自営業になって変わった「お金」への意識。お金を払うことは「評価を伝えること」であり「応援」である【フリーアナウンサー住吉美紀】
フリーアナウンサーの住吉美紀さんが50代の入り口に立って始めた、「暮らしと人生の棚おろし」を綴ります。 【画像】買ったばかりの輪島塗の椀に盛った、住吉家のお雑煮 お金の使い方について、歳とともに少しずつ意識が変わってきた。若い頃は、気ままに、その時々でなんとなく使って、なんとなく節約して、マイナスにならないように気をつけて、という具合だった。それが50代の今は、どこで何に自分のお金を落とすのか、なぜこれに使うのか、どういう気持ちで、誰に支払うのかを、明確に意識して使うことが圧倒的に増えた。 社会というシステムを前よりも俯瞰して見られるようになり、お金の持つ力について考えるようになったからだ。 その大きなきっかけは、自分も夫も完全な自営となったことだ。私の場合、自分の仕事に対してどれだけの報酬をお支払いいただきたいのかを自ら考え、決めなければならない。数字に無頓着な私は、事務所に所属している間はそんなことを意識せずに働いていた。いや、むしろ無意識にそこを避けて、知らぬがままに働こうとしていたのかもしれない。そのほうが気が楽だからである。 それを知った上で仕事をしている今、果たして自分の働きぶりはその金額を払う価値があると感じていただけるのかと、毎回まるでテストのような気持ちで現場に臨む。払う価値の有無は、言葉で良い悪いと言われる以前の、直接の評価だからだ。 それで満足してもらえると、それが励みになり、「方向性は間違っていない。精進して次もがんばろう」となる。さらに、報酬を支払ってでももう一度と、リピートしてご依頼いただくと、もはや応援していただいているような、ものすごいチカラになる。 反対に、驚くほど安値でオファーが来たり、値切られたりすることは負の評価となり、「自分もまだまだだな、もっとがんばらねば」とか「私の力が発揮できる分野はここではないかもしれない」など考えるきっかけになったりするのだ。 つまり、お金のやりとりは、言葉のやりとり同様、コミュニケーション手段。「私はあなたをこう評価します」と伝える手段なのだ。 そう気づいてから、払う立場としても、考えるようになった。 お金を払うことは、社会の中で自分が「価値がある」と思っていることを応援し、「あなたが好き、がんばってください」と意思表示できる方法なのだ。 実際、大勢から応援、つまりお金が集まれば、その人やビジネスは繁栄し、社会的な立場も強くなる。逆に応援がほとんど集まらなければ、ビジネスを畳まなければならなくなったり、方向転換をすることを余儀なくされたりする。 払う側としては、お金という自分の持つ力をどこに投じるか、私たちは選ぶ権利を持っている。ある意味、選挙とも似ている。投票では、清き一票を投じることで、その先にある価値観を支持し、助長することになるが、お金を使うことだって、実は同じように“清き一銭“を投じ、社会の行く先を形作っていく影響力があると思うのだ。