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平成を代表する料理研究家は誰?

阿古真理作家・生活史研究家
一世を風靡した2人の料理研究家の代表作(筆者撮影)

 バブル経済のピークに幕を開けた平成は、外食が日常化し、グルメ化が進んだ30年だった。食の安心・安全財団の調査による食の外部化率、つまり外食と、持ち帰り弁当などの総菜を指す中食を合わせた割合は、1975年以降急上昇し、平成に入って4割を超え続けている。それは、日々の食事が主婦の手作りとは限らなくなったという意味だ。働く女性が増え、シングルの男女も珍しくなくなった。ライフスタイルの多様化で、食べ方も、食べるものも、多様化していく時代だったのである。

 今、都会では多種多様な飲食店が立ち並んでいる。居酒屋、定食屋、ラーメン屋、カレー屋。高級割烹、フレンチ、イタリアン。中華、インド料理、タイ料理、ブラジル料理など、世界各地の料理から店を選ぶこともできる。郷土料理のバリエーションも豊富。カフェなどジャンルに縛られない料理を提供する店もある。デパ地下へ行けば、日本料理店から洋食、中華など多彩な総菜が並ぶ。

 そんな時代に家庭料理を提案する料理研究家は、大変だ。また、1998(平成10)年にはクックパッド、2005(平成17)年にはレシピブログがサービスを始めている。既存のメディアで仕事する料理研究家は、外食・中食に加え、WEBメディアとも戦わなければならない

 厳しい競争の時代に、光る提案をしてファンを集めた料理研究家はたくさんいる。だからむしろ、平成はレシピ文化の爛熟期だったかもしれない。そこで今回は平成の料理研究家史をたどることで、レシピ文化の30年間を考えてみたい。

時短料理で革命を起こした小林カツ代

 以前の記事平成のレシピは時短で始まり、時短で終わるで書いたように、平成の30年間ではっきりと「進化した」、と言える家庭料理のジャンルは時短である。

 代表的な料理研究家が、小林カツ代だ。1980(昭和55)年に、『小林カツ代のらくらくクッキング』(文化出版局)を出して脚光を浴びた彼女はその後、さまざまなメディアで引っ張りだこになり、1994(平成6)年に料理対決を売りにしたテレビ番組『料理の鉄人』(フジテレビ系)に出演して、鉄人の陳健一に勝利。男性メディアでも知られる存在になった彼女は、『AERA』の「現代の肖像」にも、1996年に登場している。

 残念ながら、小林は2005年8月にくも膜下出血で倒れてメディアの表舞台から姿を消し、2014年1月に亡くなった。しかし本は売れ続け、再編集したレシピ本などが出版され、人気を集めている。拙書『小林カツ代と栗原はるみ』(新潮新書)でくわしく書いたが、彼女は時短で家庭料理に革命を起こしたのである。

ライフスタイルを提案、社会現象になった栗原はるみ

 働く人たちを中心に支持を集めた小林に対し、まず同年代の団塊世代の主婦たちから熱狂的な支持を集めたのが、栗原はるみである。ミリオンセラーを記録した『ごちそうさまが、ききたくて。』(文化出版局)は、1992年の発売。現在も新刊書店に並ぶロングセラーでもある。

 1990年代、当時の栗原がしていたソバージュヘアにし、トレードマークのボーダーのTシャツを着た「ハルラー」と呼ばれる主婦が町にあふれた。

 それまで、料理研究家が提案するのはあくまでレシピだった。しかし、栗原は『ごちそうさまが、ききたくて。』で、自分の食器を使い、自宅のキッチンも公開している。そして家族のために作ってきた料理のレシピを提供した。料理にまつわる思い出も書いてある。自伝のような、エッセイ集のようなレシピ本を通して、栗原は料理を楽しむライフスタイルまで提案してみせた。

 栗原のレシピは、再現性の高さでも信頼されている。『AERA』「現代の肖像」にも登場したほか、その道のプロを紹介するNHKのドキュメンタリー番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』にも2011年に出演している。番組内で、鍋の種類やキッチンの条件などが違っても確実に再現できるレシピを考案するため、試作を何十回とくり返す姿が放送されている。

 女性たちの暮らしに影響を与えた小林カツ代と栗原はるみは、平成を代表する料理研究家の筆頭と言えるだろう。

外食時代ならではの一工夫あるレシピ――山本麗子、松田美智子……。

 栗原は、社会現象のような存在になった2000年頃、「カリスマ主婦」と呼ばれている。レシピを提案するプロであるにもかかわらず、「主婦」とされたのだ。

 主婦は家事・育児で家族を支える、ある種のプロフェッショナルとも言える人たちだが、いわゆるプロとは異なるため、お金をもらう職業より下に見られる傾向がある。「カリスマ主婦」という言葉には、プロの仕事人より低い存在というニュアンスが感じられる。

