「クラスター型」と「ユニット型」 新型コロナから考える人間の交友関係
政府が緊急事態宣言を出してから、日本人の一致協力する性格が奏功したのか、新規感染者は急速に減少し、39県で宣言が解除されました。しかし、外出自粛の期間が長引くにつれて、人に会えないことに苦しさを感じている人も少なくないようです。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏もその一人のようで、「いくらオンラインでつながっても欲求の一部を満たすに過ぎない」と話します。人の「接触=交友」について、若山氏が独自の視点で論じます。
人は人に会う生き物
斎藤茂吉だったと思う。『万葉集』において「サビシ」という言葉は、情景などに対するボンヤリとした感情ではなく、ある特定の個人がそこにいない、たとえば妻や子と死別して会えないというような、具体的な人を失った感情の表現だと書いていた。 新型コロナウイルスによる外出自粛で痛感したのは「人は人に会う」という単純な事実であり、会うべき人に会えなくなると寂しいという事実である。僕も寂しい。いつも行く碁会所の受付の女性に会えないのが寂しい。議論を交わす飲み友達に会えないのが寂しい。それに加えて、非常勤の大学がオンライン授業となり、その対応もストレスであった。もともと閉所恐怖症気味で、家にこもっているのが苦手だ。人に会うために出かけて行く「場所」が欲しい。 つまり人は、人との「接触=交友」が必要な生き物で、いくらオンラインでつながったとしても、それは人間の接触交友欲求の一部を満たすに過ぎないのだ。 日本では新型コロナ対策が進む中で「クラスター」という言葉になじみができた。本来「集団」とか「群れ」を意味するのであるが、ウイルスの感染で問題となるのは、集団そのものではなく、感染した集団が個々に分かれてまた別の集団を形成し、感染がネズミ算式に広がることである。 一方、最近の建築界では、小さな設計集団に「ユニット」という言葉が使われる。感染対策において、たとえば同居家族を一つのユニットとして、それ以外の人と接触しなければ、感染は広がらない。つまりクラスター型の接触は怖いけど、ユニット型の接触はさほど怖くないのだ。 自粛要請によって「接触」を減らすことについて考えているうちに、人間の「接触=交友」には、「クラスター型」と「ユニット型」という二種類があるように思えてきた。