Yahoo!ニュース

この夏が「キュウリの時期」で終わることを祈りながら、悲しい出来事の可能性に備えるノルウェー市民

鐙麻樹北欧・国際比較文化ジャーナリスト|ノルウェー国際報道協会役員
ノルウェーで夏休みが「キュウリ」と言われる背景とは(写真:イメージマート)

6月13日、私はノルウェー・ジャーナリスト協会の「危機・事故現場ジャーナリズム」の勉強会に出席していた。北欧社会が夏休みに入る直前に開催されるのには理由がある。

  • 「キュウリの時期」に突入
  • タブーであり続けた報道関係者のメンタルヘルス
  • テロや事故現場にいる市民や救命処置をする関係者への対応を、常に反省しアップデートする必要がある

火事現場でどのような写真がニュースで使用可能で、どのような写真にリスクがあるかを説明する新聞記者 筆者撮影
火事現場でどのような写真がニュースで使用可能で、どのような写真にリスクがあるかを説明する新聞記者 筆者撮影

「キュウリの時期」とは何か

夏休み、イースター、クリスマスなど、社会全体が長期休暇に入る時期はノルウェーでは「キュウリの時期」と言われている。そう、緑色の野菜のキュウリのことだ。

キュウリの時期になると、大人も夏休みをしっかりとる。つまり、首相、議員、企業のトップ、団体などもみんな「しっかり休んで疲労回復をする」。

結果、何が起こるかというと、国会は静かになり、「社会議論を活発化させる定番の権力者や問題提起をする人たちが、一斉にお休みモード」になる。

日本のように「芸能人」があまりいない国なので、ニュースを盛り上げるのは政治家だ。

話題を提供する人たちだけではなく、報道機関の正社員たちもお休みする。この期間には若い学生ジャーナリストなど、外部の人がアルバイト・短期雇用として雇われて、ニュースネタを探し発信する。

しかし、議論を起こすキーパーソンたちがお休み中なので、ネタ探しに困る。

結果、恋愛ネタなど「いつ掲載してもいいような」「普段なら掲載されないであろう」「どうでもいい」記事が続出する。この現象が「キュウリの時期」と呼ばれている。

なぜキュウリなのかは複数の説があるが、記事ネタに困っている若い記者に「スーパーでの野菜の店頭価格を調査してこい」という指示が出たからだとも言われている。アイスクリームなどの物価比較はキュウリの時期おなじみだ。

「キュウリの時期」は平和であったことの証拠

さて、「キュウリの時期」は「キュウリの時期」で終わったほうがいい。

「いつもと同じキュウリの時期」だったということは、「社会が平和であった」ということだ。

だが、残念なことに、キュウリの時期に悲しい事件が起こることが増えてきた。

2011年7月のノルウェー連続テロ事件は77人の命を奪い、それからのノルウェー社会を変えてしまった。市民が夏休みをとっている時期に、労働党青年部の夏合宿を狙った事件は、平和な夏休みを破壊。休暇を取っていた記者や医療関係者など、多くの人がバカンス先から急遽戻り、対応に追われた。

その時にニュースをカバーしていたジャーナリストの多くは、まだ経験が浅い、夏休み限定で雇用されていた若い世代だった。長い経験があるジャーナリストや編集長でさえ、テロ報道に関わったことでメンタルヘルスを崩した事件だ。これほどのレベルのテロの報道に慣れていない人が当時は多く、メディア対応訓練を受けているはずの当時の首相や政治家も動揺していた。

その後メンタルヘルスが悪化したジャーナリストが続出したことはノルウェーのメディア業界の反省点となった。

またテロの被害者や遺族と話し合い、どのような報道に違和感を感じるかなどの調査や反省もしているため、改善点は毎年更新されている。

そのため、今は毎年夏休み前になるとノルウェージャーナリスト協会は危機報道におけるセミナーを開催して情報共有をしている。

「警報が鳴っている。どうするか?」「自分の脈が上がるからまずは呼吸を」「待つ理由はない」「デスクから情報をもらう」「現場までの移動方法は?」を経験豊富な記者、フォトグラファー、編集長が話す 筆撮影
「警報が鳴っている。どうするか?」「自分の脈が上がるからまずは呼吸を」「待つ理由はない」「デスクから情報をもらう」「現場までの移動方法は?」を経験豊富な記者、フォトグラファー、編集長が話す 筆撮影

警察・消防署・大学病院の代表は、「メディア対応をする現場リーダーの制服の色はこれだから覚えて」など、「守秘義務があり、この範囲は私たちは答えられるが、答えられない内容はこれ」「こういうことをされると困る」などを説明。

新聞社やテレビ局は危機報道をする際に役立つことなどをアドバイスし、フォトグラファーは火事現場などを撮影する上での注意点や学びなどを共有した。

消防署、警察報、救急隊、大学病院からは報道関係者の窓口となる人々が来て、どうすれば互いに協力しあっていけるかを話した 筆者撮影
消防署、警察報、救急隊、大学病院からは報道関係者の窓口となる人々が来て、どうすれば互いに協力しあっていけるかを話した 筆者撮影

報道関係者のメンタルヘルスはタブーであり続けた

「ジャーナリストは自分の感情をさらけだす」ことが苦手な傾向にあること、報道に携わる人のメンタルヘルスは長年業界ではタブーだったことも反省されている。

「誰かの苦しみや痛みを取材していたら、ジャーナリスト自身もそのことを考えられることを止められなかったり、悪夢を見たり、『自分は弱いのか、この仕事に向いていないのか』と戸惑う人がいる。現場から影響を受けるのは、人として普通の反応だ」ということを周知する姿勢が今は強い。

約5時間ほどの集中講座だったが、著者自身も学びや発見が多かった。その日の夜に事故現場からの記事を読むと、以前よりも深掘りしてニュースを追うことができて驚いた。

キュウリの夏で終わることを祈りながら

残念なことに、昨年の夏も多様性のある性を祝うプライド期間に、首都オスロではテロが発生。今年のプライド期間も狙われる可能性が高いと、現地では警報が発せられている。

テロ以降、「何かが起こる可能性はある」と、政治家、医療従事者、報道陣などは休暇の時期も備えている。

この夏が「いつも通りのキュウリの時期」で終わることを祈りながら。

Text: Asaki Abumi

北欧・国際比較文化ジャーナリスト|ノルウェー国際報道協会役員

あぶみあさき。オスロ在ノルウェー・フィンランド・デンマーク・スウェーデン・アイスランド情報発信15年目。写真家。上智大学フランス語学科卒、オスロ大学大学院メディア学修士課程修了(副専攻:ジェンダー平等学)。2022年 同大学院サマースクール「北欧のジェンダー平等」修了。ノルウェー国際報道協会 理事会役員。多言語学習者/ポリグロット(8か国語)。ノルウェー政府の産業推進機関イノベーション・ノルウェーより活動実績表彰。著書『北欧の幸せな社会のつくり方: 10代からの政治と選挙』『ハイヒールを履かない女たち: 北欧・ジェンダー平等先進国の現場から』SNS、note @asakikiki

鐙麻樹の最近の記事