 同じく、カリスマ主婦扱いされた料理研究家の一人に、山本麗子がいる。有名になった1990年代にはすでに離婚していたから、本当は主婦ではなかった。食堂を営む両親のもとで育った山本。とんかつではなく「ラムチョップのパン粉焼き」など、多彩な料理を食べてきた経験に基づくおしゃれなレシピを提案する。NHKの『きょうの料理』では、くり返し「山本麗子さんの」と銘打った特集を組んでいる。

 カリスマ主婦より一世代下の松田美智子も、洗練されていて分かりやすいレシピを提案する。プライベートを公開しない方針の彼女は、2009年にプロフェッショナルに密着するドキュメンタリー番組、『ソロモン流』(テレビ東京系)に出演したときも、家族を出さなかった。ケータリングでデビューし、テーブルコーディネーターの肩書も持つ。企業のメニュー開発、キッチンブランドの監修など幅広い分野で活躍する。

 『きょうの料理』2016年9月号では「松田美智子の和食スタイル」という特集で、フライパンで焼きつけてから煮る「さばのみそ煮」など、現代の味覚に合わせた一工夫を提案している

 簡単でおいしいレシピを数多く提案しているのは、松田美智子と同じ1955年生まれの浜内千波だ。短大の栄養科を出た後、証券会社を経て料理の道に進んだ経歴を持つ。企業の食品開発に関わり、キッチン用品を提案するなど多彩な仕事を展開する点は松田と同じである。

 私は外食・中食に加え、冷凍食品などの加工食品も入れて外注料理と呼んでいる。外注料理のプロの味の中には、料理研究家たちが考案したレシピに基づくものも含まれている。外注料理が家庭料理と変わらない比重を持つようになった現在、私たちをひきつける味は、作ることも買うこともできるようになっている。

これからの時代、切実に求められるレシピは?

 昭和の料理研究家が求められたのは、今晩の献立を考えるヒントを提供することであり、外国料理など一般の人が食べたことがない料理を教えることだった。外食が日常でなかったこの時代は、未知の料理は作ることが体験の早道だったからである。しかし、平成には多忙で、外食慣れした人たちが対象である。当然、レシピへの要求も変化している

 外注料理が日常化したことにより、家で料理する人たちが、外注料理を基準にするようになったように見える。2000年代になって、「味が決まらない」悩みをあちこちで聞くようになったからだ。

 『きょうの料理』でも、2000年9月に『村田吉弘の割合で覚える和の基本』が大ヒットし、京都の料理人、村田はその後も調味料の割合を教えるシリーズを行っている。味つけから教わりたい人が多いのは、多彩な料理を体験する機会が増え、家庭で培ってきた自分の味覚ではなく、レシピや外注料理など外にある味を正しいと考える人が増えたためと思われる。

 レシピに正解を求める人が増えた2017年、あえて異色のノウハウ料理本、『レシピを見ないで作れるようになりましょう。』(SBクリエイティブ)を出したのが、ベテランの有元葉子だ。

 旧満州で生まれた有元は、福島県の老舗醸造元に生まれた父と、料理上手な母の間で育った。1996年に『わたしのベトナム料理』(柴田書店)を出して、ベトナム料理ブームを先導するなど、常に先端を行くレシピを提案してきた人である。その彼女が、あえてレシピに頼らずシンプルにおいしい料理を作れるようになるコツを伝えようとしている。目移りするほど情報過多な時代だからこそ、まず自分自身が何をおいしいと思い何を作りたいのか、私たちは基本に立ち戻る必要があるのかもしれない

有元葉子の『わたしのベトナム料理』と、料理レシピ本大賞in Japan2018の料理部門にも入賞した『レシピを見ないで作れるようになりましょう。』(筆者撮影)
有元葉子の『わたしのベトナム料理』と、料理レシピ本大賞in Japan2018の料理部門にも入賞した『レシピを見ないで作れるようになりましょう。』(筆者撮影)
作家・生活史研究家

1968年兵庫県生まれ。広告制作会社を経て、1999年より東京に拠点を移し取材・執筆を中心に活動。食を中心にした暮らしの歴史・ジェンダー、写真などをテーマに執筆。主な著書に『家事は大変って気づきましたか?』・『日本外食全史』(共に亜紀書房)、『ラクしておいしい令和のごはん革命』(主婦の友社)、『平成・令和食ブーム総ざらい』(集英社インターナショナル)、『料理は女の義務ですか』・『小林カツ代と栗原はるみ』(共に新潮新書)、『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか』(NHK出版新書)、『昭和の洋食 平成のカフェ飯』(ちくま文庫)、『母と娘はなぜ対立するのか』(筑摩書房)など。

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