奇跡の映像だらけ!地上版『ゼロ・グラビティ』が問う、ヨーロッパの難民問題『ジュピターズ・ムーン』

今回は今週末から公開の『ジュピターズ・ムーン』の、コーネル・ムンドルンツォ監督のインタビューをご紹介します。

前作、無人の町で何百匹もの犬が起こす暴動を描いた『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』でもカンヌ映画祭を驚愕させた監督。今回のモチーフは「宙を舞う少年」で、私はこの新作を去年のカンヌ映画祭で見たのですが、「この映像、いったいどうやって撮ったの?!」という驚愕の連続!

アカデミー賞の撮影賞を獲得した『ゼロ・グラビティ』(撮影監督エマヌエル・ルベツキ)に近い感じで、(個人的にはこの撮影監督、今後ハリウッドで引っ張りだこになるのでは!と言うような気も!)これぞ劇場で見るべき!という作品です。

ということで、まずはこちらを!

医療ミスで病院を追われ、今は難民キャンプの診療所で働きながら、難民の違法な逃亡を手助けし金を稼ぐ医師シュテルン。そんなある日、診療所に銃で撃たれて重傷を負った難民の少年アリアンが運ばれてきます。「なんだか身体がおかしい」と言いながら空中を浮遊し始める彼を見て驚愕したシュテルンは、彼をキャンプから連れ出すことに。死を目前にした患者にこの「奇跡」を体験させることで、さらなる荒稼ぎをしようという目論見です。一方、難民への憎悪からアリアンを撃った刑事ラズロは、その罪を隠ぺいするために、二人を追います。

『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』に続き、今作の映像にも本当にビックリしました。他人には作れない映画を作った、やったなという手ごたえはありますか?

それは感じますね(笑)。僕は常に新しい分野を開発したいと思っているので、観客に「新しい“エイリアン”見た」と思わせることは重要です。『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』は分かりやすい作品でしたが、本作は多層的で、視覚的にもより複雑になっていると思います。

「どうやって撮ったんだろう?」と何度も思いました。CGはほとんど使っていないそうですね。

この作品の撮影監督マルセル・リーヴィーはすごく若いのですが、『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』以来非常に密に仕事をしながら、映画的言語を追究しています。共通の目標は、単純に言えば「誰も見たことのない映像を作ること」です。

でも今回の映像を作るにあたっての発想は、しごく単純なんですよ。カメラと演者の両方が、水平方向と垂直方向で自由に動きながら撮影できるような仕掛けを考えた、ということだけで。クレーンやコンテナも使いましたし、360度回転する部屋というのも作りましたね。

とにかく「信じるに値する“宙を舞う少年”」を作ることが大事でした。アクションの場面ともいえますが、何より「奇跡を信じられる」と思わせることが大事だったので。そういうものは、どんなに言葉を尽くして説明してもうまくはいきません。観客には映画館の座席で「なんだこれ!?」「何が起きてるんだ!?」と思わせなければ。映画の登場人物と同じような感覚を感じさせることです。

「天使」をネタに金儲け中の、シュテルン医師「悪い時バージョン」
「天使」をネタに金儲け中の、シュテルン医師「悪い時バージョン」

「宙を舞う少年」というモチーフは、アレクサンドル・ベリャーエフのSF小説『浮遊する少年』から喚起されたものだと聞いています。

最初にあったのはそのSF小説のイメージです。本当に子供っぽい理由から、そのアイディアに惹かれ、映画で遊べるんじゃないかと思って。

ただ同時に、そのアイディアには「お前に信じる心はあるのか?」という非常に挑発的な問いかけもありました。当時の私は――まあ純真無垢な子供ではなかったけれど、「信じられる」と思ったことを覚えています。

当初、脚本は英語圏の映画として英語で第一稿を描きましたが、世には出なかった。英語圏においては「映画の中でスーパーヒーロー以外の人間が空を飛ぶことを信じる観客はいない」という判断が、一部にあったようです。

このキャラクターは、アメコミのスーパーヒーローとは思えませんよね。

私としては、「クリプトン星から来た宇宙人」みたいなものでなく、「天使的な存在」――どこの誰かわからない、より超越した存在――のつもりだったんですよね。

実際、主人公のシュテルン医師と、「宙を舞う少年」=難民のアリアンとの間には絆が生まれますが、それは強い人間関係というよりは、迷える魂の結びつき、鏡に映った「自己を犠牲にする彼自身」との出会い――『テルマ&ルイーズ』的な友情、そういったものだったと思います。

