発表)のYouTubeリンクをポストし、現実逃避を試みたりもしていた。

 また残留派が多数のスコットランドはグラスゴーのバンド、ザ・パステルズはこうツイートした(同13日)。

「本当にきびしい状況だね。スコットランドではSNP(スコットランド国民党)が大差で勝ったのが、たったひとつの小さな光芒だ。イングランドの友よ、こっちに越しておいで。僕らとともに、なにか偉大なことに取り組もう」

 と移住を勧める声まであった。一方、デヴィッド・ボウイの息子で映画監督のダンカン・ジョーンズは、やるかたのない憤懣をこうぶちまけた(同13日)。

「ブリテンのせいで体調が悪い。嘘つきでいじめっ子、レイシストで二枚舌野郎としてよく知られるあの男が、あと5年も首相をやる。ブレグジットをネタに奴の仲間を助けては、NHS(英の国民健康保健サーヴィス)を破壊し、ブリテンをスペア・パーツ用に分解しては叩き売るんだ」

 たしかに政権に就いてからのジョンソン首相は、「NHSシステムの改悪(というか破壊)」へと邁進していた。またブレグジットによって、たとえばいま現在NHSに勤務するポーランド人医師らの処遇が今後どうなるのか……といった問題もある。ここをジョーンズは憂慮していたわけだ。

くそくらえ、トーリー!

 この「NHS破壊」について筆を割いていたのが、スコットランド人音楽家のエドウィン・コリンズだった。彼は投票日直前の11日、こんなツイートをしていた。

「NHSを救おう。15年前、僕は脳卒中になった。6カ月間、ロンドンの病院にいた。でも(NHSのお陰で)命を救われたんだ!」

 コリンズは2度の脳出血を経たあと、治療と地道なリハビリの結果、不死鳥のように復活。後遺症がありながらも、レコーディング・アーティストとして前線復帰していくその不屈の姿はBBCのドキュメンタリー番組にもなった。そんな彼だからこその「自らの命の重さを賭けた」呼びかけだったとも言える。11月24日には、こんなのもあった。

「トーリー?(The Tory?)くそくらえだ!!!!!」

 日本ではあまり知られていないが、英保守党は「トーリー」と略式に呼ばれることも多い。前身のトーリー党にちなんだものなのだが、これは蔑称としても機能して、その場合は「地主階級の権益のみを代表する、反動的でどうしようもなく嫌な奴ら。庶民の敵!」といったほどの意味だ。

 だから、ハッシュタグ「#GetTheToriesOut」などの旗印のもと、ありとあらゆる音楽家が、映画人が、そのほかの芸術クリエイターや文化人が「トーリーを多数派にしてはいけない!」と、選挙前、声高に活動していた。

 なかでも目立ったのが、投票日直前に気勢を上げたブライアン・イーノだ。70年代にロキシー・ミュージックの一員としてデビューしたのち、プロデューサーやアンビエント音楽の第一人者として大成、ウィンドウズ95の起動音をクリエイトした名士でもある彼も、もちろん労働党支持者だ。だから「トーリーを馬鹿にする歌」を緊急リリースしたりもした(12月9日)。「トーリーどものお陰で万事快調(Everything’s On the Up with the Tories)」と題した軽快なナンバーで、要するに保守党政権を誉め殺しにするような嫌みの歌、だったのだが――しかしそれが一切笑えない結果になってしまった……。

成功したロックスターは「労働貴族」なのか

 なんで、こんなことになってしまったのか? たとえば僕は「労働貴族」などという古語を思い出す。労働組合の幹部などが、下々の者の日々の苦悶など気にせずに、いい暮らしをしている様を批判する言葉が、かつてはここ日本にもあった。UKの成功したロック音楽家とは、人によっては、そんな奇怪な存在にも見える場合があった、のかもしれない。あるいは「新しい貴族だ」とか。いつの間にか。

 たとえば、UKロックスターの子供でファッション・モデルになった者は、いったい何名いるのか。王室から勲章をもらったスターも多い。労働者階級の出身だったとしても、いま現在、食うや食わずでいるような者と共有できる視座が、いかほどあったのか。

