「疲れを感じやすい」体調に違和感。その後、医師「肺の近くに9cmの影が」判明した病とは 「”生きる”を束ねる」SNSでの発信を続ける思いに迫る
お花屋さんとして働いていた相徳夏輝さんに「悪性リンパ腫」が見つかったのは、27歳の誕生日を迎えた翌週のことでした。相徳さんは「病気を克服し、”生きる”を束ねる」という夢を持ち、SNSでは「がんになったけど、面白おかしく生きていたい」と闘病中の様子をユーモアを交えながら発信しています。今回は、相徳さんに病気を発症する前後の症状や、ユーモアを混ぜつつ発信する思いなどを聞きました。 【実際の写真6枚】 髪が抜け落ちた時の様子 ※悪性リンパ腫…白血球のうちリンパ球ががん化する病気
27歳の誕生日の翌週に…
相徳さんは、2023年10月ごろから息切れや疲れを感じることが多く、いろいろな方々から「顔が疲れている」と言われることが増えました。しかしその時期は、生活環境の変化や仕事がうまくいっていなかったこともあったため「メンタルが弱いだけ」と考え、健康診断や病院に行くことはありませんでした。 ところが、2024年7月上旬のある日の夜、突然呼吸困難になり身体中に激しい発疹が。そこで救急病院に運ばれて応急処置を受け、レントゲンを撮ったところ、肺の近くに約9cmの影が発見されました。その後、検査を経て、影の正体は悪性リンパ腫による腫瘍だと判明したのです。 「悪性リンパ腫」と告げられたのは、27歳の誕生日の翌週でした。 悪性リンパ腫とわかったとき、初めは不安や悲しみよりも「だから息切れや疲れを感じることが多かったのか!」と納得感や、原因がわかったことの安心感の方が強かったといいます。 ただ、周りの人たちが相徳さん以上に悲壮感をあらわにした様子を見て、次第に事の重大さが押し寄せてきた…と振り返ります。
途中からユーモアを心の支えにして
治療が始まり、特に一番苦しいと感じたのは、仕事ができなくなってしまったことでした。お花屋さんとして活動していた相徳さんは、免疫低下の影響でカビや細菌が多く付着している植物への接触にドクターストップがかけられたのです。 他にも動物への接触や、生モノの摂取も禁止などの制限が増えました。 「永遠に続くことではないことは承知の上で、生活基盤となる仕事を失ったのはかなり痛手でした」といいます。 また、ベッドから動けなくなり、食事も満足に摂取できない時期が長く続いたため、少し歩くだけで息が上がり、常に体の関節が凝って痛いといった病気の症状だけでない辛さもあったと話します。 病気については、薬の投与によって回復はされてきていますが、体力は時間に比例して落ち続ける一方でした。そのため、今後の免疫対策や社会復帰に向けてもリハビリの重要性を強く感じているといいます。 相徳さんが入院中に大変だと感じたのは「メンタルをどのように保つか」ということ。 「変な話になりますが、肉体的に苦しいときは何かを考える余裕はないんです。一方で少し体調がよくなって、作業や思考ができるようになったときが一番厄介でした」と話します。 基本的に日々会話するのは、医療従事者を除けば見舞いにきてくれる家族やパートナーとの電話だけ。社会から断絶された状態でほとんどの時間を一人で過ごすため、常にポジティブではいられないのです。 「いつまで生きれるんだろう?」「退院したとして社会復帰できるのかな?」「がんになった私は世間からどのように見られるんだろう?」などを考えてしまったという相徳さん。もちろん、食事の匂いを嗅いだだけで嘔吐を繰り返したり、全身に発疹ができたり、40度近い熱が数日間続くなど、肉体的にも我慢できないほどの苦痛もありました。 このときに支えとなったのは、パートナーとの電話でした。相徳さんのパートナーは、とにかくワードセンスに富んだ人で、日々たくさん笑わせてもらったといいます。 また、以前まではお笑い番組を見ることが少なかった相徳さんですが、入院中に見るようになったと話します。 「トークだけでたくさんの人を笑わせるなんて、本当に素敵な仕事だと思います。芸人の方々はまるで神様のようです」 パートナーと芸人の方々の共通点は「ユーモア」でした。 そこで相徳さんは、ユーモアが一番大切だと思い始めます。 「ネガティブに過ごすことで病気が治るならいくらでも落ち込みますが、そんなに単純じゃない。だったら、面白おかしく過ごした方が健康的だな」と、治療をしていく途中からユーモアを心の支えにして過ごしていたと語っていました。