退屈な「女の園」に転がり込んだイケメンは、「飛んで火に入る夏の虫」『ビガイルド/欲望の目ざめ』

今回はソフィア・コッポラ監督の最新作『The Beguild ビガイルド/欲望の目ざめ』をご紹介します。カンヌ映画祭で監督賞を受賞したこの話題作、1971年のクリント・イーストウッド主演作『白い肌の異常な夜』と同じ原作を映画化したものなのですが、明確な意図の違いで全く別の作品になっていて、すごーく面白い。見比べてみるとより面白い!ということで、まずはこちらをどうぞ!

さて物語。舞台は1860年代の南北戦争下のアメリカ南部。南北戦争とは(お題目としては)奴隷問題を巡り、「南軍」「北軍」に国を二分して始まった内戦です。舞台は森に隠された女子学園――といっても寄宿制の寺子屋みたいな感じ――で、学園長と教師、10代の生徒たち合わせて7人で、自給自足しながら暮らしています。

ある時、その中で一番のオチビちゃんが、キノコ狩りに行った森の中で北軍の負傷兵マクバーニーを発見し、学園に連れ帰ります。当然ながら敵兵ですから味方の軍隊に引き渡すのが筋ですが、「殺されるから引き渡さないで!」という男の懇願と、子供たちの「可哀そう」という優しさにほだされた学園長のミス・マーサは、「とりあえず怪我が治るまで」という条件で保護することに。

男を誘惑したいお年頃、17歳のアリシア(エル・ファニング)
男を誘惑したいお年頃、17歳のアリシア(エル・ファニング)

でも「女の園」にポンと入ってきた男、それが「気に入られよう」と全方位的に愛想を振りまくイケメンだったら、いろいろとザワつくのは当たり前。特に反応したのが、「お年頃」の二人――30歳前後で「結婚した~い!」な時期にある教師エドウィナと、女としての自身の魅力に目覚め始めている17歳のアリシア。さらに色めくふたりにうっすらと嫉妬しつつ、だからこそ同時に危機感を覚えて態度を固くする最年長ミス・マーサの思惑が絡み、事態は思わぬ方向に転がってゆくのです~。

この男を逃すわけには!と必死のエドウィナ(キルスティン・ダンスト)は、南部女たちにマウンティングされまくる西部女
この男を逃すわけには!と必死のエドウィナ(キルスティン・ダンスト)は、南部女たちにマウンティングされまくる西部女

恥ずかしながらこの私、デビュー当時のソフィア・コッポラ監督を「見せ方が上手い雰囲気映画の人」と思っておりました(もちろんそれだけでも十分スゴいんだけども!)。でもそれは私の見方が浅かったから。ふわっと美しい表現の裏には、細部に至るまで明確な意図が仕組まれていて、最近では繰り返し観るたびに「そういう意味だったのか」と気づかされ、すごい監督だわ~と思うようになりました。

どの作品もテーマは「女子のリアル」、そんなこた分かっとるわ!と言われそうですが、これがそこらの「女子のリアル」とは違う、本当に本当のリアルなのです。様々な年齢、立場の女子が登場するこの作品は、その最たるものと感じました。

「イケメンに唆されぬよう、私が子供たちを守らねば!」なマーサ園長(ニコール・キッドマン)
「イケメンに唆されぬよう、私が子供たちを守らねば!」なマーサ園長(ニコール・キッドマン)

じゃあそれっていったい何なのか。これは1971年の『白い肌の異常な夜』と比較してみると、すごーくわかりやすい。こちらはドン・シーゲル監督によるバリバリ男目線の作品です。

シーゲル版を見て私がぶっ飛んだのは、クリント・イーストウッド演じる負傷兵の男が学園のキノコ少女と出会う冒頭の場面。男は少女に助けてもらうために、年齢(13歳)を確かめた上で、「なら大丈夫だな」とキス(唇に!)をするんですね。児童虐待的な不安に駆られた私は子役の年齢(ちなみにほんとに13歳)まで調べちゃったりしたのですが、要するにこの男、年齢がいくつであれ、女であれば「自分の性的魅力で操れる」と思っている最低なヤツなのです……!