 また、ロンドン・オリンピックの開幕式を思い出してもらえれば一目瞭然、ロンドンこそがある意味すでに「EUの理想」を実現したコスモポリスと化していた。多民族・多人種が市民社会の一員として共和して生きる街となって長い。リタ・オラなど、移民一世にしてスターとなった歌手もいるし、デュア・リパの両親はコソボ出身だ。だからロンドンに住む僕の知人は「離脱派なんて、ここらへんじゃ見ない」とまで言っていた。あるいは「もしそうだったとしても、普通、口にできないよね」とも。

 しかしきっと、ロンドンにもいたのだろう。いたるところの「見えない」場所に、数多く。そしてかつては、そうした人々をも含む、雑多にして広汎な庶民の、人民の紐帯として機能したはずの「UKロック」が、その存立基盤を脅かされている、と僕は解した。

これが「労働者階級の反乱」だって?

 ここ日本では、ときに、ブレグジットを「労働者階級の反乱」として無闇に称揚する風潮があるようだ。しかし僕は、その見方には組しない(NHSを脅かす結果となるようなものが、ボリス・ジョンソンに権力を与えるような行為が、なんの反乱か!)。

 この選択は、自殺行為どころじゃない。政治的自爆テロだ。「日韓断交」などとすぐに言いたがる日本の軽薄右翼と同質の、弾圧者にのみへつらってしまう倒錯だ。強者の支配や資本家の収奪力は、今後より強まることはありこそすれ、その逆にはまったく動かない。残留派セレブの「気にくわない奴ら」に一泡吹かせてやる、ことには成功したかもしれない。だがその代償として「自らの未来をも閉ざす」ことになってしまった。この事態を喜んでいるのは、しめしめとほくそ笑んでるのは、「トーリーの奴ら」だけだ。

 ゆえに、UKロックの未来も、イギリス庶民の未来にも明るい要素はなにもない。広義のUKロック、その「今様」のなかで最も隆盛著しいUKラップ界のトップ・スターであるストームジーは、13日、選挙結果を受けて、ジャーナリスト、メフディ・ハッサンのこんな言葉をリツイートした。

「UKのマイノリティにとって暗い日だ」

 労働党を支持する労働者階級が音楽産業の主役だったこと――これこそがUKロックの最大特徴であり、アメリカのロックとは大きく異なる美点だった。だから「ナントカ族」なんて呼ばれるような街の不良が無数にバンドを組んだし、「同じような連中」の支持を糧に成功し得た。これが栄えあるUKロックの伝統だった。白人と黒人が、まったく同等に肩を並べてバンドを組み、60年代のジャマイカ音楽をリヴァイヴァル・ヒットさせたりもした(70年代末期、ザ・スペシャルズ2トーン・レコードの偉業だ)。

 もしかしたらその伝統は、このまま失われてしまう、のかもしれない。ヨーロッパの民主的統合という、まさに数百年単位で掲げるべき理想に「知ったことか」を突きつけた、世界史に残ってしまうだろう「イギリス人の選択結果」を前にして、僕は「ロックが流れているべき場所」の土台崩壊という暗黒の近未来にまず、ただ慟哭する。

作家。小説執筆および米英のポップ/ロック音楽に連動する文化やライフスタイルを研究。近著に長篇小説『素浪人刑事 東京のふたつの城』、音楽書『教養としてのパンク・ロック』など。88年、ロック雑誌〈ロッキング・オン〉にてデビュー。93年、インディー・マガジン〈米国音楽〉を創刊。レコード・プロデュース作品も多数。2010年より、ビームスが発行する文芸誌〈インザシティ〉に参加。そのほかの著書に長篇小説『東京フールズゴールド』、『僕と魚のブルーズ 評伝フィッシュマンズ』、教養シリーズ『ロック名盤ベスト100』『名曲ベスト100』、『日本のロック名盤ベスト100』など。

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