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家父長的な考え方を問い直すエストニアのサウナ映画

鐙麻樹北欧・国際比較文化ジャーナリスト|ノルウェー国際報道協会役員
AS Fidalgo/Ants Tammik, Alexandra Film

森の真ん中にある木製サウナで、女性たちが出会い、それぞれの体験や個人的な話を共有する。

エストニア・アイスランド・フランスの共同ドキュメンタリー映画『SMOKE SAUNA SISTERHOOD』は、これまでとは全く違うサウナ映画体験を提供してくれるだろう。

想像以上の「フェミニズム映画」でもあり、サウナの中で、女性たちは自らの過去をぽつりぽつりと語り始める。

虐待、同性愛、性的欲望、恥、秘密、涙。サウナと大自然という空間で、神秘的なスピリチュアル文化が残るエストニアという舞台だからこそ、女性たちは自らを慰め合い、支え合い、過去を浄化させ、前に進むことができる。

そんな個人の体験が映画という形で世界中に公開される。鑑賞していると、辛い体験を公にする勇気があった女性たちにも感謝の心が芽生えてくるだろう。

Anna Hints監督の優しいカメラ目線だからこそ、女性たちの「連帯」「シスターフッド」がサウナ文化を通して伝わってくる。多くの女性を勇気づける映画であると同時に、男性にも見てもらいたい作品だ。感情を露わにしにくい「男性性」を背負っている人ほど、心に響くものがあるのではないだろうか。

筆者が住むノルウェーでもサウナ文化が今急成長で育まれているが、フィンランドやエストニアほどサウナは「伝統」という形では市民生活に根付いてこなかった。だからこそ、サウナで女性たちが解放され、サウナがシスターフッドの空間であり、霊的な場でもあるエストニアのサウナ文化からは大きなカルチャーショックを受ける。

首都オスロの映画上映ではAnna Hints監督が訪れ、ノルウェーの観客と長話をしながら楽しい時間が過ぎた。監督のおおらかで、おしゃべりが大好きなパーソナリティはすぐに来場者にも伝わり、トークショー後も彼女と話したいという人が列をなしていた。トークショーの後に時間をもらい、筆者は監督から話を聞いた。

エストニア南部のスピリチュアリティが癒す女性の苦しみ

AS Fidalgo/Ants Tammik, Alexandra Film
AS Fidalgo/Ants Tammik, Alexandra Film

映画に登場した女性たちは、痛み、恥、フラストレーション、怒りという感情の全てをサウナで解き放ったと監督は語る。

映画に出てくるスピリチュアルな精神性は「エストニア南部特有」のもので、エストニア全体のサウナ文化がこれほどスピリチュアルなわけでもなく、エストニア人全員がサウナを愛しているわけでもないということに、監督は念を押した。

2014年、南エストニアのVõromaa(ヴォルマー)地方の伝統的スモークサウナがユネスコ無形文化遺産に登録されたが、まさにこの地域のサウナ文化が映画には登場する。南部のサウナ文化には先住民やスピリチュアリティの文化が継承されており、監督自身も先住民の子孫だ。「スピリチュアリティは自然と深く結びついている」と監督が話すように、森や氷といった自然は常にセットの要素である。

「エストニアにもサウナはいろいろありますが、スモークサウナや煙は中でも特に神聖なものなのです。サウナに入る前に脱ぐのは衣服だけではなく、感情的な曇りや、自分自身を覆い隠したり、自分自身について持っている概念も脱ぎます。このようなものをすべてを取り去ることができる場所なんです」

だからこそスモークサウナにまつわるスピリチュアリティを理解することが大切だと監督は続ける。

AS Fidalgo/Ants Tammik, Alexandra Film
AS Fidalgo/Ants Tammik, Alexandra Film

「サウナは自然と深いつながりがあります。自然には魂が宿っていて、私たちは自然の一部なのです。私たちは自然を支配するためにここにいるのではありません。私たちは自然の一部であり、自然界のさまざまな精霊と対話することができます。火に助けを求める。石に助けを求める。そして、特別な歌や癒しの機会でもあるのです」

