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国連によるシリアへの越境(クロスボーダー)人道支援を葬り去った欧米とロシア、蘇らせたシリア

青山弘之東京外国語大学 教授
SANA、2023年7月11日

シリアでの人道危機を前に同国政府がとったあまりに当たり前の対応が、国連での覇権争いに終始する諸外国の身勝手さを際立たせた。

筆者作成
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越境人道支援とは?

ここで言う人道危機とは、越境(クロスボーダー)での人道支援をめぐるものだ。

シリアでは、2011年3月の「アラブの春」に端を発する混乱(いわゆるシリア内戦)によって、国土がシリア政府、反体制派、そしてイスラーム国などによって分断され、多くの人々が戦火に巻き込まれて死傷し、国内避難民(IDPs)、あるいは難民となった。また、欧米諸国が中心となって、シリアに経済制裁を科すなかで、人々は困難な生活を余儀なくされた。

「今世紀最悪の人道危機」と称されたこうした惨状に対処するため、欧米諸国の主導のもと、反体制派の支配地域に対して、国連が中心となって近隣諸国から人道支援を行うための仕組みが、2014年7月14日に採択された国連安保理決議第2165号によって確立された。

この決議は、当時反体制派が掌握されていた国境地域に対して、シリア政府の承諾を得ずに、イドリブ県のバーブ・ハワー国境通行所(トルコ側はジルベギョズ国境通行所)、アレッポ県のバーブ・サラーマ国境通行所(トルコ側はオンジュプナル国境通行所)、ハサカ県のヤアルビーヤ国境通行所(イラク側はラビーア国境通行所)、ダルアー県のダルアー国境通行所(ヨルダン側はラムサー国境通行所)の4ヵ所を経由して越境人道支援を行うことを認めていた。

決議の有効期間は180日と定められていたが、人道支援継続の必要から、第2191号(2014年12月17日採択――2016年1月10日まで延長)、第2332号(2016年12月21日採択――2018年1月10日まで延長)、第2393号(2017年12月19日採択――2019年1月10日まで延長)、第2449号(2018年12月14日採択――2020年1月10日まで延長)、第2504号(2020年1月11日採択――2020年6月10日まで延長)、第2533号(2020年7月11日採択――2021年7月10日まで延長)、第2585号(2021年7月14日採択――2022年1月10日まで延長、7月10日まで自動で再延長)、第2642号(2022年7月12日採択――2023年1月10日まで延長)、第2672号(2023年1月9日――2023年7月10日まで延長)と更新されていた。

この間、シリア政府が紛争において優勢となるなか、国連安保理決議第2504号では、2018年半ばにシリア政府の支配下に復帰したダルアー国境通行所とヤアルビーヤ国境通行所が除外された。また、決議第2533号では、バーブ・サラーマ国境通行所も除外され、越境人道支援が可能なのは、バーブ・ハワー国境通行所のみとなっていた。

また、第2642号では、越境人道支援に加えて、政府支配地からそれ以外の地域への境界経由(クロスライン)での人道支援、早期復旧プロジェクトの推進が奨励されるようになった。

トルコ・シリア大地震に伴う動き

2023年2月6日にトルコ・シリア大地震が発生し、シリア政府、「シリアのアル=カーイダ」として知られる国際テロ組織のシャーム解放機構(旧シャームの民のヌスラ戦線)、クルド民族主義組織の民主統一党(PYD)が主導する自治生体の北・東シリア自治局によって分断されていたシリア北部で甚大な被害が発生すると、越境人道支援の窓口は再び拡大された。

被災者に対する救援・支援という観点から、シリア政府は2月13日、バーブ・サラーマ国境通行所とその西に位置するラーイー村(アレッポ県)に設置された通行所(トルコ側はエルベイリ村)の2ヵ所を3ヵ月に限って開放することを認めた旨、アントニオ・グテーレス国連事務総長が発表したのだ。これにより、シリア政府の承諾を得たかたちでの越境人道支援が、ロシアの仲介で関係改善に向けて動き出していたトルコとシリア、そして国連の連携のもとに進められるようになった。

なお、シリア政府は5月13日、両通行所の使用許可を3ヵ月(8月13日まで)延長すると発表し、現在に至っている。

欧米諸国、反体制派とロシア、シリアの対立

国連安保理決議第2165号を起点とする越境人道支援の是非をめぐっては、シリア政府、ロシアと、欧米諸国の間で当初から鋭い意見の相違があった。

シリア政府とロシアは、欧米諸国が越境人道支援を隠れ蓑として、シャーム解放機構が主導する反体制派を支援し、シリアの主権や領土の一体性を損ねようとしていると批判、その廃止を求めるとともに、シリア北西部への支援は政府支配地から境界経由で行うべきだと訴えた。

これに対して、欧米諸国、そして反体制派は、越境人道支援がなければ、シリア政府の弾圧や戦闘を避けてシリア北西部に逃れてきた440万人とも言われる人々がこれまで以上に深刻な人道危機に晒されると主張する一方、シリア政府経由で人道支援を行えば、バッシャール・アサド大統領や政権幹部の親族らに物資が横領されると喧伝した。

越境人道支援にかかる安保理決議は、両者の対立ゆえに常に失効の危機に晒されてきた。そしてついに、国連安保理決議第2672号の期間終了によってそれは現実のものとなった。

