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イスラーム国との戦いが終わったシリアで目につく米国の不可解な行動

青山弘之東京外国語大学 教授
(写真:Shutterstock/アフロ)

 イスラーム国との戦いが事実上終結したシリアで、米国の不可解な行動が目につくようになっている。「新シリア軍」なる武装集団創設に向けた計画、ロシア軍戦闘機への実弾警告射撃がそれだ。

テロ組織に吸収された「新シリア軍」の前身

 米国はこれまで度々「新シリア軍」を名のる武装集団の創出を画策してきた。その起点となったのが、バラク・オバマ前政権下の2015年1月に、国防総省が始動した「穏健な反体制派」支援策だ。このとき、国防総省は、3年間で15,000人のシリア人戦闘員をトルコで教練し、イスラーム国との戦いに投入することを決定、5億米ドルの予算を確保した。

 だが、同年半ばまでに教練プログラムを修了したのは100~200人程度に過ぎなかった。アル=カーイダ系のシャームの民のヌスラ戦線をはじめとするイスラーム過激派に与さない戦闘員を選別すること、そして彼らをイスラーム国との戦いに専念させ、シリア政府打倒という目標を放棄させることに難航したのが、理由だった。

 教練を終えた数少ない戦闘員は「第30歩兵師団」として編成され、シリア国内に送り込まれた。だが、その先発隊は、ヌスラ戦線の襲撃を受けて壊滅的打撃を受け、2次隊は、シリア国内での移動の安全を確保するため、このヌスラ戦線に武器弾薬を譲渡してしまった。こうした事態を受け、国防総省は10月、「重大な欠陥」があるとしてプログラムを廃止した。

イランに対峙しようとした「新シリア軍」

 オバマ前政権は懲りなかった。2015年11年、今度は、イラク・ヨルダン国境地帯で別の武装集団を結成させた。これが「新シリア軍」だ。

 ヨルダン北東部のラクバーン難民キャンプ一帯で教練を受けた「新シリア軍」は、2016年3月、米英軍の支援を受け、タンフ国境通行所(ヒムス県)一帯に進攻し、同地を制圧した。しかし、この組織の中核をなしていた「アサーラ・ワ・タンミヤ戦線」は、ダマスカス郊外県でのシリア軍との戦闘で、ヌスラ戦線やシャーム自由人イスラーム運動と共闘していた。つまり、「新シリア軍」の戦果は、イスラーム国に対する「テロとの戦いのため、ヌスラ戦線という別のテロ組織を支援するというマッチポンプを米国が黙認することで、初めて可能となったのだ。

 しかも、タンフ国境通行所の確保は、イスラーム国弱体化というより、むしろイランの勢力拡大の阻止を狙ったものだった。なぜなら、シリアの首都ダマスカスとイラクの首都バグダードを繋ぐ国際幹線道路上に位置する同通行所が、シリア政府側によって掌握されれば、イラン、イラクの首都バグダードを経由してシリアの首都ダマスカスに至る陸路が確保され、シリア、さらにはレバノンのヒズブッラーへのイランの支援がさらに増大することが懸念されたからだ。

 この懸念は、2017年6月にシリア軍、ヒズブッラー、イラン・イスラーム革命防衛隊の支援を受けるアフガン人民兵が、タンフ国境通行所北東部の対イラク国境に到達したことで現実のものとなり、以後、米国(そしてイスラエル)はシリア南東部へのイランの影響力拡大を阻止するために腐心するようになった。

 なお、タンフ国境通行所は現在も有志連合によって不法に占拠されたままだ。だが、有志連合と共闘していた「新シリア軍」はその後、離合集散を繰り返すなかで消滅した。「新シリア軍」に参加していた武装集団は、「自由シリア軍砂漠諸派」、「ハマード浄化のために我らは馬具を備えし作戦司令室」などの名で共闘を続け、その一部は2017年9月以降、ダイル・ザウル県東部でイスラーム国に対する掃討作戦を行う西クルディスタン移行期民政局(ロジャヴァ)人民防衛部隊(YPG)主体のシリア民主軍に合流した。

「新シリア軍」再登場か?