「晩秋はずっと魂の時期で、魂が私たちを訪ねてくると信じられているし、魂のために特別なスモークサウナも作られています。スモークサウナで出産することを止めていた時期もありましたが、今ではまたスモークゾーンで出産したいという若い女性もいます」

サウナの「熱さ」には凍っていた「苦しみ」を「溶かす」働きがあると監督は語った。

「水などの自然要素と言葉には癒しの力があると信じられています。私たちの中には『トラウマ』という、凍った水のような氷があり、暗い冬にはその存在を特に感じます。あたたかさにはそのトラウマの氷を溶かす力があるのです」

「エストニア南部ではまだこのように信じられていますが、映画が上映されて以降、エストニアの他の地域の人々からは『このようなスピリチュアリティ文化は私の地域では失われてしまった』と言う人もいます」。

だからこそ監督は、ユネスコ無形文化遺産に登録されたことで、南部のサウナ文化が消えないことを祈っている。

男性的な視線の性的な映画にしないために

娘(左)とプロデューサー(中央)と共に映画で使用された曲を披露した監督(右) 筆者撮影
娘(左)とプロデューサー(中央)と共に映画で使用された曲を披露した監督(右) 筆者撮影

映画では女性たちの裸が常に映り、性的興奮、セックス、異性愛、同性愛などセクシュアルなシーンや話が続く。

「スモーク・サウナには裸の女性の体があり、その裸は性的なものではないにも関わらず、私たち女性の身体は、社会の中でとてもセクシュアルに扱われています。だから、男性的な視線にならないようにするにはどうしたらいいかを強く意識しました」と監督は話した。

撮影に参加する女性たちが「安心して参加できるようにも」配慮し、関係者と過ごす時間と人間関係を常に優先してきた。ある程度時間が過ぎてから、出演を決める人、顔出しを許可する人もいたという。

サウナという広いとは言えない空間で、監督のあたたかく優しい人柄があったからこそ、この映画ができたことは筆者も感じた。

性的暴行の過去、バイセクシュアルであることを周囲に打ち明ける葛藤、女性が好きだということに気が付いた自分自身への驚きなど、ドキュメンタリー映画で語られるストーリーは実話だ。

監督に撮影される安心感がなければ、ここまで感情を露わにすることはできなかっただろうと、まさにサウナの中にいる撮影チームと出演者たちの間でも「シスターフッド」が育まれているのだと感じた。

家父長的なマインドセットは全ての人を苦しめる

「驚くほどフェミニズム要素がある映画でした」と筆者が感想を伝えると、監督はこう話した。

「そもそもフェミニズムとは何か?フェミニズムの核心とは何なのか。私は、フェミニズムとは女性に声を与え、話に耳を傾け、その声を尊重する場を提供することだと感じています」

「エストニアでは、フェミニズムという言葉を怖がる人もいます。フェミニズムは男性を憎んでいるとか、そういう意味だと思われています。問題は家父長的な考え方なのです。これは性別にとどまりません。私の映画の中にも、家父長的な視線を娘たちに向ける母親たちの話が出ました。マインドセットが問題なのです。性別が何であれ、男性も誰もがそのせいで苦しんでいます。だから私は、誰かが人権を尊重して、人権が重要だと言うとき、その人はフェミニストだと思っています」

日本ではまだ公開未定だそうだが、サウナブームが起きていて、同時に家父長制のマインドセットが根深い日本だからこそ、ぜひ公開されてほしいと思う映画だ。

北欧・国際比較文化ジャーナリスト|ノルウェー国際報道協会役員

あぶみあさき。オスロ在ノルウェー・フィンランド・デンマーク・スウェーデン・アイスランド情報発信15年目。写真家。上智大学フランス語学科卒、オスロ大学大学院メディア学修士課程修了(副専攻:ジェンダー平等学)。2022年 同大学院サマースクール「北欧のジェンダー平等」修了。ノルウェー国際報道協会 理事会役員。多言語学習者/ポリグロット(8か国語)。ノルウェー政府の産業推進機関イノベーション・ノルウェーより活動実績表彰。著書『北欧の幸せな社会のつくり方: 10代からの政治と選挙』『ハイヒールを履かない女たち: 北欧・ジェンダー平等先進国の現場から』SNS、note @asakikiki

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