安保理決議は採択されず

7月11日、国連安保理において、同決議の延長を審議するための会合が開かれ、スイスとブラジルが提出した決議案と、ロシアが提出した決議案の採決が行われた。

いずれの決議案もイドリブ県のバーブ・ハワー国境通行所経由での越境での支援の期間の延長を定めたもので、スイス・ブラジル案は当初、延長期間を12ヵ月(2024年7月10日)としていたが、ロシアの反発を回避すべく、9ヵ月(2023年4月10日)に修正された。これに対して、ロシア案は、延長期間を6ヵ月(2023年1月10日)と定めていた。

最初に採決に付されたスイス・ブラジル案は、常任理事国の英米仏と非常任理事国10ヵ国(アルバニア、ブラジル、エクアドル、ガボン、ガーナ、日本、マルタ、モザンビーク、スイス、アラブ首長国連邦)が賛成票を投じたが、中国が棄権、ロシアが拒否権を発動し、廃案となった。

続いて、ロシア案の採決が行われ、ロシアと中国が賛成したが、米英仏が反対、非常任理事国10ヵ国は棄権し、同じく廃案となった。

非難合戦に終始する各国

越境人道支援の失効を受けて、各国国連大使は相変わらずの非難合戦に終始した。

米国のリンダ・トーマス=グリーンフィールド大使は、ロシアの拒否権発動について、「シリア国民と本理事会にとって悲しい瞬間だ」としたうえで、国際社会とシリア国民に対して「不当なことを正当化した」ことについて答えねばならないとロシアを指弾した。

フランスのニコラス・デ=リヴィエール大使は、ロシアの決議案が定める6ヵ月という期間延長が、冬季の支援を不確実なものにすると異論を唱えた。

これに対して、ロシアのワシーリー・ネヴェンジャ国連大使は、西側諸国が提出した決議案について、シリア国民の利益を無視したもので、越境での支援の仕組みを利用して、イドリブ県のテロリストへの支援拡充を狙ったものだと非難、越境での人道支援がなくても、シリア政府との調整を通じて支援は可能だと主張した。

一方、中国の張軍大使は、越境での支援があくまでも暫定的な措置だとしつつ、決議案が否決されたことに遺憾の意を示した。

国連のアントニオ・グテーレス事務総長も声明(SG/SM/21871)を出し、決議案が否決されたことに失望の意を示した。

シリア政府の「英断」

だが、越境人道支援はこれで終わらなかった。

バッサーム・サッバーグ国連シリア代表は7月13日、国連安保理宛の書簡で、シリア政府が、国連安保理決議第2672号の失効に対処するため、国連および関連機関に対して、シリア政府との完全なる協力と連携のもと、6ヵ月という期間限定で、バーブ・ハワー国境通行所を通じた越境人道支援を許可する旨を伝えたことを明らかにしたのだ。

サッバーグ国連代表は記者らを前にこう述べた。

シリア政府は、国連とその関連機関がバーブ・ハワー国境通行所を利用して、シリア北西部で支援を必要としている民間人に対して人道支援を行うことを許可するという主権にかかる決定を行った。これはシリア政府との完全なる協力と連携のもと、7月13日から6ヵ月行われることになる。

国連が加盟国の承認や要請に基づいて、第三国経由で人道支援を行うというごくあたりまえの状態に戻っただけなのだが、シリアをめぐる人道支援は依然として前途多難だ。

シリア北西部を実効支配するシャーム解放機構、そしてそれに与する勢力は、シリア政府経由で支援を受けとることを頑なに拒否してきた。トルコ・シリア大地震以降、欧米諸国を除く世界各国がシリア政府をカウンターパートとする支援を加速させ、アラブ諸国とシリア政府の関係が改善するなかにあっても、境界経由での支援を受け入れることはほとんどなかった。

シリア北西部で困難な生活を余儀なくされ、支援を心待ちにしている一般の人々に寄り添っているとは到底思えない反体制派が、シリア政府の了承のもとに行われることになる越境人道支援にどのような態度を示すかが注目されるところだ。だが、越境人道支援であれ、境界経由の支援であれ、シリア政府の存在を理由に、支援を制限しようとすれば、それはシリア北西部の人々に対して「飢餓作戦」(シリア政府が反体制派の支配地域を封鎖し、屈服させようとした作戦を指す蔑称)を仕掛けていることと何ら変わりない。

一方、シリア政府にとっても、今回の「英断」によって、越境支援にかかる懸念が払拭されたわけではない。シリア北部および東部の国境地帯は、トルコ、あるいはPYDを支援する米国によってそのほとんどが掌握されたままであり、両国は既存の国境通行所や、軍用に設置した(違法な)通行所を経由して、自由に往来できる。シリア政府やロシアが主張する通り、テロリストを支援するための人員や物資、兵站物資がシリア国内に輸送されることもあれば、石油や穀物といった資源が持ち出されることもある。

越境人道支援をめぐる国連での攻防が今後も続けられるかどうかはいまだ不透明ではある。だが、それがどのような結果をもたらしたとしても、それが必ずしもシリアにおける人道危機の解消に資するものではないということだけは確かである。

東京外国語大学 教授

1968年東京生まれ。東京外国語大学教授。東京外国語大学卒。一橋大学大学院にて博士号取得。シリア地震被災者支援キャンペーン「サダーカ・イニシアチブ」(https://sites.google.com/view/sadaqainitiative70)代表。シリアのダマスカス・フランス・アラブ研究所共同研究員、JETROアジア経済研究所研究員を経て現職。専門は現代東アラブ地域の政治、思想、歴史。著書に『混迷するシリア』、『シリア情勢』、『膠着するシリア』、『ロシアとシリア』などがある。ウェブサイト「シリア・アラブの春顛末記」(http://syriaarabspring.info/)を運営。

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