でもってその学園の女子ほぼ全員が(魅力を感じるがゆえに過剰に拒否反応を示す人も含めて)彼の虜に。女たちは自らその身を男の前に投げ出し、強引なキスにも「待ってました!」と応じ、男に抱かれる姿を妄想し、仲間の一人がセックスしたと知れるや、キノコ少女すら「私のことを一番愛してると思ったのに!」とか言い出す。「現代の女子」ならほとんどが、「ありえねー!」と思うような展開だと思います。

おそらくソフィア・コッポラ監督もそう思ったんじゃないかなあ。ソフィア版は物語の流れに必要な(かつ説得力のある)「お年頃」の二人を除き、それ以外の「男にメロメロ」エピソードはほぼすべてカット。その代わり、男を意識することで変化する女子たちの行動――ずっとしまい込んでいたアクセサリーや着る機会を失っていたドレスを引っ張り出して身に着けるとか、「珍しくオシャレなんてしちゃって」「肩を出すなんてはしたない」といった軽いつばぜり合い――の描写が増えています。

女子が可愛く着飾るのは男の人がいるからかもしれませんが、男の人のために着飾ってるワケではないんですよ。勘違いされがちですが
女子が可愛く着飾るのは男の人がいるからかもしれませんが、男の人のために着飾ってるワケではないんですよ。勘違いされがちですが

ここでタイトル“ビガイルド(Beguild)”の意味を確認しましょう。

  1. だます、欺く
  2. だまして~の状態にさせる
  3. 楽しませる、喜ばせる
  4. (時間、飢えなどを)紛らわす

男目線のシーゲル版の負傷兵は、嘘だらけのかなり質の悪いタイプで、たまたまたどり着いた「女の園」を、いわゆる「ハーレム」にせんと目論んでいます。つまりこの場所は、負傷兵にとっての戦争の合間のお楽しみ=“ビガイルド”なんですね。

じゃあ女目線のソフィア版における“ビガイルド”は何か――それは女子たちにとっての負傷兵の存在なんですね。あたかも鉄格子のような高い鉄門越しのショットが印象的ですが、彼女達は戦争によって学園に閉じ込められ、オシャレも贅沢も恋も全部我慢しています。ミステリアスな男はそんな退屈の中で、ちょっとしたドキドキやウキウキを楽しませてくれる格好のネタなんですね。

画像

本当の自由を持たない(もしくは知らない)女子たちの退屈と倦怠、それに対する刹那的な癒しへの渇望は、『マリー・アントワネット』よろしく、ソフィア・コッポラが描き続けているモチーフです。

「お母さんだって認められたい」「ノーメイクで何が悪いの」「未婚だったら何?」「おばさんだって恋したい」的な映画も、もちろん「女子のリアル」の一面。でもソフィアが描く「女子のリアル」は、そういう世代や立場なを超えて普遍化した「女子のリアル」のように思えます。シーゲル版にあった南北戦争時代ネタ(人種差別やその時代なりの男尊女卑描写)もバッサリ割愛しているのは、彼女が描いているのが「その時代の女子」でなく「現代の女子」だからじゃないかなー。

さてさて。気になるのは“ビガイルド”するつもりが“ビガイルド”された男の運命ですが――これもまた彼女たちの退屈を紛らわす、刺激的な1ページとなったことは言うまでもありません。女をまるで嫉妬と情念の怪物のように描いた前作に比べ、今作はそういう粘着感はないのですが、その無邪気な残酷さが逆に女子っぽいという説も(笑)。コリン・ファレルは演じるソフィア版の負傷兵はそこまでワルではないので、ちょっと可愛そうな気がしなくもないのですが、男性が見たら「女を手玉に取ろう」なんて気持ちには金輪際ならない、かもしれません。

『The Beguild ビガイルド/欲望の目ざめ』

公開中

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