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NY地下鉄ホームレス殺害起訴されず。息の根止める危険な技「チョークホールド」とは?

安部かすみニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者
「黒人のジョーダン・ニーリーを殺したのは誰だ?」と書かれたNYの地下鉄。(写真:ロイター/アフロ)

ニューヨークの地下鉄で今月1日、黒人男性が乗客に首元を圧迫され殺された。その時の様子を映し出した動画がSNSで拡散され、物議を醸している。

ホームレスのジョーダン・ニーリー(Jordan Neely)さん(30歳)は、路上でマイケル・ジャクソンのモノマネ・パフォーマンスをし生計を立てていたが、精神疾患を患い、家賃が高騰した市内でホームレスの身だった。

同日午後2時半前、ニーリーさんは地下鉄F線で迷惑行為を始めたとされる。当地では物乞いをするホームレスや喚き散らす不審者がたまにいる。コロナ禍以降、地下鉄での凶悪事件が急増しているため、警官が目を光らせ乗客も少しの異変に敏感になる。

ニーリーさんはこの日、電車内で大声で空腹を訴え、「自分は死んでもいい」と言いながら乗り合わせた人々を脅し始めたという目撃情報がある。それを止めに入ったのが、24歳の白人男性、ダニエル・ペニー氏だった。ペニー氏はニーリーさんの背後から腕で首を圧迫させる「チョークホールド」を加えた。ニーリーさんは次第に意識を失い、病院で死亡が確認された。ガタイが良いペニー氏は、21年に一時除隊するまでの5年間、米海軍に所属していた。

SNSで拡散された動画では、首元をしばらく圧迫されたニーリーさんの死にゆく様子が映し出されている。男3人がかりで拘束され手足を動かしながら抵抗を見せていた。次第に目を閉じ、ほとんど力が残っていなかったようだがペニー氏は最後まで手を緩めていない。このような動画が拡散され、遺族にとってたまったものではない。

ニーリーさんの母親は2007年に殺人事件の被害者となりすでに他界。ニーリーさんの精神は母親の殺害後に乱れたという情報もあり、これまで薬物乱用や暴行罪など数々の逮捕歴があった。

この殺人事件は、アメリカそしてニューヨークが抱えるさまざまな問題を炙り出した。

一つは、地下鉄で多発する事件

一つは、増え続けるホームレス問題

  • コロナ禍以降ホームレスが急増。市はシェルター制度など支援プログラムを稼働させているがあまり機能していない

一つは、増え続ける精神疾患患者の問題

一つは、黒人への暴力

  • 黒人が奴隷としてアフリカから連れてこられた約400年前から継続する問題

一つは、(社会的弱い立場の)人間の正義

  • 人を殺めても不起訴のケースがある

そして、チョークホールド。

チョークホールドとは?

チョークホールドとは、相手の背後から腕を使って首元を圧迫する技で、プロレス技のヘッドロックに似ている。頚動脈をふさぐ非常に危険な技で、首絞め、絞め技、裸絞め、スリーパーホールドなどとも呼ばれる。かけられた相手は息ができず、次第に意識がなくなる。ニューヨーク州では2020年の警察改革で、警官であってもチョークホールドを加えることは禁じられるようになった(後述)。

ニーリーさんの死亡事件で、加害者が行ったのはまさにチョークホールドだった。加害者は一時期海軍に所属し、その間2度戦地に赴いたことがある。そのような経験があれば弱々しいホームレスを相手にどの程度の力を加えると死に至るかは知っていたはずである。

ニューヨークタイムズも「ニーリー氏の死はあってはならない悲劇であり、もっとも弱く社会から阻害されている立場の市民に対して、市の政策が不十分であることを浮き彫りにした」と問題提起した。

ニューヨークは、黒人男性へのチョークホールドで死に至った事件のトラウマがある。9年前のエリック・ガーナー窒息死事件だ。ミネアポリスの白人警官が膝で首を押さえ殺害したジョージ・フロイド氏の殺人事件を発端にした2020年のBLM運動の前兆とも言える大事件だった。

エリック・ガーナーさんの事件は、ニューヨーク市スタテン島で2014年7月17日に発生。43歳の黒人男性、ガーナーさんが警察と押し問答の末、白人のダニエル・パンタレオ警官にチョークホールドされ、「I can't breathe(息ができない)」と何度も訴えながら死んだ。

パンタレオ氏は不起訴となり、ガーナーさんの死の正義のため市内で抗議活動が起こった。パンタレオ氏はその後、NYPD(ニューヨーク市警察)を解雇処分となったのだが、ガーナーさんの死の5年後、2019年8月19日のことだった。

事件自体は、遺族が市を相手に訴訟を起こし、賠償金590万ドル(現在の為替で約8億円)の支払いで和解した。ガーナーさんの死が引き金となり、20年にはニューヨーク州の警官に対してチョークホールドを禁ずる、エリック・ガーナー・アンチ-チョークホールド法(Eric Garner Anti-Chokehold Act)が可決された。

今回ニーリーさんを殺害した加害者のペニー氏は、一時的に拘留され警察の事情聴取を受けたが、自衛と認められ逃亡の危険性もないことから同日釈放されている。起訴はされておらず、地方検事により捜査が進められているが、今後起訴されるかどうかも不明だ。

ニーリーさんの死の説明責任そして正義のため、当地では再びデモが起こっている。一方で、ニーリーさんが問題行動を起こしていたことから、市民の中にはペニー氏に同情し擁護する声も上がっている。

(Text by Kasumi Abe)無断転載禁止

ニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者

米国務省外国記者組織所属のジャーナリスト。雑誌、ラジオ、テレビ、オンラインメディアを通し、米最新事情やトレンドを「現地発」で届けている。日本の出版社で雑誌編集者、有名アーティストのインタビュアー、ガイドブック編集長を経て、2002年活動拠点をN.Y.に移す。N.Y.の出版社でシニアエディターとして街ネタ、トレンド、環境・社会問題を取材。日米で計13年半の正社員編集者・記者経験を経て、2014年アメリカで独立。著書「NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ」イカロス出版。福岡県生まれ

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