居酒屋は元はテイクアウト専門店だった

前回の記事で、今から300年前の江戸と現代の日本(東京)が「男余りによって結婚できない男たちがあふれていた」というお話をした。今回はその続きである。

→前回記事”地方から若者が集まり結婚もできずに生涯を終える。現代の東京と江戸との酷似点”

江戸時代中期以降は、経済的に貧しくなった武士や大名家に代わって、経済の中心は庶民にうつり、その経済活動の中心として江戸に生きた独身男性である、と書いた。今回は、現代にも残るある商売形態の誕生秘話についてお話したい。

ところで、現在はすっかり収まりつつあるが、この1年7か月余りに及ぶコロナ禍において大きな痛手を受けた業態のひとつが飲食店である。日本フードサービス協会による業態別の月次売上推移をみると、特に「パブ・居酒屋」業態のマイナス幅が凄まじい。

グラフは、コロナ以前の2019年の同月比の推移で示しているが、「パブ・居酒屋」業態は最悪9割減の売上となり、回復しつつある2021年10月でさえもまだ通常の半分の5割にさえ達していない。コロナ禍中においても常に100%前後を推移していたファストフード業態とは雲泥の差である。

これは、時短や酒提供禁止という制限の影響がもっとも大きいのだが、それ以外にも、テイクアウトのあるファストフードとない居酒屋との差もある。

しかし、元々、居酒屋というのは、テイクアウト専門店だった。というより、今でいう酒屋だった。樽から量り売りで、持ち込みの徳利についで売ったり、一合枡酒一杯いくらで売っていた。

居酒屋の起源

居酒屋発祥は江戸時代である。

戦国時代の1570年代にもあったという説もあるが、商売として確立したのは江戸幕府後であり、その契機となったのは、明暦の大火である。江戸城まで焼けてしまった大火事によって、江戸はその後町全体の再開発事業にわいた。そのため、全国各地から大工や職人などの男たちが集結することになった。

前述の通り、元々、酒屋として酒のテイクアウトオンリーの量り売りなので、本来持ち帰って家で飲むものだが、江戸の男たちは仕事終わりに寄って、酒を買ったそばからその場で一杯飲んでしまう。そのうち、一杯では足りなくって「もう一杯」と頼むようになる。

写真:masa44/イメージマート

そうこうするうちに、他の現場から仕事を終えた男たちも続々集まってくる。酒が入ればいろいろと話もはずむこともある。現在も一人で立ち飲みバーやスナックに行って、見ず知らずの客同士が仲良く会話する・時には喧嘩することあるが、あれと似たような光景である。

酒屋は江戸の働く男たちのちょっとした社交場だったわけである。よく考えれば、貧乏長屋に一人暮らしの江戸の独身男は、家に帰ったところで1人寂しく寝るだけなのだから、そういう場でコミュニケーションをとっていたのだろう。

酒が進み、酔いが回ってくると、なんかつまみもほしくなる。客は店主に「腹減ったな。オヤジ、なんか食う物出せよ」と無茶ぶりするわけである。でも、そこで「バカいうんじゃないよ。うちは酒屋だ。酒しか置いてねえよ」なんて怒ってマジレスしてはいけない。

店主も考えるわけです。「あれ?これは、つまみを出せば、酒がもっと売れるんじゃないか」と。ここに、客の要望と店主の商人魂の互いのメリットが合致して、酒屋でのおつまみサービスが自然発生的にはじまった。

かくして「酒屋に居たまま飲む」という居酒屋が誕生したわけである。

居酒屋はテーブルもないし、女性店員もいない

時代劇だと、テーブルとイス席のある今と変わらない形の居酒屋店が映し出されますが、あれは幕末以降の話で、当初はテーブルなどはない。そもそも酒屋だったのだから。簡易的に座れる床几があるくらいで、客の男はそこに腰掛け、酒もつまみもそこにおいて飲んでいた。

それと、当時の居酒屋には女性の店員もいない。客はほぼ男性ばかりで、しかも、荒くれ者たちが酔っぱらう場所であり、かなりの頻度で喧嘩が起きる場所なので、基本的には酒屋のおやじが対応していた。女性店員がいたのは茶屋のほうである。

テレビもSNSもない時代、本来そういう場所ではなかった酒屋を、人とつながり、会話をし、楽しく交流する場に変えたのは、江戸の独身男といってもいいでしょう。

幕末には、江戸だけで居酒屋が1800店舗もあったといわれる。これがどれくらいすごいかというと、人口10万人当たりの居酒屋数でいえば、現在の大阪以上に、江戸では居酒屋があったという計算になる。

ちなみに、現在都道府県別に一番居酒屋含む飲み屋が少ないのは奈良県で、1031軒しかない(2014年時点)。江戸の飲み屋の約半分しかないということになる。

写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

もちろん、独身だけが居酒屋で飲んでいたわけではない。が、江戸に集結した男たちは、たとえ妻子持ちでも単身赴任も多い。農村から来るのは次男坊・三男坊の独身たちで、そのほとんどは独身である。

基本的に、貧乏長屋に1人住まい。前回の記事通り、男女人口比も男が女の2倍もいたので、男余りで当然結婚相手もいない。そもそも結婚することが当たり前の時代でもないので、特にそれで何か不都合があるわけでもなく、今日働いた分の銭でおいしい酒と飯を食って寝れれば、それでよかったのだ。まさに「宵越しの銭はもたねえ」である。

江戸で花開いた「現代の食産業と食文化」

実は、現在のソロ社会における商売のヒントはかなり江戸時代に隠されていて、そのほとんどがすでに江戸で実施されていたものだったりする。

寿司は当時でいえば、独身男たちが出勤途中にかっくらうファストフードだったし、今の100円ショップのような「四文屋」もあった。所有する意味のないものは大抵「損料屋」というレンタルショップで借りるという、いわばシェアリングエコノミーも成立していた。家から一歩もでなくても、食品や薬まで棒手振りというデリバリーサービス業が玄関まで来て行商していた。

棒手振り 江戸東京拍武官にて荒川和久撮影
棒手振り 江戸東京拍武官にて荒川和久撮影

総菜屋が繁盛したのも、自炊をしない独身男の需要があったからである。ちなみに、江戸の独身男が自炊をしないのは、料理が面倒くさいというより、当時の燃料である薪代が高すぎて手が出なかったからでもある。

江戸の独身男たちは、確かに子孫は残せなかったかもしれない。しかし、今に続く産業や文化を残したのである。特に「食」の部分において。

江戸のソロエコノミー(独身経済圏)は「食」だけではないが、今回は「居酒屋」という部分にフォーカスした。また、後日、その他の業態についてもいろいろとお記事化していく予定である。

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