オーバーコミュニケーション社会が引き起こす人格崩壊 氾濫する「匿名の言論」
世界の有名観光地などで、観光客が地域住民の生活を圧迫するオーバーツーリズム(観光公害)が問題になっています。日本でも京都などで大きな問題になっており、他人事ではありません。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、オーバーツーリズムについて「コミュニケーションの過剰による社会的弊害」の一つであると指摘し、「オーバーコミュニケーション」の問題であるといいます。若山氏が独自の視点で語ります。
ビュルツブルクのユースホステル
若いとき、ヨーロッパをヒッチハイクで放浪していて、ドイツのビュルツブルクという街のユースホステルに泊まったことがある。古い城館を改装したようなユースであった。スペインにはパラドールという古い城館や修道院を改装した公的なホテルチェーンがあって、きわめて魅力的な施設となっているが、それに似ていた。 一方、日本の伝統建築は木造であるから、このような再利用が難しいのであるが、それでも最近は小さな木造の古い家を改装して、インターネットをつうじた簡易な宿泊に利用することが人気である。外国人観光客も、日本文化のデリケートな性格を理解しはじめたようだ。 さてそのビュルツブルクのユースホステルで、ヨーロッパを周遊中のドイツ人若者二人と相部屋になった。僕が日本から来た大学院生で、人生に疑問を感じてヨーロッパを放浪しているのだというと、話がはずみ、彼らはそのときのドイツ社会をオーバーエデュケーションだと批判した。ドイツでは大学などへの進学率が過剰に高くなっているということで、なるほどそういう批判もあるのかと、僕はこの言葉が不思議に頭に残ったのだ。 最近は、オーバーツーリズムがよく話題になっている。観光地に人が来すぎて、地元の人が迷惑することである。 しかしオーバーコミュニケーションという言葉はないのではないか。最近考えはじめたことだが、いわば僕の造語である。