国家のライフサイクルを考える 衰退期の日本に「中興の祖」は現れるか?
総務省が24日、日本の総人口が約1億2488万人(今年1月1日時点)だった、と発表しました。前年より53万人減で、2009年をピークに15年連続の減少です。一方で、外国人の人口は約332万人で、2013年の調査開始以来最多となっています。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は「グローバル時代に日本をオープンにすることは必要だが、欧米の移民とは異なるかたちの『日本型移入社会』を模索することができないだろうか」と考えているようです。若山氏が独自の視点で語ります。
衰退国家としての日本とイギリス
天皇皇后両陛下のイギリス訪問とそのもてなしぶりは、華やかで和やかな雰囲気で、新しい日英同盟という言葉も聞かれるほどであった。 もちろん、七つの海を支配し世界に長期的な覇をとなえ、英語や背広が国際標準となっている英国と、文化的に独特で世界に覇をとなえようとしたのも短期的であった日本とを同一視することはできないが、こと王室(皇室)となると、日本の天皇家は歴史的な価値が高く、イギリス王室も一目置いているようだ。これは大切にすべきだろう。ただし注意深く。 そしてこの二つの国。1902年の日英同盟時代、イギリスは依然として世界の海を支配する大英帝国であり、日本は近代化の道を爆進し大日本帝国に向かっていた。しかし今は両国とも昔日の勢いはなく、衰退の途上にあるといっても過言ではない。国家には興隆する時期もあれば、衰退する時期もあるのだ。 誰しも自国が衰退するとは思いたくないが、日本は今、衰退期にあるという認識でものを考えることも必要なのかもしれない。衰退社会とはどういうものか、その中でわれわれはどのように行動すればいいのか、歴史をかえりみながら考察してみたい。
四つの日本国
以前この欄における「中国包囲に再結集する『アングロサクソン帝国』の賞味期限」という記事の中でも少し触れたが、どのような国家(社会体制)にも生物に似たライフサイクルというものがあり、その各段階を、誕生・成長・発展・成熟・衰退・滅亡というふうに性格づけることが可能ではないか。古代より、アケメネス朝ペルシャも、ギリシャの都市国家も、ローマ帝国も、イスラム帝国も、モンゴル帝国も、オスマン帝国も、ムガール帝国も、中国歴代王朝も、すべてその過程をたどり、誕生し、成長し、衰退し、滅んだのだ。 日本は島国でもあり天皇制も続いていることから、ひとつの国家が連綿と続いているようにみえるが、社会体制は何回か大きく転換している。ここで「日本国」というものを、その社会体制によって、歴史的に分割してとらえることも可能ではないか。たとえば次の四つの国に分けるのはどうだろう。 1・日本の歴史が文字によって記録されて以来の藤原京時代から平安時代までの、いわゆる古代社会で、これは文字(漢字と仮名)及びその利用としての法律(大宝律令など)そして体系的な宗教(仏教)によってもたらされた日本最初の文字文明社会である。天皇家と一体化した藤原氏の王朝が権力を独占した。「王朝日本」と呼んでみよう。 2・鎌倉時代から江戸時代まで、王朝日本の公家に代わって武士階級が権力をにぎった時期で、古代あるいは近代の中央集権とは異なる、ある種の分権社会であった。南北朝時代、安土桃山時代という短期の権力(権威)交代期をはさんでいるが、武家支配の封建制という意味では一貫している。「武家日本」と呼ぶ。 3・明治維新から太平洋戦争の敗戦まで。日本が西欧文明と近代文明を急速に追いかけた時代。尊王攘夷という思想からはじまり、天皇を頂く立憲君主制の中央集権体制をとった。帝国主義と資本主義をともに実践した時代で「帝国日本」と呼ぼう。 4・太平洋戦争後の時代。アメリカ支配のもとで民主化が進み、国民の意思によるのではない「受動的民主主義」が確立されたが、社会の隅々には旧い家族制度を残している。近代文明という意味では明治から連続的であるが、外国の支配という未曾有の体験によって生まれたのであるから、新しい国家という解釈が成り立つだろう。「民主日本」と呼んでおこう。 もちろん日本の文化と民族は連続しているのだが、大陸的な感覚では、日本の歴史をこの四つの国に分けるのもおかしくはない。また後二者(3、4)は、前二者(1、2)に比べて短期であり、これをひとつの国として扱うことも可能だろう。しかし戦後すでに80年である。先の記事で書いたように、近年の帝国あるいは国家の賞味期限はこの程度なのだ。「民主日本」もそろそろ限界かもしれない。 そして四つの国それぞれに、誕生・成長・発展・成熟・衰退・滅亡の6段階が見られる。ある国家の滅亡と次の国家の誕生とは合わせて考えることができるが、大抵の場合これは混乱期であり、かなり多くの人命が失われている。国家=社会の交代には大きな犠牲がともなうのだ。