 イスラーム国が消滅すれば、「新シリア軍」もお役御免になるはずだった。だが、シリア駐留ロシア軍司令部所属の当事者和解調整センターは12月16日、米特殊部隊がイスラーム国の戦闘員を教練し、「新シリア軍」の名で新たな武装集団を結成する計画を進めていると発表した。

 同センターによると、米特殊部隊は、約半年前にロジャヴァ支配下のハサカ県内の避難民キャンプ近くに教練施設を設置し、戦闘員の教練を開始したという。同地に駐留する米軍は、住民に対して、教練を終えた戦闘員をシリア南部でのイスラーム国との戦いに投入すると説明していた。だが、複数の目撃者によると、教練施設にいる戦闘員700人のうち約400人は、ラッカ市で活動していたイスラーム国の戦闘員なのだという。

 10月にシリア民主軍がラッカ市を完全制圧する直前に、同地で籠城していたイスラーム国戦闘員多数が忽然と姿を消したことは、広く知られている。BBCは、多数の旅客バスがイスラーム国の戦闘員数百人を乗せてラッカ市からトルコに向かったと報じ、トルコ政府も、米国がイスラーム国の戦闘員を逃がしたと非難した。

 イスラーム国の戦闘員を主体とする「新シリア軍」の存在、そして米国とイスラーム国の密接な関係が事実かどうかは、今のところ分からない。だが、米国の不振行動はこれに限られなかった。

脅かされる米国のプレゼンス

 イスラーム国に対して「テロとの戦い」を行ってきた主要な当時者は、最近になって次々と勝利宣言を行っていった。

 シリア民主軍は12月3日、シリア駐留ロシア軍とともに、ダイル・ザウル県ユーフラテス川左岸(東岸)をイスラーム国から完全解放したと宣言した。イラクのハイダル・アバーディー首相も9日、対シリア国境を完全制圧し、イスラーム国との戦いが終わったと発表した。

 さらに11日には、ロシアのヴラジミール・プーチン大統領がフマイミーム航空基地(ラタキア県)を電撃訪問し、バッシャール・アサド大統領も同席した観閲式で、イスラーム国に勝利したと宣言、駐留部隊に部分撤退を指示した。

 こうしたなか、米国は、ドナルド・トランプ大統領が、プーチン大統領の勝利宣言に対抗するかのように12日、「我々はシリアで勝利した。また我々はイラクで勝利した」と発表した。だが、国家安全保障会議(NSC)報道官は13日、トランプ大統領ではなく、プーチン大統領の勝利宣言を時期尚早と指摘、シリアでの「テロとの戦い」継続に含みを持たせた。

 この両義的な姿勢は、すぐさまかたちとして現れた。

 12月13日、米軍戦闘機が、ダイル・ザウル県ブーカマール市郊外のユーフラテス川左岸上空に飛来したロシア軍戦闘機に対して実弾警告射撃を行ったのだ。それだけではなかった。同日には、米主導の有志連合が、ユーフラテス川左岸の東ジャルズィー村を爆撃し、民間人20人あまりを殺害した。さらに翌14日、有志連合は、タンフ国境通行所一帯で「自由シリア軍砂漠諸派」を構成する「革命特殊任務軍」が13日にイスラーム国戦闘員20人以上を殲滅、外国人を含む多数の戦闘員を拘束した、と突如発表した。

 ジェームズ・マティス米国防長官は16日、ロシア軍戦闘機への実現警告射撃に関して、再発防止に向けてロシア軍との調整を続けるとしつつ、「シリア領空へのロシア軍機の飛来は安全でなく危険」と警告した。

 しかし、「安全でなく危険」に曝されているのは、シリアにおける米国のプレゼンスだ。ロシアに対する不意の威嚇、そして終わったはずの「テロとの戦い」に専心する「フリ」は、イスラーム国なくしては対シリア干渉政策を継続し得ない米国の苦悩を示しているのである。

東京外国語大学 教授

1968年東京生まれ。東京外国語大学教授。東京外国語大学卒。一橋大学大学院にて博士号取得。シリア地震被災者支援キャンペーン「サダーカ・イニシアチブ」(https://sites.google.com/view/sadaqainitiative70)代表。シリアのダマスカス・フランス・アラブ研究所共同研究員、JETROアジア経済研究所研究員を経て現職。専門は現代東アラブ地域の政治、思想、歴史。著書に『混迷するシリア』、『シリア情勢』、『膠着するシリア』、『ロシアとシリア』などがある。ウェブサイト「シリア・アラブの春顛末記」(http://syriaarabspring.info/)を運営。

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