「黒川元検事長問題」と「西山事件」 結果的に問題の本質を隠してしまうマスコミ報道
「政治とカネ」から「政治とイジメ」へ
安倍首相は仲間主義といわれる。しかもその仲間主義が政治思想と絡んでいる。 たとえば田中角栄元首相は、田中軍団と呼ばれるほど結束力の強い仲間がいて、他派閥にも力を及ぼし、刎頚の友と呼んだような親密な関係の事業家もいた。そしてそこには常に金が絡んでいた。「政治は力、力は数、数は金」という政治姿勢が、結局は金脈問題として取り上げられ、ロッキード事件にもつながったのだ。 安倍政権を支える仲間には、思想的な特徴がある。一言で表せば「右派」、その人脈は論理より情緒でつながる傾向にある。金が絡むことに比べればクリーンなようだが、裏を返せば、密室的で分かりにくく、問題があったときに違法性を立件しにくい。度を越すと、その仲間から外れた人間に対する「イジメ」のように作用する傾向もある。赤木元近畿財務局員や前川元文科次官への対応にそれが現れている。「忖度」という言葉が、悪い意味の流行語のようになっていることもその象徴だ。 この「開かれていないこと」が、昨今の日本社会において、学校のみならず企業や省庁内でも散見される「イジメ」問題につながっているとも思える。 日本社会がエネルギッシュな時代から閉塞感の時代へと転換したことによって、政治問題が「政治とカネ」から「政治とイジメ」へと移行したということか。どんな政権にも欠点があるものだが、昨今、田中元首相の人気が高いのは、安倍政権のあり方に対する裏返しかもしれない。
長期政権のおごりとゆるみ
内閣人事局の制度は、官僚主導から政治主導に切り替えるという掛け声によって成立したもので、日本人がそれをよしとしたのは、行政改革、財政改革という言葉で表されるような構造的な社会制度の改革は官僚ではできないと考えたからである。一時の自民党離れも、国民が、バブル経済が弾けて以後の日本社会の閉塞感を打ち破る大改革を求めたのが理由だろう。 安倍政権は、そういった改革を棚に上げて、景気対策、安保法制、働き方改革といった政策を進めてきた。こういった政策には賛否両論あり、ここで一概に否定することは控えたい。「一強」といわれるほど支持率が高かったのは、そういった思い切った政策の実行力を国民が評価したからであろう。何も変えられない内閣よりはマシという意見もあり、外交には長期政権なりの成果があったと思われる。 しかし森友問題が浮かび上がったころから、この政権は明らかに精彩を欠いていた。念願の憲法改正は進まず、外交にもこれといった成果が出ない。忖度の横行、データ改竄、事実の隠蔽といった事態が相次ぎ「官僚モラルの崩壊」を招いてしまった。一時代前の日本は、官僚の能力とモラルが高いことで知られていたのだ。 しかも「モリ、カケ、サクラ」といった問題は、その権力が「政策に」というより、「ただ仲間うちの優遇に」使われた感がある。やがて官邸内部に不協和音が生じ、長期政権ゆえのおごりとゆるみが露呈してきていた。