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6・4天安門事件を風化させるもの:中国を見つめ直す(20)

麻生晴一郎ノンフィクション作家

 6・4天安門事件など、中国の民主化に関わる話題に触れていると、中国の若い人からしばしば言われるのは「中国は変わりました」というセリフである。彼らが言いたいのは、中国は経済成長で6・4の頃とはまるで違う社会になったので、何を今さら6・4を取り上げて中国バッシングしたいのかということだ。

 確かに彼らが言うように中国は変わった。中国を初めて訪れた1980年代後半、筆者が中国で感じたのは政治制度の違いなどよりも、日本がいかに経済力で上回っていたかということだった。

 中国人にとっても日本人にとっても、自由というものは経済力を抜きにして語ることはできない。たとえば海外旅行をする自由はたんに出国が法的に認められていてもお金がなくては絵に描いた餅に過ぎない。1980年代の中国は、どのような本・雑誌を読むか、休日をどう過ごすか、どのような家庭生活を営むか、などの選択肢が限られており、それは主に経済力の限界から来ていた。

 大都市の市民をはじめ、中国人の多くが当時よりは経済的に豊かになったことは言うまでもない。確かに言論・集会の自由は制限されているが、それも政治や社会に影響力を持つ言動に限られ、普通の庶民が情報を得る手段や何らかの意見を発信できる機会は当時とは比べものにならぬほど広がっている。

 このような現状に多くの人がある程度満足しているだろうことは想像に難くない。彼らの満足は6・4後の中国が政治改革抜きで経済成長を求めたことにより実現した経済的な自由、すなわち私的領域の自由の拡大に対する満足にほかならない。他方、政治・社会・国家に関わる公共領域については今も昔も政府・党の独裁であり、一般市民の権利や自由は大きく制約されたままだが、日本でも選挙や市民活動に関心のない人がいるように、中国の都会の人たちが公共領域に関する権利や自由にさほど関心がないと考えることは不自然でなかろう。

北京の環境関連の大学NGOの主宰者たちの集い。彼らは公共領域に強い関心を持っていたが、1人は「そのような学生は自分たちの大学の学生の1割にも満たないだろう」と語った。(2007年頃、筆者撮影)
北京の環境関連の大学NGOの主宰者たちの集い。彼らは公共領域に強い関心を持っていたが、1人は「そのような学生は自分たちの大学の学生の1割にも満たないだろう」と語った。(2007年頃、筆者撮影)

公共領域への関心がないなら中国は年々自由に豊かになっているとしか思えまい。だとすれば、6・4がいかに悲惨な出来事だったにせよ、今とはまるで異なる社会で起きたものであり、事件は過渡期の致し方ない現象だとして風化されていくことになるだろう。6・4関連の情報が封鎖されていることについても、「外国勢力」など中国の発展を好ましくないと思う連中が中国国内をかき乱すのを防ぐためには致し方がないとわりきれるであろう。

 つまり、6・4が中国で関心を持たれる上で根本的に必要なことは、中国のより多くの人が中国共産党とは別の次元から社会や政治や国家といった公共領域に関心を抱くことであり、公共領域への関心を強く持つならば自分たちの権利や自由がいかに少ないかを痛感するはずである。裏を返せば、こうした関心を持たぬ限り、6・4がいかに重要で深刻な出来事であろうと、過去のものとして風化していくであろうし、頭ごなしに6・4の話題を差し向けても関心を持たれるはずがない。

 21世紀初頭、中国でボランティアや市民活動が政府・党と離れた形で台頭したことは、庶民の公共領域への関心が高まる予感を持たせ、日本でも比較的大きく注目され始めたが、2010年代に入ると一部の活動が規制や弾圧で以前ほどの活力が見られなくなり、日本でもあまり関心が向けられなくなった。しかし、6・4が中国で正面から受け止められるために必要なのは、こうした市民活動の台頭が示した方向の発達であろう。このことはいずれ機会をあらためて触れてみたい。

ノンフィクション作家

1966年福岡県生まれ。東京大学国文科在学中に中国・ハルビンで出稼ぎ労働者と交流。以来、中国に通い、草の根の最前線を伝える。2013年に『中国の草の根を探して』で「第1回潮アジア・太平洋ノンフィクション賞」を受賞。また、東アジアの市民交流のためのNPO「AsiaCommons亜洲市民之道」を運営している。主な著書に『北京芸術村:抵抗と自由の日々』(社会評論社)、『旅の指さし会話帳:中国』(情報センター出版局)、『こころ熱く武骨でうざったい中国』(情報センター出版局)、『反日、暴動、バブル:新聞・テレビが報じない中国』(光文社新書)、『中国人は日本人を本当はどう見ているのか?』(宝島社新書)。

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