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行き過ぎた愛国行為は止まない:中国を見つめ直す(18)

麻生晴一郎ノンフィクション作家

中国では「はき違えた愛国」の運動がしばしば引き起こされる。たとえば「マラソン大会での国旗手渡し」。昨年11月18日に蘇州で行われた女子マラソンで、外国人選手とトップ争いを続けていた何引麗選手がゴール数百メートル前で、コースに進入したボランティアから国旗を手渡された。何選手は国旗を投げ捨てて走り続けたものの、ペースを乱されて結局5秒差で2位に終わった。レース後、批判はレースを妨害した行為にではなく国旗を投げ捨てた何引麗選手に浴びせられ、同じ女子マラソン選手がSNS上で「成績は国旗よりも重要なのか?」と痛烈に非難した。

これに対し「愛国はいいことだが、他人を叩く棍棒にしてはいけない」(張鳴・中国人民大学教授の同年11月19日のブログ記事)をはじめ、インターネット上で批判意見が噴出したことは前回の不買運動と同じである。

だが、批判意見こそ出るものの、国旗を手渡したボランティアや何選手への非難の主が制裁を受けることはなく、結局は何選手が勝負に敗れた上に売国奴扱いの批判にさらされたまま、ろくなフォローもされないだけで終わったのである。

中国国内で開かれた国際マラソン大会においてトップでゴールする中国人選手が国旗を持つケースは他にも見られ、今後は東京オリンピックを含め海外でも起こり得るかもしれない。

確かにこのような愛国行為に対してネット上で批判意見が出ていることは大きな変化だと言える。しかしながら、批判意見こそ出ているものの、「はき違えた愛国」の行為を抑制する力になっているとは言い難い。不買運動で従業員のiPhone購入に罰則を設けた経営者も「従業員や消費者の権利を損ねている」ことで訴えられるわけでもない。つまり愛国行為をしでかした者の「やった者勝ち」であるのが現状と言うほかない。

このように考えると、中国で「はき違えた愛国」行為がなぜ繰り返されるかがよくわかる。愛国行為の主は批判こそされるものの特にどうかされるわけでもない。一方、非難された女子マラソン選手たちの屈辱はなんらフォローされることのないまま放置されるのである。

2007年北京オリンピック前の取り壊し予定家屋のドアに「尖閣は中国国有の領土である」との貼り紙が。筆者はここの住人と話をしたが、「たんに見栄えが良いから」というのが貼り紙をした理由だった(筆者撮影)
2007年北京オリンピック前の取り壊し予定家屋のドアに「尖閣は中国国有の領土である」との貼り紙が。筆者はここの住人と話をしたが、「たんに見栄えが良いから」というのが貼り紙をした理由だった(筆者撮影)

IT産業など物質面では著しい進歩が見られる中国だが、個人の権利は著しく制約されている。2018年に起きたもう1つの出来事を紹介しよう。ベルリン・シャウビューネ劇団制作の演劇『民衆の敵』の公演が9月6日から北京・南京で3回の予定で始まったが、実際に公演されたのは北京の最初の回だけで、その後の北京と南京での2回の公演は中止させられた。『民衆の敵』とは、工場の廃水が源泉を汚していたノルウェーの温泉地が舞台で、ある医者が汚染の問題を指摘したものの、地元の有力者が利益を守るべく情報操作をして医者の訴えを却下していくうちに、民衆がその医者を敵視したというイプセン作の戯曲である。1882年に作られた演劇の公演が中止させられたのは、北京での最初の公演の際、中国の現状が劇の内容とそっくりであることを観衆の1人が指摘したからだとされる。

確かにこの客の言うように、中国では地方政府のさまざまな不祥事を訴える地元民が逆に地元の政府や警官から迫害を受けるケースが後を絶たない。それにしても140年近く前に作られた演劇の公演が政治的な理由から中止になるということには驚きを禁じ得ない。さまざまな言論統制が行われる中、愛国こそはネット上の批判はあれ大手を振って主張できる聖域であるのだとしたら、「はき違えた愛国」が繰り返されるのは不思議でないだろう。

ノンフィクション作家

1966年福岡県生まれ。東京大学国文科在学中に中国・ハルビンで出稼ぎ労働者と交流。以来、中国に通い、草の根の最前線を伝える。2013年に『中国の草の根を探して』で「第1回潮アジア・太平洋ノンフィクション賞」を受賞。また、東アジアの市民交流のためのNPO「AsiaCommons亜洲市民之道」を運営している。主な著書に『北京芸術村:抵抗と自由の日々』(社会評論社)、『旅の指さし会話帳:中国』(情報センター出版局)、『こころ熱く武骨でうざったい中国』(情報センター出版局)、『反日、暴動、バブル:新聞・テレビが報じない中国』(光文社新書)、『中国人は日本人を本当はどう見ているのか?』(宝島社新書)。

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