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虐待される女性たちを「助けられなかった俺」が、迷い込んだ袋小路『ビューティフル・デイ』

渥美志保映画ライター

今回は昨年のカンヌ映画祭で主演男優賞と脚本賞をW受賞した『ビューティフル・デイ』を、リン・ラムジー監督のコメントを交えつつご紹介します。

リン・ラムジー監督と言えば、前作『少年は残酷な弓を射る』でご存知の方も多いかもしれませんねー。世の中から忌み嫌われ蔑まれて生きる女性、その過去を徐々に紐解いていくことで、彼女がある大事件を起こした少年の母親であることが分かってゆく……という衝撃作でした。

今回の作品もそれとちょっと似た感じの構成で、謎めいたある男について紐解いてゆく素晴らしい作品。特にラストが!ということで、まずはこちらを!

主人公のジョーは元軍人で捜索・奪還のプロ。警察に頼めないヤバい案件を引き受け、しばしば荒っぽい手段も使う一匹狼です。物語はそんな彼が、まさに「ヤバい案件」を引き受けたことから始まります。捜し出すのは州知事選に立候補中の上院議員の十代の娘ニーナ。2年前に家を出て、売春組織に囚われてしまったんですね。ところが。いつも通り少々手荒いやり方でニーナを奪還したジョーは、その帰路で彼女の父親が「謎の自殺」をしたことを知ります。さらにニーナは組織の連中に奪い返され、ジョーの周囲の人間が次々と殺されてゆくのです~。

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さてこの映画の何がすごいって、やっぱり主演ホアキン・フェニックスの存在感です。一見、ただの“荒くれおっさん”に見えるジョーは、荒っぽさと傷つきやすさ、冷酷さと優しさ、狂気とユーモア、男っぽさと女々しさ――それら相対するすべての要素を持ち合わせたすごく複雑な人物です。

例えば仕事は物凄く冷酷でプロフェッショナルな一匹狼ですが、家では認知症を患った母親と一緒に暮らしており、その母に深い愛情と同じくらいの煩わしさを感じています。この人の存在がジョーにとっての痛みそのものであるのは、幼い頃に父親から受けた虐待が原因。父親の暴力から母親を守れなかったこと、父親に「女々しい」と罵られていたこと、そして自分の仕事の際、父親が虐待に使っていた「ハンマー」を使うことなどからも、彼の内面がその矛盾で引き裂かれていることが感じられます。これにリアルな説得力をもたせて演じられる俳優はそうはいないでしょう。

家に帰るとお母さんが映画『サイコ』見ているという。この母息子の関係をパロったユーモアも
家に帰るとお母さんが映画『サイコ』見ているという。この母息子の関係をパロったユーモアも

リン・ラムジー監督 「you were not here」という原題が示すのは、ジョーが幽霊のような存在であるということ。作品自体、夢みたいなもの――グッドトリップかバッドトリップなのかはわからないけれど――だとも言えるわ。そんな中で、“自分”という不確かな存在がなんであるのかを、映画は描いているのよ。ジョーは壊れた人間だし、ジェームズ・ボンドみたいな“いかにもなヒーロー”にはするまい、むしろいかにそうでないかを追求したわ。そのためにホアキンと話したのは、ジョーの女性的な面や脆さのような部分だったわね

ジョーのそうした側面を描いて最も印象に残る場面があります。それはニーナを奪い返しジョーの周囲の人間を殺したやつらが、いよいよジョーを狙って彼の家に来る。そのうちのある男がジョーに撃たれながら、ある方法で妙に穏やかに死を迎えるという場面です。

この後、死にかけた男にあるものを…
この後、死にかけた男にあるものを…

リン・ラムジー監督 普通のジャンル映画だったら、ジョーに頭に銃を突きつけられた敵が、すぐニーナの居場所を吐く、みたいな展開になるんだろうけれど、そういう場面には絶対にしたくなかったの。それで、死ぬのに時間がかかったら面白いんじゃないかなと思って。そして人間として壊れてしまった二人は、男の死を前に『愛はかげろうのように(I've never been to me)』を口ずさみ始める。そしてその瞬間、不意に手をつなぐの。この場面で得られる情報は物語を進めるために必要なものだけど、私にとっては“曲”と“手つなぎ”がすごく重要だった。ホアキンでさえ、こんなシーンは成立しない、リンはどこまでイカレてるんだよって思っていたんじゃないかしら(笑)

こうした場面と並行して描かれるのがジョーの過去です。幼い頃に受けた虐待、戦争体験、(映画では明確に言語化されてはいませんが)捜査官だった時代――そこに共通する「助けられなかった俺」という事実は、特にニーナを奪い返されて以降、フラッシュバックとなって蘇り、ジョーを苦しめます。

面白いのは、ジョーが「最終的に助かれば結果オーライ」と思えないところ。ジョーの苦しみは「助けられなかった」ことでなく「助けられなかった俺」。「俺は弱い、背筋を伸ばせ、女々しいぞ」と自虐するその姿には、男性がハマりがちな「マチズモ(男性性)」の袋小路が見えて来る気がします。

こういう葛藤って#Metoo時代を生きる、まともな男性たちにはすごく響くんじゃないかあと。だって虐待する側の「女が男の上に立つなんて生意気だ」といった考えと、助ける側の「男なのに助けられなかった」という考えは、ある意味表裏一体なんですよね。もちろん助けるのは当たり前なんだけど、その理由は「男なんだから」でなくていい、と思うのですが、彼はそうは思えない。

ジョーが口ずさむ「愛はかげろうのように」の感傷的な歌詞が謳うのは、「自分の幸せがわからない」。これはこの映画のひとつの切り口のように思えます。

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作品(と原作)の原題は、そのまま訳せは「あんたはここにはいなかった」。これはジョーの存在の不確かさを示していると解釈するリン・ラムジー監督。映画はそれを表現するように、「そこにいるはずの人が、いない」「そこにいないはずの人が、いる」という不思議なシーンを繰り返します。そんな中で、ジョーは自分自身を見出せるのか。『ビューティフル・デイ』という邦題が示すのは、決して明るくはない未来を前に見出した、一筋の光明のように私には思えました。

リン・ラムジー監督  子供って面白いなと思うのは、未来がどうあれ、今この瞬間の美しさや希望を信じることができるんですよね。ジョーはニーナのおかげで、それまで忘れていた“今日という日の美しさ”を感じることを、思い出してゆくんです。私たちの生きる世界は暴力や紛争に満ち溢れているでしょ。それでも生きてゆくには、毎日その日その日に美しさを見出してゆくしかないと思うのよね。

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『ビューティフル・デイ』

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映画ライター

TVドラマ脚本家を経てライターへ。映画、ドラマ、書籍を中心にカルチャー、社会全般のインタビュー、ライティング、コラムなどを手がける。mi-molle、ELLE Japon、Ginger、コスモポリタン日本版、現代ビジネス、デイリー新潮、女性の広場など、紙媒体、web媒体に幅広く執筆。特に韓国の映画、ドラマに多く取材し、釜山国際映画祭には20年以上足を運ぶ。韓国ドラマのポッドキャスト『ハマる韓ドラ』、著書に『大人もハマる韓国ドラマ 推しの50本』。お仕事の依頼は、フェイスブックまでご連絡下さい。

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