とはいえ冒頭で「ここは地球ではない」というSF的なほのめかしもあり、他方ではすごくキリスト教的ですね。

撮影はブタペストですが、映像の町並みは本物とはちょっと違う、SFのようなタッチが感じられると思います。もちろんリアリティに根差した作品だし、「奇跡」そのものもリアルに見えるよう努めましたが、あんまり社会派リアリズム的な映画にはしたくなかった。かといって典型的なジャンル映画にもしたくもありませんでした。

もちろん物語が描く主人公のシュテルン医師の「自己犠牲」は、キリスト教に見られるモチーフですが、私としては「宙を舞う少年」を面白がって頂ければと思うし、必ずしもキリスト教を知っている必要はありません。

またもう一方で「宙を舞う少年」アリアンを、「エイリアン(異星人、外国人、部外者、のけ者)」と思ってもらってもいいなと。僕は『ブレードランナー』のレプリカントや、『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』でスカーレット・ヨハンソンが演じた宇宙人も大好きで、そういうキャラクターに近いかなとも思います。

クレイジーな社会から逃げ出したい、と思う人にとっては、「逃避」「出口」のようなものの象徴かもしれません。

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この映画を作るきっかけには、2014年に訪れた難民キャンプでの経験があったそうですね。

ハンガリーは今は難民の受け入れをしていませんが、当時は国内にキャンプがありました。別の仕事の撮影でそこを訪れ、5週間くらい滞在したと思います。その頃は難民問題が「クライシス」化する以前でしたが、難民の方々の「過去を捨て、未来も見えない」という状況には胸が押しつぶされ、「僕らが責任を負っているのではないか」と考えさせられましたね。

でもいざ映画を作ろうとした矢先に大問題になってきて、どうしようと悩みました。私は、映画は政治的な抗議やジャーナリズムからは最も遠いアートであるべきだと思うし、誰もが熱くなるようなテーマを扱うのは腰が引けます。なんやかや言われることは目に見えていますから。でも「浮遊する少年」のモチーフのおかげで、他とは違う視点で見ていただける作品になったと思います。

この映画に登場する移民を憎みアリアンを追う刑事、ラズロのようなキャラクターを見ると、「なんてい悪い奴!」とつい思ってしまいます。でもそれは、私が国境が海に守られている国で、難民・移民流入の現実を実感できていないからなのかなと。ハンガリーで暮らす監督が感じる、本当のところを教えてください。

島国だって内陸国とさほど変わりませんよ。ヨーロッパに来る難民・移民は、船で来る人も少なくはありませんから。

僕にとってラズロというキャラクターは、ただの「権力の奴隷」です。難民を敵だ、滅ぼさなければいけと思い込まされているんですね。一方、当初アリアンを自分の金儲けのために利用しようとしていたシュテルン医師は、途中で過ちに気づいて変わってゆきます。

つまり私が信じているのは、移民難民問題はヨーロッパにとってネガティブなものではなく、ポジティブなものだということです。この問題を解決できれば、ヨーロッパはより強い場所になる。世の中が「クライシス」だと騒ぎ立てるのは、単純に、政治や国が利用するために、作り上げられたイメージだと思います。

空飛ぶ夢を見たことある人(私ですが!)なら「私の夢と全く同じ!」と思うはず!
空飛ぶ夢を見たことある人(私ですが!)なら「私の夢と全く同じ!」と思うはず!

「宙を舞う少年」は、自分がどこまで「奇跡」を信じられるか、その限界を試しているのかもしれませんね。

そのとおりです。私は常にその限界を測っています。私にとってのこの映画は、観客の疑問を引き起こすと同時に、信条について、未来について、あなたが見つめる自由についての物語です。簡単には型にはまらない作品ですし、自分なりの答えを得るには、映画を見てからしばらく時間がかかるかもしれません。でも「これなに?」「信じられる?」「何かを象徴してるの?」そうした疑問から、観客が自身の魂を測ることができたらと。願わくはそう思っています。

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