防備とは「戦争をしないための準備」 最小戦争論を考える
武士道とは生き延びること
「武士道とは死ぬことと見つけたり」と『葉隠』には書かれている。しかしこの書はやや逆説的なところがあり「死ぬこと」が強く印象づけられるほどに、武士は簡単には死のうとしなかったと考えるべきだ。 たしかに武士は戦いの専門家であるが、実は、戦いながらも、自分も部下も、できるだけ死なないように計算する専門家でもある。戦国武将の権謀術策は、かのマキャベリや韓非子もおどろくほどだ。 本当の武士道とは、死ぬことではなく、周到な計画と、果敢な英断と、場合によっては戦場を捨てて退却する勇気でもある。太平洋戦争の日本軍指導者に見られた玉砕や特攻などは、武士道にもとる選択なのだ。 武田信玄も、上杉謙信も、織田信長も、羽柴秀吉も、徳川家康も、戦いが不利になれば退却し逃げ延びることを知っていた。危険をかえりみずに突撃する者は猪武者(いのししむしゃ)として馬鹿にされたのである。特に信長、秀吉、家康は、それ以前の武将たちと比べて、戦いの損得勘定に長けていたのではないか。信長は常に人情を排除して戦いの力学を考えた人だ。秀吉は人命と人情を重視して調略と講和の利益を計算した人だ。家康は功利と人情をバランスさせ安定を重視した人だ。 昭和ファシズムをリードした学校秀才と農村軍人たちの精神は、本来の武士道とは似て非なるものであった。
敗北という超戦略
僕は高校時代はラグビー部、大学時代は空手部に所属していて、いわば闘いが日常であったが、そういった部の友人たちは男気はあっても決して乱暴者ではない。今は囲碁を趣味としているが、置き石とコミという巧妙なハンデ制があり、勝てばハンデが下がり、負ければハンデが上がるので、長期的には勝利と敗北が同数に収斂する。つまりトッププロは別にして、どんなに強くてもゲームの半分は負けるのである。勝負事というのは大なり小なりそういうもので、常に敗北を計算に入れなければならない。「戦争には勝たなければならない」と勇ましいことをいう人がいるが、そういう人は戦争を知らないのである。 第二次世界大戦において、フランスはあっさりとドイツに降伏したが、このときの軍人の死者数は20万人とされている。一方、徹底的にドイツ軍と戦ったソ連の死者数は、民間人も含めると2000万人を超えるという。結果はどちらも戦勝国のような顔をしているのだが、損得勘定からいえば、勝ったはずのソ連より負けたはずのフランスこそ勝利というべきかもしれない。 日本はもちろん、沖縄戦、東京大空襲、広島長崎の原爆と、一般市民におよぶ悲惨な負け方をした。しかしいったんポツダム宣言を受け入れると、これといった反発もなく、食糧難を乗り切り、いち早く復興の緒につき、経済成長の波に乗った。これは歴史的にも珍しい敗戦の成功例ではないか。もちろんアメリカの政策と朝鮮戦争が幸いし、吉田茂がうまくやったということもあるだろうが、ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(岩波書店)などを読むと、日本人は、敗北に強い国民ではないかと思う。これも日本人の能力だろう。 戦争では、撤退も、敗北も、復興も、計算に入れるべきだ。不利となればいかにうまく撤退し、勝機なしとなればいかにうまく講和(敗北も含め)し、あとはいかにうまく復興するかである。これまでにも書いてきた「超戦略」というものだ。